「無分別」と書いて「むふんべつ」と読む。もともとは仏教要語である。いまの世の中では、「分別」(ぶんべつ)のある人がよいとされているが、仏教では「無分別」のほうがよい、とされているのである。
『「無分別」のすすめ』というタイトルのこの本は、自動車メーカーのホンダ技研の三代目社長の初の著書である。技術開発を中心とした企業組織における「創出」のメカニズムを、リタイア後にのめり込むようにして学んだ「無分別」に代表される仏教の智慧をつかって考えてみた思索の書である。
「創出」は、「創造」と似ているが、ニュアンスが異なる。久米氏によれば、「創出」とは「情報」をつくり出すこと。「身近なことであるが、それまで世の中になかった役に立つ新しい「もの」や「こと」をつくり出すための「こうして、こうしたらできる」という「情報」をつくり出すこと」(はじめに)と書いている。
その意味では「創発」に近いのかもしれない。「創発」は英語の emergence の日本語訳として使われているが、部分の総和ではない全体としての性質が現れ出ずる(emerge)という意味である。2002年時点では「創発」という日本語は定着していなかったので、もし久米氏がいまこの本を書いていれば「創発」としていたかもしれない。
科学的発見のような大きな話ではなく、製品開発やサービス開発など、企業組織がかかわることが念頭にあるようだ。企業組織に属するメンバーが共同で開発することを「共創」という表現で語っている。
■一人称でしか語れない「創出」体験をどう解明するか
エンジニア出身の久米是志氏は、自動車メーカーのホンダ創業者・本田宗一郎の直弟子である。技術の天才のもとで働くことの大変さはいうまでもないが、本田宗一郎の実践第一をモットーにした哲学的な問いかけという環境から、薫習(くんじゅう)として無意識のうちに身についているものが多いようである。
本書にも技術開発の体験談の数々が紹介されているが、久米氏は英国のマン島における国際二輪レース欧州のモータースポーツであるフォーミュラⅡでのエンジン開発、発売当時は一世を風靡した「シビック」など独創的な技術開発をみずから中心になって、あるいは統括する立場としてかかわってきた。
本書にはそういったみずからの体験だけでなく、ホンダで開発にあたあってきたエンジニアたちの体験談を織り交ぜながら、新しいアイデアを生み出す苦しみと、アイデアが生み出される瞬間について生き生きと語っている。
こういった体験談は、ジャーナリストやノンフィクション作家による第三者的な記述とは違うということが重要だ。「創出」のメカニズムは、「創出」が起こった当事者である本人のアタマとココロの内部で働くものであり、第三者には追体験も観察も基本的に不可能であるからだ。あくまでも第一人称の当人の語りであり、それ以外には研究材料はない。
久米氏の体験は、ホンダについて書かれたさまざまな本にも紹介されているが、開発エンジニアたちに書かせた体験談の記述がじつにビビッドである。あるエンジニアの体験談を一つだけ紹介しておこう。
居眠りしているような状態で、ほとんど無意識のうちに動かしていた自分の手が描いた二本の線を見るともなくみたら・・・・ファーと出てきたんです。・・(中略)・・ ちょうど、頭の後ろから壁に投影機が絵を映してくれてるように見えてきたんです。・・(中略)・・ 自分の力だけで思いついたのではなく、いろんな人の努力や考えがひとつになってきたところに出てきたように思えるのです。(P.114)
この体験談から明らかなように、「創出」のキーワードは「直観」と「自他未分離」である。雑念が消えたときに「自他未分離」状態になるのである。仏教ではこの状態を「無分別」という。自分と他者が一体化してしまう感覚。久米氏は「直観」と「自他未分離」について、本書のなかで何度も繰り返し述べている。
「直観」とは「直感」とは違う。「直感」は「勘」のようなもので日常的によく体験するものだが、「直観」というのは、ある特定の事項について徹底的に考えた末に、論理的推論とは別次元で、突然パッと一切すべてが瞬間にわかる認識のことを意味している。現象としては「ひらめき」に近い。宗教でいえば「啓示」、仏教でいえば「悟り」に近い。
「直観」による知とは、大乗仏教でいえば「無分別」の智のことである。知ではなく智である! 「分別」知が、分析を中心とした論理的な知の働かせ方であるなら、「無分別」の智とはそういった分析的知性とは異なる、言語を介さないイメージの働きなのだ。
大乗仏教を深く学んだ久米氏自身のコトバで説明すると、以下のようになる。
創出の「ひらめき」は「悟り」に似て「一時炳現」(いちじへいげん)的に生起し、しかも言語をともなう意識の働きが挫折してしまったとき、無意識の底から現れ出ることを物語っているように思います。つまり、通常われわれが意識することのない無分別智がつかまえたものを、表層の言語をともなった意識-分別知が感知して「わかった!」という言語意識となって出てくるのではないかということなのです。
そして、そのような無分別智が働き出すためには、六波羅蜜(ろくはらみつ)のプロセスを踏みながら分別知-言語をともなう意識があらかじめ奮闘しなければならない、つまり一言でいえば、創出は分別知と無分別智という異なる二領域の知の循環の中で、無分別智が生み出しているということではないでしょうか。(P.119~120 *太字ゴチックは引用者=さとう)
「一時炳現」(いちじへいげん)とは、ブッダの悟りを表現した『華厳経』の表現「海印三昧、一時炳現」からきているもので、同時にいっさいの事象があきらかになることを意味している。
「六波羅蜜」(ろくはらみつ)とは、悟りの世界である「彼岸」(・・これも本来の仏教要語としての意味)に至る6つのプロセスである。布施(ふせ)・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ)の6つである。くわしくは華厳宗の六波羅蜜寺のサイトをご覧いただきたい。
このようにさまざまな意味で、「無分別」(むふんべつ)、すなわち「自他未分離」となった状態で作動する智(・・知ではなく智!)が無分別智なのであり、この状態の意識から仏教の「悟り」も技術開発の「創出」も生み出されることが示されている。
「無分別智」とは、『般若心経』の「般若」のことでもある。サンスクリット語では、無分別智(般若)のことをパンニャ、分別知のことをヴィジュニャーナといって厳密に区分している。
このほか、「中観派」の「空の哲学」、「唯識派」の「心の哲学」などにも言及しながら、大乗仏教を哲学という側面でとらえれば、「創出」プロセスの解明におおいに寄与するところが大きい。
エンジニア出身の久米氏自身のコトバで語られているだけに説得力がある。
■仏教哲学は脳科学とは完全にイコールではない
久米氏には、本書『「無分別」のすすめ-創出をみちびく知恵-』(久米是志、岩波アクティブ新書、2002)と、その4年後に出版された『「ひらめき」の設計図-創造への扉は、いつ、どこから、どうやって現れるのか-』(久米是志、小学館、2006)の二つの著作がある。
後者の 2006年の本では、「直観」はすべて「ひらめき」に、「創出」は「創造」に言い換えられてしまっている。『創造の世界』を出している小学館だからかもしれないが、じつに残念なことだ。脳科学などにかんする余計な知識の蓄積が、かえって論点をぼやかしてしまったという印象を免れない。
もちろん、脳科学で解明されてきたことは、大乗仏教がすでに千五百年以上も前に明らかにしてきたことに限りなく近いのだが、脳科学で説明可能なことはまだまだ限られているし、脳科学でのみ語ることは、悪しき科学信仰にもつながりかねない危険がある。脳機能に着目した局所偏在的な発想は、「全体のなかの部分」で考える仏教の「縁起」(=相互依存性: Interconnectivity)の発想を欠いていては問題が多い。
思うに、2002年の新書本のほうが、脳科学などの余計な知識で汚染されてないだけに、原石の輝きがあるのだ。リタイア後の大乗仏教の学びと、実体験の振り返りがあいまって、じつに「いい味」を出しているといっていい。仏教の悟りと技術開発における創出が相似象(そうじしょう)であることがわかった(!)という、著者の新鮮な驚きも伝わってくる。
技術の天才・本田宗一郎と、偉大なるナンバー2で異能の経営者であった藤沢武夫の薫陶を直接受けたエンジニア経営者・久米是志氏の考察は、つねに新しいモノやコトを開発する必要に迫られているベンチャーだけでなく、企業組織における「創出」について考えるうえで、じつに貴重な証言となっている。
創業者以来、ホンダは「哲学のある会社」である。哲学的思考を促す組織風土をもった会社である。企業人にとっての哲学を考えるうえで、ホンダという会社の存在はじつに貴重なものだ。
仏教関連の話がふんだんにでてくるので、うっとうしく感じる人もいるだろうが、このような実体験をもとに自分で考えて、自分のコトバで一般読者向けに書き綴った思索書が、「重版未定」のまま埋もれてしまっているのはじつに惜しい。
こういう本こそ、ビジネスパーソンが読むべき本だと思うのだが・・・。
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目 次
はじめに
Ⅰ 科学文明への問いかけ
1 物と心
2 内観と内省
3 発見の手法と「相似象」
Ⅱ 私の創出体験から
1 TTレースに向けて
2 F-Ⅱレース
3 市場を見ること
4 空冷・水冷エンジン
5 シビックの「共創」
Ⅲ 仏教という教え
1 六波羅蜜との類似
2 創出の四戒
Ⅳ 「悟り」と「ひらめき」
1 開発現場のひらめき
2 ポアンカレの場合
3 創出の場と「たぬき」
4 エアバッグ開発と「たぬき」
Ⅴ 創出の問題点
1 成功・失敗の表裏
2 成功は失敗の母
Ⅵ 仏教と創造性
1 科学と縁起
2 唯識からのヒント
あとがき
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著者プロフィール
久米是志(くめ・ただし)
1932年神戸生まれ。静岡大学工学部卒業後、本田技研工業株式会社入社。専門はエンジンの設計で、マン島TTレースの競技車両用エンジンや、ホンダF1初の空冷エンジンカー、RA302のエンジン開発に携わる。若手の頃は、空冷エンジン採用を主張する本田宗一郎に対して、水冷エンジン採用を主張して譲らず、ホンダ1300やRA302の開発時には辞表を出して数度にわたり出社を拒否したという逸話を持つ。その後、社運を賭けて取り組んだ初代シビックの開発責任者として、クルマのコンセプトづくりに参画。1973年に自身が開発責任者として指揮して生まれたCVCCエンジンは、当時、世界で最も厳しいと言われたアメリカ合衆国の排出ガス規制法であるマスキー法を初めてクリアしたことで知られる。 1983年に河島喜好の後を受けて、第3代の本田技研工業代表取締役社長に就任。第2期ホンダF1活動を支える。ASIMOにつながる二足歩行ロボットの開発、HondaJetにつながるビジネスジェット事業は、久米が社長を務めた時期に開始が指示されたものである。1990年に社長を川本信彦に譲り、取締役相談役に退いた。(wikipediaの記述による)。(追記)2022年9月11日、90歳にて没。
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映画 『加藤隼戦闘隊』(1944年)にみる現場リーダーとチームワーク、そして糸川英夫博士
・・糸川英夫博士と厳しい風土と制約条件の多いイスラエルについても触れている
(2014年8月27日、2016年12月1日 情報追加)
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