2014年8月28日木曜日

書評『希望のしくみ』(アルボムッレ・スマナサーラ/養老孟司、宝島社新書、2006)ー 近代科学のアプローチで考えた内容が、ブッダが2500年前に説いていた「真理」とほぼ同じ地点に到達


2006年に新書化されたこの本は、もともと2004年に単行本として出版されたものだ。新書版の出版後さっそく読んだのは、それ以前から養老孟司氏の本を文庫や新書で読んでいたからである。

正確には覚えていないが、スマナサーラ長老の本を読んだのはこれは最初かもしれない。この本は、2014年7月には文庫化もされているロングセラーである。

新書版の帯には、「仏教と科学。賢者は「真理」で一致する」、とある。このキャッチコピーに惹かれて購入したのである。

そして読んでみて、解剖学者の養老孟司氏が自分のアタマで考えつくして到達した地点と、ブッダの教えを現代日本人に伝えるスマナサーラ長老が説いているところが、ほぼ一致していることに驚いたのである。8年ぶりに読み返してみて、あらためてその感を強くした。

「はじめに」(養老孟司)から引用してみよう。

私は近代科学を学んで、いまに至ります。
ですから、中村元(なかむら・はじめ)先生がお書きになった原始仏教経典の解説を読んだときには、びっくりしました。
「なんだ、俺の考えていたことは、お経じゃないか」
そう思ったのです。近代科学の方法を使って自分の頭で考えたら、2500年前にお釈迦さんが同じようなことを言っていた。私が驚くのも当然でしょう。

「おわりに この上もないお力添えをいただいて」(スマナサーラ)から。

来日以来、この国のことをできるだけ理解しよう、ブッダの言葉を伝えようと、自分なりに頑張ってきましたが、耳を貸す人は多くはありません。真理のコトバは核心を突き、世界を変える。それがいかに素晴らしき変化であっても、変わらない自分にしがみつく人には、やはり受け入れがたいことなのでしょう、私の希望は、あまりにも大胆なのかもしれません。
そんなとき、養老先生のご本を読みました。それはまさにオドロキでした。純粋に現代科学的なアプローチで、ブッダが語り続けていた真理のいくつかに達しておられた。仏教の困難を「バカの壁」ゆえと喝破しておられた。真の知性を現代に得て、皆さまは幸せというべきでしょう。

近代科学のアプローチで考えた内容が、ブッダが2500年前に説いていた「真理」とほぼ同じ地点に到達している。それは、はじめて読んだときは誰もが驚くことかもしれない。わたしもこの本には大いに啓発されたものだ。仏教と科学はイコールではないが、仏教が科学「的」であるということと同時に、科学もつきつめると仏教「的」になる、ということだ。

お互いエールの交換をしあっているような内容だが、「出会うべくして出会う」とはこういうことをいうのだろう。この対談そのものが、最初の出会いのようだが、昔からの知り合いのように両者は共鳴し合っている。立ち位置がまったくことなるのにかかわらず、結論が同じである。

したがって、読者は違和感なく読み進めてしまう。あまりにも簡単に読み飛ばせてしまう内容と本の薄さにかかわらず、内容は深く、そしてじつに濃い。いや結論はきわめてシンプルであるが、世間の常識とは「あべこべ」なので、簡単に読めても中身を理解するのは意外と難しいのかもしれない。

『希望のしくみ』というタイトルだが、「希望」についての内容ではない。むしろ、希望や期待など捨てて、「事実」そのものを見つめよという内容である。希望や期待は、仏教では「渇愛」(かつあい)といって否定的に捉えている。スマナサーラ長老はそういう。「希望的観測」を捨てよというビジネスの教えと同じである。重要なのは事実そのものだ。
 
世の中も、自分も、つねに変化し続けているのである。それが「事実」であり、仏教ではそれを「無常」という。生まれ出たものは、必ず死ぬ。それはつねに動いている変化するからだ。一瞬として同じものはない。ありのままを観て、ありのままを受け入れるべきなのである。しかも淡々と。

この対談では、「世間」、「知識より智慧」が大事、「捨てる」ことの重要性、「慈悲」、「ヴィパッサナー瞑想法」と要素分解(=分析)、「発見の仕組みとブッダの悟りの共通性」など多彩なテーマが、すべて日常語で語られている。こんな一節を読めば、大いに納得することであろう。

スマナサーラ 解けない問題を解こうとして、自分の持っている能力をすべて駆使して解こうとする。しかし、答えは出てこない。能力も出し尽くしている。それでそのまま、問題とまったく関係ない別なことに入れ替えて、それに精いっぱいがんばってみる。そのとき最初の問題は、頭から完全に消えているような状態になる。そうやって、ある意味、完全に忘れてリラックスした瞬間に、答えが勝手に現れてくるんです。
だいたい発見の仕組みはこんなもんです。ですから、いろんなことをいっぱいやって、能力をギリギリまで使い切らなくちゃならないんです。
養老 だから人は、役にもたたないような武道の訓練とか、瞑想とか、いろんなことをやるんですよ。それが、「ああすれば、こうなる」という社会になると、みんな消えちゃう。・・(後略)・・
スマナサーラ ブッダが説く悟りの発見も、同じ法則です。


潜在意識という表現はつかっていないが、発見のメカニズムはまさにこれである。悟りも同じなのであろう。

わたしがアルボムッレ・スマナサーラ長老の本を読んだのはこの本が初めてだと思うのだが、その頃からタイでの事業に本格的に取り組み始めていたことも、読むキッカケの一つとなったのではないかと思う。それはタイ人の思考方法、いいかえばアタマの働き方を知るためだ。

タイは上座仏教圏であり、上座仏教(=テーラヴァーダ)は原始仏教(=初期仏教)そのものではないが、限りなく近い存在だ。生きている上座仏教を理解するためには、おなじ上座仏教圏のスリランカ出身のスマナサーラ長老の本は日本語で読めるので、おおいに役に立つのである。

大乗仏教の呪術性を取り払って、ブッダその人のコトバをつうじて、ブッダその人が発見したものをダイレクトに知るためには、さきにもでてきた中村元先生がパーリ語の原典から現代日本語に翻訳したものを読めばいい。

だが、さすが「対機説法」で鍛えられた、現役の僧侶の法話と説法に勝るものはない。スマナサーラ長老も、本質をズバズバ突いてくる子どもたちとの問答がもっとも鍛えられる(!)と本書のなかで語っている。なんせ子どもは容赦がない(笑)

この対談が出版後10年を経てもロングセラーであり続けるのは、そうした語り口の明快さと、徹底的にアナロジー(=類比)をつかった説明方法にあるのだと思われる。それがもっとも納得のいく説明であることは、養老氏も認めていることだ。




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・・養老孟司氏とスマナサーラ長老という、ビッグな対談者の存在と発言。 「養老孟司氏の深くて低いトーンの語り口を心地よく聞いていた。脳死問題にかんして、日本で脳死議論が諸外国に比べて10年以上も遅れた理由を「世間」から解き明かしたのは実に明快であった。日本では死ねば「世間」から外に出される。一方、妊娠中絶がまったくといっていいほど問題にならないのは、「世間」に入っていない状態だから」


PS 特別対談:『無智の壁』 養老孟司氏&スマナサーラ長老 司会:釈徹宗氏がサンガ新書として出版

「釈尊成道2600年記念 ウェーサーカ法要 仏陀の徳を遍く」 (2011年5月14日)で行われた特別対談:『無智の壁』」が、3年たってようやくサンガから書籍化。

タイトルは、『無知の壁』(養老孟司/アルボムッレ・スマナサーラ、釈徹宗=聞き手、サンガ新書、2014)。2014年9月20日に出版。

『希望のしくみ』とあわせて読むとよいでしょう。


目次は以下のとおり。

第1章 「自分」という壁
 解剖学者の「バカ」と仏教の「無知」
 意識は行為の後からやってくる
 五戒1 不殺生:殺すなかれ
 五戒2 不偸盗:盗むなかれ
 五戒3 不邪淫:邪な行為をするなかれ
 五戒4 不妄語:嘘をつくなかれ
 五戒5 不飲酒:酒、麻薬などの智慧を壊すものを使用するなかれ
 気持ちがなければ行為にならない
 人類初の科学的アプローチ
 バカの壁=自分の枠組み
 知識のリミット、三段階
 「受け入れる」ということ
 自分を守る苦悩
 自分の世界で固まっていたら後退する
 「本当の自分」なんてない
 困難も「自分」をはずすと楽になる
第2章 「死の壁」と「世間の壁」
 「私」と「死」と「葬儀」
 「死」は「生」のためのもの
 「死なない」が脳の前提
 文化で異なる死体への思い
 脳死問題に息づく日本の村社会
 脳死は死ではないという結論
 中絶が議論されないのも世間の壁
第3章 「自分」の解剖学
 自分のつくり方
 「私」とは蜃気楼
 「自分」を決める場所が脳にある
 自分のことはえこ贔屓している
 頭の地図で自分の範囲を決めている
 幽体離脱は自我の原型
 ふだんも二つの「私」を一元化している 「世界と一体」は覚りじゃない
 天才は脳機能をコントロールする
 生物学的な「自分」と社会的な「自分」
 修行とは、機能のコントロール
第4章 「転換」は克服のコツ
 知れば「嫌」は克服できるか
 「嫌」が治る場合、治らない場合
 嫌な対象を移すことは可能
 視点の転換は大事
 自分に移すのがいちばん簡単
 虫になると苦がなくなる
 役柄を入れ替えてお互いを理解する
 相手の立場から考える
第五章 信仰より智慧で自分を育てる
 人は何かを信じてる
 信仰は人生の手すり
 仏教は理性の教え
 ましなものを信じなさい
 今後の日本人の生き方は?
 どこまで楽をすれば気が済むのか
(2014年9月11日 記す)




「希望」は百害あって一利なし! 「事実」をありのままに観よ!

自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)
・・「自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかることはたやすいが、それをやり遂げるには勇気がいる。 闘いに勝ち、大陸を耕し、国を建設するには、勇気が必要だ。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の存在になるのである」(ホッファー)

「希望的観測」-「希望」 より 「勇気」 が重要な理由

心頭滅却すれば 火もまた涼し(快川紹喜)-ありのままを、ありのままとして受け取る

「ログブック」をつける-「事実」と「感想」を区分する努力が日本人には必要だ


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