美術展 『ベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで』にいってきた(2017年8月4日)。東京・渋谷の Bunkamura にて。
Bunkamura の美術館はテーマ性の強い美術展をよく開催しているが、今回の美術展はベルギーにおいては現代にまで続く「奇想」の系譜を16世紀のヒエロニムス・ボスからたどってみるという、知的好奇心を大いに刺激してくれる内容だ。
大学時代に河村錠一郎教授の「美術史」の授業を受講して以来、ヒエロニムス・ボスも、ベルギー象徴派も大好きなわたしにとって、これは絶対にいかなくてはならない美術展なのだ。
まずは、美術展の主催者によるイントロダクションをそのまま引用させていただくこととしよう。短い文章に凝縮された内容の解説は、そのままベルギー美術史入門になっている。
500年の美術の旅-古今のスター作家が勢揃い現在のベルギーとその周辺地域では、中世末期からの写実主義の伝統の上に、空想でしかありえない事物を視覚化した絵画が発展しました。しかし18世紀、自然科学の発達と啓蒙思想がヨーロッパを席巻するなか、不可解なものは解明されてゆき、心の闇に光が当てられるようになります。
かつての幻想美術の伝統が引き継がれるのは、産業革命後の19世紀、人間疎外、逃避願望を背景とした象徴主義においてでした。画家たちは夢や無意識の世界にも価値を見出し、今日もこの地域の芸術に強い個性と独自性を与えつづけています。
本展では、この地域において幻想的な世界を作り出した一連の流れを、ボス派やブリューゲルなどの15・16世紀のフランドル絵画に始まり、象徴派のクノップフ、アンソール、シュルレアリストのマグリット、デルヴォー、そして現代のヤン・ファーブルまで、総勢30名の作家によるおよそ500年にわたる「奇想」ともいえる系譜を、約120点の国内外の優れたコレクションでたどります。
3つのパートにわかれた構成になっている。
Ⅰ. 15~17世紀のフランドル美術Ⅱ. 19世紀末から20世紀初頭のベルギー象徴派、表現主義Ⅲ. 20世紀のシュルレアリスムから現代まで
ⅡとⅢは連続しているが、ⅠとⅡのあいだはすこし時間があいているのは、上記の解説文のとおりだ。「奇想」は19世紀以降、ふたたび蘇ったのである。
以下、つれづれに感想を記しておく。あくまでも独断と偏見に満ちた個人的な感想だ。
(上掲の「トゥヌグダルスの幻視」の図解 作品リストより)
■「聖アントニウスの誘惑」というテーマ
「聖アントニウスの誘惑」というモチーフが、何度もでてくるが、よほどフランドルでは気に入られたテーマのようだ。
奇妙キテレツな怪物たちが、瞑想修行をする隠修士の聖アントニウスに次から次へと襲いかかってくるというモチーフだ。聖アントニウスは、紀元3世紀から4世紀にかけての人物。エジプトに生まれ、砂漠で修道生活を送った修道士の元祖的存在。
瞑想しているとさまざまな妄念になやされるが、その妄念が実体化すると怪物となる。怪物たちを写実的に描写したのはヒエロニムス・ボス以来のものもである。
現代人からみれば、むしろ「かわいい」(?)という感じさえしなくもないのだが、16世紀当時の人びとはどう感じたのだろうか? もはや中世人のようなとらえ方ではないだろう。
フランスの文豪フローベールに『聖アントワーヌの誘惑』という作品がある。19世紀にこのモチーフが蘇ったのはそういう背景もあるのだろか。ちなみに、おなじくフローベールの『三つの話』(トロワ・コント)の一篇は「サロメ」である。こちらはオスカー・ワイルドとビアズリーに影響している。さらには映画『愛の嵐』(ナイト・ポーター)にもサロメが所望した生首のモチーフが登場する。
ヒエロニムス・ボスの作品はあらためてよく眺めてみると、シンガポールのハウパー・ヴィラ(=タイガーバーム・ガーデン)を想起させるものがある。その心は何かというと、怪物たちがみなキッチュだということだ。
ハウパーヴィラに展開された想像力は、前近代の世界が近代と接触した際に生まれたものだ。21世紀の現在からみると、レトロキッチュ(?)ともいうべきか。
16世紀の西欧人と、20世紀の華人の想像力の奇妙な近似性を感じてしまうのはわたしだけだろうか。
■隣接するプロテスタント国オランダとの違い
フランドル地方はフラマン語地帯で、フラマン語は言語的にはオランダ語に近い。
だが、宗教改革後にプロテスタント圏となった低地のネーデルラント(=オランダ王国)に対して、フランドル地方はカトリック圏にとどまった。オランドとフランドルとの違いは、プロテスタントとカトリックの違いでもある。
装飾を徹底的に排除した簡素をたっとぶプロテスタントに対して、過剰なまでの装飾を強調したカトリック圏のバロック美術。後者に、「奇想」の系譜が温存されたのは、ある意味では当然かもしれない。
今回の美術展にはバロック画家のルーベンスの作品も展示されており、「奇想」がカトリック圏ならではのものであることもわかる。生活世界を描いたフェルメール作品を生み出したオランダには、イマジネーションを刺激する「奇想」は発生する余地がないのかもしれない。
現在のベルギーは、フラマン系とフランス系という異なる二民族が人工的に結合して誕生した王国だ。1830年のことである。おなじカトリック圏ということで合体したのだが、現在に至るまで人工国家とての性格は消えてなくならない。ゲルマン系のフラマン語とラテン系のフランス語の違いは、言語だけでなく文化にも及ぶ。
21世紀にはテロの温床にもなっているベルギーは、政治的には不安定だが、文化面では先進的である。二つの異なる文化圏が隣り合わせに存在するベルギーは、異種混合のメリットもあるのだろうか。
■「ベルギー象徴派」とシュールレアリスム
ベルギー象徴派は、英国のラファエル前派とならんで、わたしのお気に入りである。じっさい前者は後者の影響を受けているようだ。
今回も、ベルギー象徴派を代表するロップス、クノップフ、デルヴィルの作品が数点づつ展示されているのはうれしいことだ。いずれも「世紀末」にふさわしい作品の数々である。
ベルギーのシュールレアリスムには、デルヴォーやマグリットがある。デルヴォーは古典的な静謐な背景に裸女と骸骨といったイメージの作風、マグリットはコラージュ風の作品で有名である。
今回の美術展には、マグリットの代表作である「大家族」が展示されているのはうれしい。海辺で大きな鳩の画像が描かれている作品だ。
■「奇想の系譜」の楽しみ方
「奇想」と「幻想」は、厳密にいえば異なるカテゴリーなのだが、この両者はときに交錯しあい、不思議な雰囲気を生み出している。
「奇想」はどちらかというとアタマの産物でありアタマで楽しむ要素が強い。「幻想」は基本的にココロに訴求する要素が強い。
だが、「奇想」と「幻想」はかならずしも厳密に区分できるものでもない。アタマから生まれた産物をココロで楽しむ、そん雰囲気に浸る。そういう楽しみ方であって、なんら問題はないだろう。
「奇想の系譜」は美術史のテーマであるように見えながら、そう堅苦しい思いをする必要はない。要は、自分の好みの作品を見つけて、ひそかに悦に入れば、それでいい。
PS 2017年9月に講談社学術文庫から『「快楽の園」』を読む-ヒエロニムス・ボスの図像学-』(神原正明)が出版された。ヒエロニムス・ボスが描いたアレゴリカルな世界の解読に資するところがあろう。(2017年9月24日 記す)
<ブログ内関連記事>
■「奇想の系譜」と「幻想絵画」
「アルチンボルド展」(国立西洋美術館・上野)にいってきた(2017年7月7日)-16世紀「マニエリスム」の時代を知的探検する
「チューリヒ美術館展-印象派からシュルレアリスムまで-」(国立新美術館)にいってきた(2014年11月26日)-チューリヒ美術館は、もっている!
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米倉斉加年画伯の死を悼む-角川文庫から1980年代に出版された夢野久作作品群の装画コレクションより
■「美食大国」としてのベルギー
『ベルギービール大全』(三輪一記 / 石黒謙吾、アートン、2006) を眺めて知る、ベルギービールの多様で豊穣な世界
書評 『ターゲット-ゴディバはなぜ売上2倍を5年間で達成したのか?-』(ジェローム・シュシャン、高橋書店、2016)-日本との出会い、弓道からの学びをビジネスに活かしてきたフランス人社長が語る
■華人世界の「奇想の系譜」
書評 『HELL <地獄の歩き方> タイランド編』 (都築響一、洋泉社、2010)-極彩色によるタイの「地獄庭園」めぐり写真集
華人世界シンガポールの「ハウ・パー・ヴィラ」にも登場する孫悟空-2016年の干支はサル ③
(ハウパーヴィラにはこんなモチーフの展示物が多数 筆者撮影)
■ベルギーとは異なる道を歩んだオランダ
「フェルメールからのラブレター展」にいってみた(東京・渋谷 Bunkamuraミュージアム)-17世紀オランダは世界経済の一つの中心となり文字を書くのが流行だった
上野公園でフェルメールの「はしご」-東京都立美術館と国立西洋美術館で開催中の美術展の目玉は「真珠の●飾りの少女」二点
「ルーヴル美術館展 日常を描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄-」(国立新美術館)に行ってきた(2015年5月6日)-展示の目玉はフェルメールの「天文学者」
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