2017年7月24日月曜日

たしかに「神の意志」は「忖度」(そんたく)しなけりゃわからない-『神の意志の忖度に発す-科学史講義』(村上陽一郎+豊田有恒、朝日出版社、1985)を読んでみた


「2017年度の流行語大賞」候補(だと、わたしが勝手に決めている)「忖度」(そんたく)ですが、タイトルに「忖度」が入った本はないかなと amazon で検索してみたところ、引っかかった数少ない本がこれ。

『神の意志の忖度に発す-科学史講義-(LECTURE BOOKS )』(村上陽一郎+豊田有恒、朝日出版社、1985)。 いまから32年前の1985年(昭和60年)に出版された本です。バブル前ということになります。

内容は科学史。日本を代表する科学史家の村上陽一郎教授と、SF作家の豊田有恒氏との対話。「アマゾン・マーケットプレイス」に1円の出品があったので、合計258円でゲット。さっそく読んでみました。

 「神の意志の忖度」とはなにかというと、西欧の「17世紀科学革命」はキリスト教の枠組みの中で生まれて発展したことをさしたもので、なんとか「神の意志」を知りたいという強い思いが自然研究者たちの研究を促し、科学(サイエンス)を発展させてきたという歴史的事実をさしたものです。

なるほど、「神の意志」は、たぶんそうだろうなと推測して「忖度」するしかありませんねえ。預言やお告げ(オラクル)という形で直接神の声を耳にするごく少数の人以外は。その「忖度」によってみずからが構築した「仮説」を、観察と実験で検証するのがサイエンスというものです。

なお、「神の意志の忖度」というフレーズを使用しているのは豊田氏で、本書のなかで3回使用しておりました。(*太字ゴチックは引用者=さとう による)

人間というものは、神の意志がどこにあるかと言うことを忖度しようと思ったことが科学の進歩のもとになったということなんですね。(P.104)

それは科学というものを築こうというものじゃなくて、単なる神の意志を忖度するということの働きから起こってきたんですね。(P.106)

それも、ヨーロッパ世界では、神の意志を忖度するようなものがあって、それと進歩史観が絡み合うから、一番簡単なものから進歩してきたというふうに考えたいという、潜在意識的な操作が働いているのでしょうね。(P.175)


村上陽一郎氏は、豊田有恒氏の問いかけに対して「はい」と答えてはいるものの、さすがに自身ではそのような不用意な表現はつかってません。たぶん編集者が「これだ!」と膝を打ってタイトルに入れたのでしょう。

サイエンスがキリスト教のなかから生まれたのに、なぜ中国やイスラーム圏では生まれなかったのか? この問いとそれに対する答えは、すでに日本の教育でも常識になっていると思いたいのですが、はたしてどうでしょうか。答えは、本書のタイトル通り、「(キリスト教の)神の意志の忖度」にあるわけですがね。

ひさびさに充実した内容の「科学史」の本を読んで、アタマが整理されたのはよかったのですが、残念ながら「忖度」そのものの理解は深まらなかったというのが今回のオチでしょうか。いや、それで済ませてしまうわけにはいきませんよね。つづけましょう。

現代の世俗的な日本社会では、神ならぬ権力者の「意志を忖度する」のであります。権力者は、明示的な形で命令も要請もしないので、証拠はいっさい残らない。文字として残らないだけでなく、ICレコーダーで秘密に録音されることもない。語らずして悟らせる、これですね!

「空気」を読むことに長け、「行間」を読む能力に長けた日本人には、「忖度」など得意中の得意技ではありましょう。「忖度」もまた、コミュニケーションの一種ではあります。「あうんの呼吸」。「忖度」できる部下は、上司から寵愛されるわけです。

とはいえ、西欧人にも「神の意志を忖度」してきた人たちもいるわけですから、「忖度」なる意識の働きは、けっして日本特有のものとはいえないと結論しても間違いではないでしょう。

まあ、それが結論というところでしょうか。






PS 「2017年度の流行語大賞」は「忖度」に決まり!

2017年度の「ユーキャン新語・流行語大賞」に、「インスタ映え」とともに「忖度」が選出された。古くて新しいコトバとして、今後もしばらくは使用されることだろう。 (2018年2月15日 記す)




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■世間と空気

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?

映画 『偽りなき者』(2012、デンマーク)を 渋谷の Bunkamura ル・シネマ)で見てきた-映画にみるデンマークの「空気」と「世間」

ネット空間における世論形成と「世間」について少し考えてみた


■科学史

書評 『人間にとって科学とはなにか』(湯川秀樹・梅棹忠夫、中公クラシック、2012 初版 1967)-「問い」そのものに意味がある骨太の科学論

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書評 『インドの科学者-頭脳大国への道-(岩波科学ライブラリー)』(三上喜貴、岩波書店、2009)-インド人科学者はなぜ優秀なのか?-歴史的経緯とその理由をさぐる

書評 『こころを学ぶ-ダライ・ラマ法王 仏教者と科学者の対話-』(ダライ・ラマ法王他、講談社、2013)-日本の科学者たちとの対話で学ぶ仏教と科学

書評 『「科学者の楽園」をつくった男-大河内正敏と理化学研究所-』(宮田親平、河出文庫、2014)-理研はかつて「科学者の楽園」と呼ばれていたのだが・・



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