昨年(2018年)末のことだ。
たまたま一休みするために入った外神田の錬成公園で、大樹の前に設置されたベンチに腰掛けてから、ふと見上げると「松浦武四郎居住地跡」という案内看板(写真)が目に飛び込んできた。
おお! あの松浦武四郎の「一畳敷」は、もともとここにあったのか! 松浦武四郎は、「北海道」の命名者である。北海道が北海道となる以前、幕末の「蝦夷地」を徒歩で探検した先覚者だ。
そして、自宅の片隅に作ったのが「一畳敷」という書斎。「一畳敷」とは、「起きて半畳 寝て一畳」というフレーズから来たものだ。それだけあれば、人間生きていけるという最小限の居住空間の表現である。タタミ一畳あれば十分に寝ることはできる。座るスペースとしてはタタミ半畳で十分だ。
日本全国をめぐり、人生を旅に過ごした探検家は、最晩年の一年間を「一畳敷」で過ごしたのである。文字通り、すべてを始末した「身一つ」の身軽さ。
「一畳敷」と「北海道」。そのあまりにもスケール感の違いには驚くべきだが、本人はどんな思いをもっていたのだろうか? そんなことを考えてみる。
蝦夷地を探検した日本人といえば、樺太(サハリン)が島であることを世界ではじめて確認し、のちに「間宮海峡」として知られることになった間宮林蔵がまず想起されることだろうが、松浦武四郎の名前はぜひ記憶にとどめておいてほしい。
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「幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷 展」(INAXギャラリー)に立ち寄ってきた(2011年1月8日)
梅棹忠夫の幻の名著 『日本探検』(1960年)が、単行本未収録の作品も含めて 2014年9月 ついに文庫化!
・・その第3章が「北海道独立論-根釧原野」である。「大東亜戦争の敗戦後、樺太(サハリン)という辺境を失った日本列島において、あらたに辺境(フロンティア)となった北海道を取り上げたものだ」
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