(インドの絵本に登場する火のついた尻尾でランカーを焼き払うハヌマン)
インド神話に登場するハヌマーンについて知っているだろうか。
数々の動物が神として信仰されているのがインドのヒンドゥー教である。日本でも比較的知られているのがガネーシャだろう。ゾウのアタマをもった商売繁盛の神様である。このほか、ウマのアタマをもったハヤグリーヴァ(=馬頭)については、このブログでもウマ年に取り上げている。
ハヌマーン(Hanuman)はサルである。人間のカラダにゾウのアタマがついているガネーシャとは違って、ハヌマーンはアタマの先から尻尾の先までサルである。ハヌマーンは神様ではないが、インドでは民間信仰の対象として愛されてきた。
ハヌマーンが登場するのは叙事詩の『ラーマーヤナ』。インド文学としては『マハーバーラタ』のほうが世界的に有名だが、インド文明が及んだ地域では、圧倒的に『ラーマーヤナ』の影響がつよい。タイ、ラオス、カンボジア、インドネシアに至るまで及んでいる。
さらにいえば、孫悟空が登場する中国の『西遊記』の源流のひとつはインドの『ラーマーヤナ』であるとされている。インド起源で中国で受容されたのは大乗仏教だけではない。ハヌマーンと孫悟空の関係について考えてみるのも面白い。
『ラーマーヤナ』は、王子ラーマとその后のシータをめぐる物語。ハヌマーンは猿王スグリーヴァの軍師として、魔王に誘拐されたシータの捜索で大活躍する。変幻自在で空を自由に飛び回り、火のついた尾っぽで魔王の宮殿を焼き払う(・・トップの画像)。
(胸を裂いてラーマとシータを示すハヌマーン wikipediaより)
そして、なによりもラーマに対する忠誠心の深さは比類ない。ハヌマーンは、胸を裂いてラーマとシータを示すのである(・・上掲の画像)。こういう感覚は日本人的には、ナマナマしすぎて敬遠したくなうのだが・・・。
ラーマはヴィシュヌ神の化身(=アヴァタール=アバター)とされインド民衆のあいだでは深い信仰の対象となっている。そんなラーマへの忠誠心のあついハヌマーンもまた愛されてきた。
■東南アジアのインド文明圏
『ラーマーヤナ』は、インド文明が及んだ地域には大きな影響を与えており、タイの仮面舞踊劇であるコーン、インドネシアの影絵芝居であるワヤンにおいても主要なテーマである。
20年ほど前にはじめてタイやインドネシアを歩き回ったとき、東南アジアには仏教もイスラームも超えた共通性があることに気がつかされた。その代表が神鳥のガルーダであり、ハヌマーンなのである。タイでは王室関連でガルーダの紋章が使用され、インドネシアの国営航空はガルーダである。
タイの歴代の国王がラーマを名乗っていることにも注意しておきたところだ。古くは石碑で有名なラームカムヘン大王、そして現在のラタナコーシン王朝の国王は、初代から現在に至るまでラーマを名乗っている。現在のプミポン国王はラーマ9世である。
(タイの仮面舞踊劇コーンに登場するハヌマーン タイの出版物より)
多様な宗教が混在する東南アジアであるが、基層にあるインド文明、そして『ラーマーヤナ』が重要な要素であることはアタマのなかに入れておいたほうがいい。学術シンポジウムの記録である 『ラーマーヤナの宇宙-伝承と民族造形-(慶応義塾大学地域研究センター叢書)』(金子量重・鈴木正崇・坂田貞二=編、春秋社、1998)がその参考になる。この本では、ビルマ(=ミャンマー)やスリランカ、日本についても取り上げられている。
『ラーマーヤナ』は、日本語訳が平凡社東洋文庫から出版されているが、全7巻とかなり長いのでなかなか躊躇してしまう。
さいわいなことに、子ども向けに童話化したものであるが『ラーマーヤナ(上下)-インド古典物語-』(河田清史、レグルス文庫、1971)として入手可能なので、物語そのものを知るにはたいへん都合がよい。もともと初版は戦時中に出版されたらしい。大東亜戦争が日本とアジアの距離を一気に縮めたのである。
(日本語でかんたんに読める『ラーマーヤナ』 筆者蔵)
■東西文明におけるサル
仏教に限らず、アジア文明の源泉がインドにあることは、美術を中心に論じた岡倉天心の『東洋の理想』以来のテーマであるが、擬人化した知恵者のサルが登場する物語もまたインドが起源であることは、先に見てきたとおりだ。
興味深いのは、インドから東に向かってはサルの物語は伝播したが、インドの西には拡がらなかったという事実だ。
これは端的にいって、サルが生態系のなかに存在するかどうかの違いであろう。インドでも東南アジアでも中国でも日本でも、サルは当たり前の存在であるが、インドの西に拡がる砂漠の先にはサルはいない。アジア以外でサルが生息するのはアフリカ大陸である。
どうやら、アフリカへの本格的進出まで、西洋人はサルを見たことがなかったようなのだ。動物園が普及している現在からは考えにくいが、生態系のなかにサルが存在しない以上、当たり前といえば当たり前だろう。あくまでも珍獣という認識だろうか。
そう考えると、西洋人がかつてあからさまに日本人をサル扱いしてきたことや、ヒトとサルが同じ先祖をもつというダーウィン進化論を拒絶するアメリカの福音主義者たちの存在も理解できなくはない。サルには親しみを感じないのが一般的な西洋人なのであろう。
日本人として生まれ育った人間には想像しにくいが、サルに親しみを感じる感性は、どうやら人類共通のものではないようなのだ。
そう考えると、温泉ザルなどのニホンザルを見るために外国人観光客が増大中という近年の動向は、西洋人の認識に変化の現れかもしれないと思ってみたりもするのだが、さてじっさいはどうなのだろうか・・・。
インド神話のハヤグリーヴァ(馬頭) が大乗仏教に取り入れられて馬頭観音となった
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(2016年2月1日 情報追加)
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