2019年12月16日月曜日

書評 『天空の聖域ラルンガル-東チベット宗教都市への旅-』(川田進、集広舎、2019)-あえて中国内にとどまり中国共産党体制下でしたたかに生き延びるチベット仏教ニンマ派の学問都市の定点観測記録


チベット仏教というと、どうしてもダライ・ラマのことを想起してしまう。おそらく大半の日本人がそうだろう。

ダライ・ラマ14世をトップにいただく難民として、インドに亡命したチベット人の現状、そして高僧たちが英語圏を中心に世界中で教えを広めている状況については、日本でも日本語で書かれた書籍や情報、英語から日本語に翻訳された書籍などをつうじて、比較的広く知られている。

だが、あえて亡命の道を選ばなかった高僧たちも存在するのである。その1人が、本書『天空の聖域ラルンガル-東チベット宗教都市への旅-』(川田進、集広舎、2019)で取り上げられたジグメ・プンツォ師だ。

現在は、西部のチベット自治区と、東部の青海省と四川省に分割されてしまっているチベットだが、その東チベットのラルンガルでチベット仏教の学問センターを作り上げたのがニンマ派のジグメ・プンツォ法王(1933~2004)である。

チベット動乱(1959年)では亡命せず、文化大革命時代の宗教否定と宗教破壊を生き延び、中国共産党と折り合いをつけながら、したたかにチベット仏教を存続させることに成功している。ニンマ派は、主流派のゲルク派とは異なり、埋蔵経典を重視し、修行を注視とした密教的側面を重視している。

わたしもじつは、この本の存在を知るまで、ラルンガルについてはまったく知らなかったことを告白しておこう。たまたま amazon で「中国 宗教」の検索ワードで書籍検索をしている際に、この本の存在と、ラルンガルという宗教都市のことを知ったのだ。NHK・BSスペシャルで取り上げられていたことも知らなかった。

まずは表紙を飾る、偉容ともいうべき僧坊群の画像に圧倒され、こんな宗教都市が、しかもチベット仏教の学問都市が中国共産党の一党支配下で存在しているのか(!)という驚きであった。


(東側からみた破壊前のラルンガル Wikipediaより)

ラルンガルは、東チベットの隔絶した4000m(!)の谷あいの地に1980年に開かれた小さな学堂から始まり、1万人を超える学僧と、かれらが生活する僧坊群によって成り立っている宗教都市である。バックパッカーたちのあこがれの地となっているという。


(北側からみたラルンガル Wikipediaより)

そのあと、ネットでいろいろ検索してみたのち、この本を入手して読むことにしたのだ。ことし2019年に出たばかりの本である。


■中国語によるチベット仏教の普及

内容は、もともと中国現代文学を専攻していた中国語に堪能な著者が、中国現地でのフィールドワーク中に偶然その存在を知ることになったラルンガルについて、時系列で書きしるしたものだ。

著者自身の現地調査(もちろん中国共産党にとって政治的に敏感な存在なのでおおっぴらに調査はできない)と文献調査によって、弾圧と復興を続けながら生き延びてきたラルンガル自身の変遷と、ラルンガルについての著者自身の認識が深まりゆく姿が、この本の内容である。思ったより読みやすい。

中国国内にあるラルンガルは、中国国内に居住するチベット人だけでなく、漢人(これは中国の中国人のこと。国外に移住した中国人は「華人」でして区別する)も引きつけているのである。

天安門事件(1989年)以降、「拝金主義」が横行し、極度のストレス社会に疲弊している中国人のなかには、精神的飢餓状態にあって、キリスト教や仏教に救いを求める人も少なくないのが現状だ。本書にも、ラルンガルでは本格的な仏教修行ができるという、元エンジニアの漢人学僧の事例が2人紹介されている。

しかも、台湾や東南アジアの華人世界にも影響力は及んでいるのである。というのも、ラルンガルではチベット人僧侶が、チベット仏教の教えを中国語でレクチャーしているからだ。「中国語によるチベット仏教」という世界が存在することは、もっと強調すべきことだろう。なるほど、日本で開催されるダライ・ラマの法話イベントに台湾からの参加者が多いわけだ。


■英語世界と中国語世界のチベット仏教は融合するか?

チベット仏教の世界への拡がりは、亡命チベット人世界の中心をなすゲルク派による英語圏を中心とした西欧だけでなく、ニンマ派による中国語による華人世界にもある。前者だけでは事の半分しか見ていないことになるのだ。

現時点では、前者と後者には接点はないようだが(というのも、英語圏ではフリー・チベットと中国共産党批判は一体となっているからだ)、ラルンガルでは亡命しなかったゲルク派のパンチェン・ラマ10世のサジェスチョンにより、密教だけでなく顕教も一緒に習得できる体制をとっている。

この立場の背景にあるのは、東チベットで19世紀に始まった「リメ運動だという。宗派を超えたチベット仏教再活性化運動のことだが、これはブッダの教えと大乗仏教経典の学習を中心とした顕教を重視し、その基礎のうえで密教を修行すべきだというゲルク派の実践にも近いのではないだろうか。少なくともダライ・ラマ法王の姿勢にも近いように思われる。

チベット動乱(1959年)からすでに60年となり、ダライ・ラマ14世法王猊下もすでに84歳の高齢となっている。ダライ・ラマの後継者問題だけでなく、亡命チベット人世界の行く末もまた懸念される。

英語世界に普及しているチベット仏教と、中国語世界に普及しているチベット仏教。この両者が融合する日がくることがあるのかどうか、本書のテーマではないが、政治的な思惑もからんでくる。長期的な視点で見たら、それぞれ別の存在として発展していくのか、それとも融合していくのか。仏教の歴史も、キリスト教も踏まえて注視していきたいと思う。


■ラルンガルは今後どう生き延びていくのか?

2019年現在、中国政府はラルンガルの宗教ツーリズム化を推進しており俗化がはなはだしいようだ。徹底的な弾圧が行われているウイグル族は、観光資源としてのみ存在が認められていることを想起してしまう。

だが、どんな環境であれ生き延びるということが重要だ。生き延びることができれば、体制崩壊後に全面的に復興することは不可能ではない。これは、ソ連崩壊後のモンゴルの状況を考えれば理解可能であろう。

中国語世界に普及しているチベット仏教について知ることのできる本書の意義はきわめて大きい。将来的に中国共産党がどうなるのかは別にして、中国共産党の一党独裁下で宗教弾圧が強化される習近平体制の下でも、柔軟かつしたたかに生き延びてきたラルンガルの存在は、きわめて興味深いものがある。






目 次
巻頭カラーグラビア 
はじめに 
関連MAP 
第1章 ラルンガル事始め 
 重慶の男 ラルンガル入門 
第2章 ラルンガルの誕生 
 ラルンガルの創設者 小さな講習所から学院へ パンチェン・ラマとラルンガル ジグメ・プンツォ、念願のインド訪問 
第3章 ラルンガル粛正 
 成都からラルンガルへ ラルンガルを襲った惨劇 ついにラルンガルへ 日常と非日常のはざまで暮らす学僧たち 
第4章 ラルンガルを目指す人々 
 『ニンマの紅い輝き』 漢人たちはなぜラルンガルを目指すのか ジグメ・プンツォ学院長の逝去 ラルンガル再訪 
第5章 ラルンガル復興への道 
 復興の槌音 「チベット騒乱」後のラルンガル ネット上のラルンガル ソーシャル・キャピタルとしてのラルンガル
第6章 ラルンガルはどこへ行く 
 信仰なき宗教ツーリズム 商業化に揺れる鳥葬 ラルンガル改造計画 ラルンガルの後継者たち ラルンガルが問いかけるもの 
結びにかえて 
略年表 
資料 NHK制作「天空の宗教都市」評 
あとがき 
図版出典一覧 参考文献一覧





著者プロフィール
川田進(かわた・すすむ) 
1962年、岡山県生まれ。大阪外国語大学大学院修士課程修了。博士(文学)。現在、大阪工業大学工学部教授。研究領域は東アジア地域研究、表象文化論。1991年より中国、インド、ネパール等でチベット仏教やイスラームの宗教活動を調査。著書に『中国のプロパガンダ芸術』(共著、岩波書店、2000年)、『東チベットの宗教空間』(北海道大学出版会、2015年)がある。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<関連サイト>

出版社サイトでの書籍紹介(集広舎ウェブサイト)


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・・現在に生きる中国人の「精神的空虚」と「精神的飢餓」状態が、儒教や稲盛哲学を求めているのか?


 
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