黒船による「開国」で始まった日米関係。建国から100年に日本を「開国」させたアメリカ、「開国」によって国際社会への登場を強いられた日本。
当時は日米ともに「新興国」であり、「近代文明」の先輩格であるアメリカと、「近代化」でキャッチアップを図ることになった日本の関係は良好なものであった。
日米関係の分水嶺になったのは日露戦争(1904~1905)である。
開戦当初は、大国ロシアと戦う小国日本に同情的だった米国世論であったが、日本の優勢が目立ち始めると世論が劇的に変化が始まる。そのころから「黄禍論」が台頭するようになり、「排日移民法」の成立などにより日本国内の世論も硬化、最終的に日米戦争にいたった歴史はよく知られていることだ。
日露戦争の前後にアメリカで大流行したのが「柔術」(jiu-jitsu)であった。具体的にいえば1900年にブームが始まり、1906年にはブームが終焉している。柔術ブームは、大衆消費社会に出現した現象であったのだ。
『柔術狂 ― 20世紀初頭アメリカにおける柔術ブームとその周辺』(藪 耕太郎、朝日選書、2021)は、そんな知られざる歴史を、具体的な人物に即して掘り起こし、アメリカの新聞メディアに登場した言説を丹念に読み解くことで解明したスポーツ文化史の労作である。
「柔術」といえば、現在ではグレーシー一家の「ブラジリアン柔術」を連想することが一般的であろう。「日本固有の伝統文化」としてアメリカで喧伝された「柔術」だが、アメリカで受け入れられたのは武術としてよりも、健康法の一環としてであったようだ。
アメリカでは大衆文化としてもてはやされた「柔術」、ハイブラウな文化として参入をはかった「柔道」。後者の柔道は明治時代になってから生まれたものであり、前者の柔術は前近代からのもじょとはいえアメリカで変容している。 したがって、両者ともに「日本固有の伝統文化」とは言い難い。
とくに「柔道」にかんしては、日本のナショナリズムの確立と同時の「創られた伝統」であったことをを知っておかなくてはならないだろう。「近代武道」という表現は、まさにそのことを示している。
セオドア・ルーズベルト大統領が「柔道」を稽古していることを公表したのは、中国政策をめぐって日本に好意的な世論をつくるための政権の広報戦略の一環であったという指摘が興味深い。日露戦争を語る際には留意しておきたいことだ。金子堅太郎の話ばかり持ち出すと間違いかねない。
日米関係は、近代文明の先輩格である超大国アメリカと日本の非対称的な関係である。とはいえ、日本人が一方的にアメリカナイズされているわけでもない。この200年の歴史においては、紆余曲折があるとはいえ、相互浸透していることもまた事実である。
日米文化交流史の一側面として、本書はじつに面白い内容であったが、博士論文をベースにしたものであるためだろう、ややディテールにこだわりすぎているのが難点かもしれないが、詳細な註も参考資料として有用だ。
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目 次序論第1章 熱狂のとば口 ― ジョン・オブライエンと20世紀初頭のアメリカ補論1 世界大戦と柔術 ― リッシャー・ソーンベリーを追って第2章 柔術教本の秘密 ― アーヴィング・ハンコックと「身体文化」補論2 立身出世と虚弱の克服 ―「身体文化」からみた嘉納治五郎第3章 柔術家は雄弁家 ― 東勝熊と異種格闘技試合を巡る物語補論3 私は柔術狂! ― ベル・エポック期パリの柔術ブーム第4章 柔道のファンタジーと日露戦争のリアリズム ― 山下義韶と富田常次郎の奮戦補論4 日本発祥か中国由来か ― 「日本伝」柔道を巡って第5章 「破戒」なくして創造なし ― 前田光世と大野秋太郎の挑戦補論5 「大将」と柔術・「決闘狂」と柔道 ― 南米アルゼンチンにおける柔術や柔道の受容 あとがき註/史料・文献/図版出典一覧
著者プロフィール藪 耕太郎(やぶ・こうたろう)1979年兵庫県生まれ。仙台大学体育学部准教授。2002年、立命館大学文学部文学科(英米文学専攻)卒業。2011年、立命館大学大学院社会学研究科(応用社会学専攻)博士後期課程修了。博士(社会学)。専門は体育・スポーツ史。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
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