アベラールとエロイーズというのは、男女の名前の組み合わせのことだ。カップルであったが、ある事件のために引裂かれたカップルである。そしてその後、両者のあいだにかわされた往復書簡によって永遠に記憶されることとなった。
『アベラールとエロイーズ 愛の往復書簡』(岩波文庫、2009)は、かつて 『アベラールとエロイーズ-愛と修道の手紙-』(畠中尚志訳、岩波文庫、1939)として訳出されていた11通の往復書簡のうち、「愛の手紙」5通を取り出して新訳されたものである。70年ぶりの新訳だけに日本語の訳文も新鮮で読みやすい。
アベラールは高名な神学者で哲学者。知性と美貌を兼ね備えたエロイーズはその弟子で愛人、男子を出産し、のちには妻になった女性。ともに 11世紀フランスの実在の人物である。
『愛の往復書簡』なんていうと、なんだか小説家・渡辺淳一の作品のタイトルのようだ(笑)。とくに第一書簡「厄災の記-アベラールから友人への慰めの手紙」の内容は、設定を現代に変えて、キリスト教神学と哲学の話題を抜いてしまえば、そのまま通用してもおかしくないだろう。
『失楽園』だって不倫小説のタイトルになってしまうぐらいだからね。原作の『失楽園』はミルトン作の17世紀英文学の古典。アダムとイブが主人公の、楽園喪失をテーマにしたキリスト教文学なのだが・・。
(『薔薇物語』の手書き本に描かれたアベラールとエロイーズ wiikipediaより)
『アベラールとエロイーズ 愛の往復書簡』の第一書簡「厄災の記」は、端的にいえば、出世街道の真っ只中にあった男、すなわちアベラールが、相手の女性(=エロイーズ)の父親の指示によって寝込みを襲撃され、男性機能を停止させられた事件のことである。一言でいってしまえば、法に頼らずに私的制裁として相手男性の「去勢」が実行された事件ということだ。
だが、これでは現代日本でもつい先日発生したばかりの事件に酷似している、というだけに終わってしまうかもしれない。さすがに岩波文庫から出版されている「古典」であるから、「岩波文庫解説」から内容紹介を引用しておこう。
世にも名高い恋の顛末──アベラールの自伝「厄災の記」が語る神学者の栄光と蹉跌,運命の出会いと去勢事件,修道士への転身と教会の迫害.神に身を献げた男に,出産と秘密結婚をへて今や「神なき修道女」となったエロイーズがなおも綴る想いとは? 中世古典の白眉から名高い手紙を新訳.男の最期を伝える資料を付す.
不幸で不名誉な事件が起こったのは、アベラールが38歳頃の壮年で、まさに男として油が乗ってきた頃である。エロイーズとの年齢差は22歳。家庭教師先で先生と生徒の関係であったのだが・・・。
中世のキリスト教神学者は結婚を許されないので、結婚を秘密にし露見しないようにしたのだが、男のずるさを感じないわけではない。だが、じっさいはその逆で、エロイーズのほうが結婚を望まなかったようだ。これは本文を読むとわかる。
「事件のてんまつ」については、アベラール自身に語ってもらうのがいいだろう。第一書簡「厄災の記-アベラールから友人への慰めの手紙」から該当箇所を引用してみよう。
エロイーズの親族と彼らに近しい人々は、私が彼らをまんまと欺いて、厄介払いをしようとして彼女を修道女にしたものと思ったのでした。そこで彼らは怒り狂って、私に対する復讐を企てました。ある晩のこと、私が自宅の奥まった部屋で静かに眠っておりましたときに、カネを握らせて私の召使の一人を買収し、残酷きわまりない、この上なく恥ずべき復讐を私に加えて、世人を驚愕させたのです。つまりは彼らは、彼らの不満を買った行為を私がなした、私の体の一部を切断したのでした。犯人はただちに逃走しましたが、そのうちの二人は捕らえられて、眼をくりぬかれ、性器を切り取られました。二人のうちの一人は、今申しました召使で、私の身辺に使えていた男ですが、カネに目がくらんで、私を裏切ったのです。(P.39)
キリスト教哲学者の中で最も偉大であったかのオリゲネスも、女性たちにも宗教教育をほどこそうとするにあたって、こういう疑惑を身辺から一掃するために、自分の体に手を下したと、『教会史』第6巻に出ています。
この点に関しましては、神の御慈悲はオリゲネスの場合よりも、私により穏やかなところをお見せになったと思っておりました。オリゲネスのしたことは思慮を欠く行為だと思われていますし、それによって小さからぬ罪を犯したものとされます。私の場合は、それを行った他人が罪をかぶっているのであって、私を同じ罪から解放するためになされたことは、ごく短い時間にとっさになされたので、苦痛も少なかったのです。犯人たちが私に手を下したとき、私は熟睡していましたので、ほとんど苦痛を感じませんでした。・・後略・・ (*太字ゴチックは引用者=さとう (P.81~82)
本文には具体的な描写はないが、訳者注には、「睾丸が切り取られたのである」、とある。ブタの去勢を業とする者たちが雇われたそうだ。肉をやわらかくするための去勢は、牧畜文明圏では普通に行われている。「去勢」は西欧中世でも当然のことながら行われていたわけだ。
引用文には、「熟睡中だったので、ほとんど痛みは感じなかった」とあるが、それ以上の具体的な記述はない。もしそうだとすれば、そうとうに深い完全熟睡状態だったということになるが・・・。
わたしはこの新訳を読むまで、アベラールは局部全体を含めた「完全去勢」されたと思い込んでいたが、そうではなかったようだ。初期近代の美声を誇った歌手のカストラートたちと同じである。アベラールは、自分の強い意思でみずから去勢した神学者オリゲネスについて言及しているが、オリゲネスの場合も同様なのだろう。ちなみに『教会史』とは、かの有名なエウセビオスによるものだ。
アベラールについてのエピソードは、中央公論社版『世界の歴史』の別巻の「小辞典」を、たまたま中学生の頃に読んだときに知ったものだ。その猟奇的な事件は、それ以来アタマにこびりついたことはいうまでもない。そもそもエロイーズという女性名に感じるものがあるだけでなく(・・エロイーズのつづりは Heroise でありエロとはまったく関係ない。念のため)、男には去勢恐怖というものがあるからだろう。フロイトだっただろうか?
そんなこともあって、岩波文庫旧版の『アベラールとエロイーズ-愛と修道の手紙-』を、中世史への関心とからめて、30年以上前の大学2年の頃に読んだのだが、正直いって「愛の手紙」はさておき、「修道の手紙」はまったくもってつまらなかった。書簡の内容が、神学論のウェイトが高まるにつれて、面白みがなくなるのは仕方がない。その意味では、「愛の手紙」だけを訳出した今回の新訳は正解である。
なんせ、アベラール(1079~1142)は哲学史においては唯名論(=ノミナリズム)の創始者である。「オッカムのかみそり」で有名なフランシスコ会士のウィリアム・オッカムはその流れのなかにあり、英米派の哲学は唯名論の傾向が強いことを考えれば、アベラールについて知っておくことに損はない。唯名論の対概念は実在論である。
猟奇的な事件への関心が動機であっても、まったくかまわない。ぜひ 『アベラールとエロイーズ 愛の往復書簡』を読んでみることを薦めたい。
エピソードを中心に、人物について知ってから、その学説について知るというのは、けっして遠回りではない。
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