2023年11月11日土曜日

書評『シオンズ・フィクション ー イスラエルSF傑作選』(シェルドン・テイテルバウム/エマヌエル・ロテム編、中村融他訳、竹書房文庫、2020)ー イスラエルこそSFそのものではないか!


イスラエルである。イスラエルののSFである。

音楽や演劇、それにダンスなどパフォーミングアーツが現代のイスラエル文化を代表していることは比較的知られているが、そもそもイスラエル文学じたい話題になることがあまりない。

そのイスラエル文学に、SFというジャンルが存在するのか、という驚きなのだ。

「イスラエル 社会」だったか忘れたが、検索にかけなければ、その存在を知ることも、手に取ることも、ましてや読むことなどなかったであろう。日本語版が出版されてから、すでに3年もたっているのだ。

だが、よくよく考えてみれば、イスラエルこそSFにふさわしい国はない。これは2人の編者の言うとおりだ。なんといっても、神話と伝承の宝庫としての「旧約聖書」である。それに『ユダヤ人国家』の著者によるユートピア小説。


ところが、この2つの源泉から生み出されたイスラエルという国家においては、1970年代に入るまでは、SFというジャンルは抑圧されていたらしい。

現在のイスラエルは「スタートアップ・ネーション」の異名をもつ「ハイテク立国」である。この現在の立ち位置からすると、イスラエルでSFというジャンルが当初から存在したものではなかったという事実が、逆に驚きである。



■イスラエルSFの成長と発展はイスラエル社会の変化と連動

原著のタイトルは Zion's Fiction: A Treasury of Israeli Speculative Literature, 2018 とのこと。イスラエル人の2人の編者たちが、イスラエルSFを英語圏の読者の紹介するために米国から発信したアンソロジーである。

「Zion」とは「シオン」のこと。英語で発音すれば「ザイオン」だが、シオンとは、イスラエルの地のこと。シオニズムのもとになったことばだ。

編者たちは、イスラエルSFを Zi-Fi(ザイファイ)とよんでいる。Zion's Fiction の略である。Sci-Fi(サイファイ=サイエンス・フィクション)のもじりであるが、Wi-Fi(ワイファイ)も連想させる。

収録されている作品はヘブライ語によるものが大半だが、ロシア系移民のロシア語のものもある。いずれも英語に翻訳されたものが、日本語版のテキストになっている。


(原著の英語版)

このアンソロジーに収録された作品をすべて読み終えてから、2人の編者による「イスラエルSFの歴史について」という中編の論考を読むと、イスラエルSFの成長と発展はイスラエル社会の変化と連動している、その事情がよくわかった。

1967年の「第2次中東戦争」の勝利が、イスラエル社会の分水嶺となったのである。「6日戦争」ともよばれるこの勝利によって、イスラエルは入植地を拡大していく政策へと舵を切っていく。

どんな国でも、建国期が脇目も振らずに邁進するために全勢力をその建国事業につぎ込む必要がある期間なら、その後の安定期に入ると社会統制はじょじょに不可能となっていく。

イスラエル社会もまたその例外ではなく、社会の変化にともなって、価値観の多様化が止められなくなっていったわけだ。

そういった社会背景のもとで、イスラエルSFというジャンルが芽生え、1980年代、90年代を経て、メディアの多様化ともあいまって成長し、またジャンルじたいの成長にともなって細分化されていくことになった。

インターネットの普及がそれに拍車をかけたことは、イスラエル社会やイスラエルに限らず、日本も含めた「グローバル的現象」であるといっていいだろう。かつてはチャンネルが2つしかなかったイスラエルのTV放送も、現在では多チャンネル化していることは言うまでもない。





「ディストピア」ものと「終末」ものが二大ジャンル

このアンソロジーは、2人の編者によれば、傾向として「ディストピア」ものと「終末」ものが多いという。むべなるかな。

聖書とホロコースト、この2つがユダヤ系イスラエル人の実存に大きな影響を与えている。聖書については、まったく縁のないユダヤ系イスラエル人はいないだろう。後者のホロコーストについては、直接の体験者が消えつつあることも含めて、原爆投下を体験している日本人と共通するものがある。

この2つに付け加えるなら、「他者認識」が通奏低音として流れている。読者としてのわたしにはそう感じられた。いいかえれば、他者との接触をつうじたアイデンティティのゆらぎと再確認の往還運動である。イスラエルが「他者」を意識せざるをえない環境にあるからだ。

青年期のイスラエルははるか昔の過去の話であるが、イスラエルは現在も生存の危機をつねに抱えている状況に変化はない。とはいえ、ソ連崩壊にともなう1990年代のロシア系移民の大量流入や、超正統派ユダヤ教徒人口の増大など、近未来にさらなる変動があることを予感させるからであろう。

「ユートピア」は、間違いなく挫折を運命づけられているのである。米国しかり、ソ連しかり。中国もまたそうであろう。イデオロギーにもとづくユートピア国家の末路である。

それがたとえ「ディストピア」であっても、未来を予測するための想像力を鍛えるツールになる。狭義の「サイエンス」フィクションというSFでなく、日本語で「思弁小説」と訳されている「スペキュラティブ」フィクションというSFで鍛えられる想像力

いまだやってこない「未来」を考察し、「過去」を異なる視線で見つめ直す

わが恩師の歴史学者・阿部謹也先生は「歴史はSFのようなものだ」と語っていた。未来へ向かうそれと過去に向かうそれとではベクトルの方向は違うが、SF的思考と歴史的思考は合わせ鏡のようなものだ。

SFジャンルの発展には、イスラエルという国のあり方じたいを変えていく可能性をもっていいるのではないか。『シオンズ・フィクション ー イスラエルSF傑作選』という大冊のアンソロジーを読み終えた現在の感想である。





目 次

まえがき(ロバート・シルヴァーバーグ) 

◆収録作品◆
「オレンジ畑の香り(“The Smell of Orange Groves”、2011)ラヴィ・ティドハー、小川隆 訳
 「スロー族」(“The Slows”、1999)ガイル・ハエヴェン、山田順子 訳 
「アレキサンドリアを焼く」(“Burn Alexandria”、2015)ケレン・ランズマン、山田順子 訳 
「完璧な娘」(“The Perfect Girl”、2005)ガイ・ハソン、中村融 訳 
「星々の狩人」(“Hunter of Star”、2009)ナヴァ・セメル、市田泉 訳
「信心者たち」(“The Believers”、2010)ニル・ヤニヴ、山岸真 訳
「可能性世界」(“Possibilities”、2003)エヤル・テレル、山岸真 訳 
「鏡」(“In the Mirror”、2007)ロテム・バルヒン、市田泉 訳
「シュテルン=ゲルラッハのネズミ」(“The Stern-Gerlach Mice”、1984)モルデハイ・サソン、中村融 訳
「夜の似合う場所」(“A Good Place for the Night”、2002)サヴィヨン・リーブレヒト、安野玲 訳
「エルサレムの死神」(“Death in Jerusalem”、2017)エレナ・ゴメル、市田泉 訳
「白いカーテン」(“White Curtain”、2007)ペサハ・エマヌエル、山岸 真 訳
「男の夢」(“A Man’s Dream”、2006)ヤエル・フルマン、市田泉 訳
「二分早く」(“Two Minutes Too Early”、2003)グル・ショムロン、山岸真 訳
「ろくでもない秋」(“My Crappy Autumn”、2005)ニタイ・ペレツ、植草昌実 訳
「立ち去らなくては」(“They Had to Move"、2008)シモン・アダフ、植草昌実訳

「イスラエルSFの歴史について」(テイテルバウム/ロテム)
あとがき(アーロン・ハウプトマン)
謝辞
編者紹介
訳者(代表)あとがき



編者プロフィール 
シェルドン・テイテルバウム(Sheldon Teitelbaum)
1944年、テルアビブ生まれ。1970年代なかばからイスラエルSF/ファンタジー界の中心人物として活動。イスラエル・サイエンス・フィクション&ファンタジー協会(ISGF&F)創設の原動力となり、その初代会長を務め、毎年恒例のSF大会Iコンをはじめとするファン活動を創始した。フランク・ハーバートの『デューン 砂の惑星』を始めとして、アシモフ、クラーク、ハインライン、ギブスン、ティプトリー・ジュニアら、多くの欧米作家の翻訳を手掛けた。ISSF&Fは、20周年に当たる2016年に生涯功労賞を彼に授与した 

エマヌエル・ロテム(Emanuel Lottem)
1955年、モントリオール生まれ。イスラエルへ移住し、空挺旅団の幹部将校として軍務につく。イスラエルでは軍務を果たすかたわら、草創期にあったイスラエルの雑誌 “ファンタジア2000” の編集委員となった。軍役を終えるとジャーナリズムの世界へ。1986年にロサンジェルスへ移住。カナダの第1回ノーザン・ライツ賞の受賞者であり、ブランダイス大学の主催するユダヤ人出版報道賞を3度受賞している.
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



PS amazonの「アソシエイト・ツールバーの画像リンク作成機能の提供終了」が告知されていた(2023年11月10日)。まったくもって迷惑な話である。

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・・ヘッセのこの長編小説は「スペキュラティブ・フィクション」という意味においてSFである


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