自分が知らない世界を垣間見るという経験をする本だ。
グローバル化するイスラーム。イスラーム世界に反映されたグローバル化。グローバル化しているのはビジネスだけではない。宗教もまたグローバル化しているのである。
本書で切り取られたこの側面は、なぜかほとんど日本のメディアで紹介されることもない。イスラーム教徒ではない非ムスリムにとっては、そのほとんどが「知られざる世界」である。
同時代に生きていながら、こういう世界があって、しかも活発に活動が行われているのとをはじめて知るのである。そこにこそ、本書を手に取って読む意味がある。
本書の内容は、『クルアーン』(=コーラン)の現代的解釈を英語で発信し、グローバル規模で対話を繰り広げている4人のイスラーム指導者を紹介したものだ。いずれも中東出身者ではなく、アラビア語を母語とする人でもない。しかも、そのうちの2人は成人してからの改宗者である。
その4人とは以下のとおりだ。
●アミナ・ワドゥード: アメリカ人の黒人女性の改宗者
●ビラール・フィリップス: ジャマイカ生まれでカナダで成人した黒人男性の改宗者
●ファリド・イサク: 南アフリカに生まれたインド系移民出身のムスリム
●フェトフッラー・ギュレン: トルコ生まれでアメリカ在住
わたしは、トルコ出身の世界的市民運動家フェトフッラー・ギュレン以外はまったく知らなかった。もちろん名前を知っているという程度で具体的な言動や活動については本書を読むまでほとんど知らないも同然であったが。
もともと「近代国家」成立以前からグローバルな存在であったイスラームだが、西欧主導の「近代」という「西洋の衝撃」を体験し、その後のグローバリゼーションの流れのなかで、現代社会に生きるムスリムにとっての「手引き」ともなる解釈が求められるようになっているのである。
クルアーンが現代的問題への答えとなることをムスリムは求めており、それがある程度試みられ成功してきている。(P.127)
自分が置かれたローカルな環境から出発し、グローバルな世界で普遍的な問題解決につながる道を模索しているのである。グローバリゼーションのグローバルとは、多種多様なローカルの集合体でもある。まさにグローカルなのである。
かれらが依拠している「個人見解によるクルアーン解釈」とは以下のようなものだ。
個人やそれを取り巻く社会の問題の解決策をクルアーンから抽出しよう(というの)ではなく、アッラーがすでにクルアーンのなかで示唆していることを、自分たちがようやく理解することができた、ということになる。全知全能のアッラーはどのような時代や場所においても適応できる言葉を啓示として人々に伝えたはずだからである。(P.111)
こういう記述を読むと、なるほどと思わされる。恣意的な解釈ではなく、クルアーン原典を徹底的に精読することをつうじて新たな解釈を引き出してくるというロジックがそこにあるわけだ。
本書で取り上げられている4人は、ムスリムがマジョリティを占めるトルコ出身のギュレンを除けば、いずれも中東アラブ圏から離れた「辺境」の「マイノリティ・ムスリム」である。ギュレンは中東のトルコ出身者だが、トルコは政教分離の近代国家という事情がある。
本書で取り上げられた4人のなかで、わたしにとってもっとも興味深いのはギュレンである。スーフィズムの影響を受けているギュレンの「内的解釈」が、非ムスリムのわたしでも共鳴するものを感じるのは、内面性を重視する瞑想法が日本人にも共通して存在するからだろう。
西洋社会との協調を説くギュレンが、英語世界ではイスラーム世界を越えて知られている存在となっているのは、世界中に学校をつくって教育を行っている影響もあるが、スーフィズム自体がイスラームの枠を越えて普及しているからかもしれない。英語圏では、スーフィズムを体現した13世紀のルーミーは「愛の詩人」として有名である。
また、「進歩的クルアーン解釈者」であるワドゥードやイサクが、『クルアーン』解釈にあたって、『コーラン』の日本語訳者・井筒俊彦の英文著作『コーランにみる倫理宗教的概念』(・・日本語訳は『意味の構造』)を参照して引用しているという記述も興味深い。ちなみに井筒俊彦は『ルーミー語録』をペルシア語から日本語訳している。
いまこれを書きながらシンガポールの英語放送 Channel News Asia をインターネットで聴いていたら、2014年秋にオープンしたロサンゼルスの The Women's Mosque of America が2015年1月30日から金曜礼拝を開始したというニュースを放送していた。女性による女性のためのモスクが世界で初めて実現したということだ。金曜礼拝の指導者であるイマームも女性なのだという。日本在住の日本人が知らないだけで、イスラーム世界もまた確実に変化しつつあるのだ。
このように変化する現代世界のなかで、イスラームもまた変化しつつあることを知ることは、日本人の世界認識にとっては、きわめて意味あることだといっていい。2050年には世界人口の 1/4 がムスリムになるのであるから。
自分の知らない世界を知るという意味でも、一読する価値のある本である。簡潔によくまとまった読みやすい良書である。
目 次
序章 グローバリゼーションのなかのイスラーム
イスラームの内側からグローバリゼーションを問い直す
「分かりにくい」イスラームを超えて
Ⅰ イスラームとコーラン(クルアーン)
1. クルアーン成立の背景
2. 聖典解釈の歴史-伝承主義から近代的解釈へ
Ⅱ アメリカ人「フェミニスト」の模索-アミナ・ワドゥード
1. アフリカ系アメリカ人としての差別と改宗
2. 男女平等の視点によるクルアーン解釈
Ⅲ アパルトヘイト解決への道-ファリド・イサク
1. 南アフリカの人種差別とイスラーム
2. 「他者」(キリスト教徒)との共存をクルアーンに読む
Ⅳ イスラーム主義への回帰-ビラール・フィリップス
1. カリブ海からカナダ、そして中東へ
2. 伝統主義的なクルアーン解釈の継承
Ⅴ 西洋社会との協調-フェトフッラー・ギュレン
1. トルコが生んだ世界的市民運動家
2. 自己を律し、他宗教との対話を追求するクルアーン解釈
おわりに-クルアーン解釈の今
イスラーム社会における限界-アブー・ザイド亡命事件
マイノリティ・ムスリムの貢献
あとがき
関連年表
参考文献
人名索引
著者プロフィール
大川玲子(おおかわ・れいこ)
1971年、大阪生まれ。文学博士。東京大学文学部イスラーム学科、同大学大学院を経て、カイロ留学、ロンドン大学大学院東洋アフリカ研究学院(SOAS)修士課程修了の後、東京大学より博士号取得。現在、明治学院大学国際学部准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
Women's Mosque Opens In L.A. With A Vision For The Future Of Muslim-American Leadership (The Huffington Post, By Antonia Blumberg, 2015年1月30日)
・・ロサンゼルスにオープンした「女性による女性のためだけのモスク」で、女性イマームによる金曜礼拝が開始
<ブログ内関連記事>
■グローバリゼーションと宗教
書評 『世界を動かす聖者たち-グローバル時代のカリスマ-』(井田克征、平凡社新書、2014)-現代インドを中心とする南アジアの「聖者」たちに「宗教復興」の具体的な姿を読み取る
■イスラーム関連
本日よりイスラーム世界ではラマダーン(断食月)入り
「害に対して害で応じるな」と、ムハンマドは言った-『40のハディース-アッラーの使徒ムハンマドの言行録』より
書評 『井筒俊彦-叡知の哲学-』(若松英輔、慶應義塾大学出版会、2011)-魂の哲学者・井筒俊彦の全体像に迫るはじめての本格的評伝
■日本とイスラーム世界の身近なかかわり
書評 『日本のムスリム社会』(桜井啓子、ちくま新書、2003)-共通のアイデンティティによって結ばれた「見えないネットワーク」に生きる人たち
日本のスシは 「ハラール」 である!-増大するムスリム(=イスラーム教徒)人口を考慮にいれる時代が来ている
(2023年9月18日 情報追加)
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