(斜めの角度から撮影した西武百貨店船橋店 筆者撮影)
百貨店業態が「冬の時代」から「死滅」への流れは、抗いがたい時代の流れではあるが、西武百貨店船橋店もまた「閉店」するのだというニュースが2017年8月26日に流れた。まことにもって残念なニュースである。
経済を専門とする日本経済新聞には以下のような記述がある。
西武船橋店が閉鎖、駅周辺の顧客争奪で苦戦(日本経済新聞、2017年8月26日)https://www.nikkei.com/article/DGXLASFB25HDS_V20C17A8L71000/
西武船橋店(千葉県船橋市)が閉鎖に追い込まれた背景には、船橋駅周辺での商業施設間の競争激化がある。東武百貨店船橋店(同市)などとの顧客争奪戦に加え、市内にはららぽーとTOKYO―BAYやイオンモール船橋などもあり、西武船橋店は苦戦を強いられていた。西武船橋店は2018年2月末の閉鎖後、複合施設への転換で再出発を目指す。 (・・中略・・)
船橋市は大型商業施設がひしめく激戦地だ。JR東日本や東武鉄道、京成電鉄の3社が乗り入れ、1日40万人以上が利用する船橋駅には駅直結の東武船橋店もある。駅前ではJR東日本が18年春に商業施設やビジネスホテルが入る複合施設を開業する計画で、駅周辺の競争環境は一段と厳しくなる見通しだ。 (・・後略・・)
記事によれば、西武百貨店船橋店は1967年9月の開業で、ことしはちょうど50周年の節目だったのだ。そう知ればなおさら残念な気持ちになる。
駅前の好立地であっても、船橋市を含む東京湾岸地域(ベイエリア)が商業激戦地であることを考えれば仕方ない。売り上げもピーク時の1991年の3割に落ちていたいうのだから。
上掲の写真は、意図せずに斜めの角度から撮影した西武百貨店船橋店であるが、右隣で建設中だったホテルの影が映いこんでいる。業績だけでなく、店舗も傾いたようになってしまったのは、これまた意図せざる行為であろうか。
(西武百貨店船橋店の屋上のヒツジ 夏場はここがビアガーデンに 筆者撮影)
わたしの高校時代は1970年代後半にあたるが、その頃はほぼ毎週土曜日には通っていた。というのも、西武船橋店には当時、書店のリブロだけでなく、なんと「美術館」まであったからだ。
バブル発生前の1980年代の前夜、「セゾン文化」のはしくれは船橋でも享受できたのだ。その後の1980年代後半の「バブル時代」と「セゾン文化の時代」は同時代現象として進行したが、船橋のような土地でも、採算度外視で文化事業を遂行した堤清二氏は、じつに偉大だったとつくづく思う。
いまのわたしがあるのも、高校時代の西武百貨店通いがあったおかげだと思っている。東京まで出なくても「文化」の末端を知ることができたからだ。
流通業態としての百貨店にはもはやレゾンデートルはないにしても、かつて担っていた文化機能の重要性については指摘しておきたい。
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