「アタマの引き出し」は生きるチカラだ!
"思索するビジネスマン" が惜しみなく披露する「引き出し」の数々。ビジネスを広い文脈のなかに位置づけて、重層的かつ複眼的に考える。
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2014年7月5日土曜日
『近代の超克 ― 世紀末日本の「明日」を問う』(矢野暢、光文社カッパサイエンス、1994)を読み直す。 出版から20年後のいま、日本人は「近代」と「近代化」の意味をどこまで理解しているといえるのだろうか?
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「近代」とはなにか? 「近代」とは日本にとっていかなる時代だったのか? すでに「近代」が終わって次の「大きな時代」への移行期の渦中にあるのだが、 どうも「この「近代」というものをキチンと対象化しないまま21世紀も2010年代の半ばにさしかかっているのではないか 、どうも...
2012年12月30日日曜日
書評『「東洋的専制主義」論の今日性 ー 還ってきたウィットフォーゲル』(湯浅赳男、新評論、2007)ー 奇しくも同じ1957年に梅棹忠夫とほぼ同じ結論に達したウィットフォーゲルの理論が重要だ
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ウィットフォーゲルと梅棹忠夫 。生涯まったくかかわりのなかったドイツの社会科学者と日本の民族学者は、 まったく別個のアプローチから出発したのであるが、奇しくも同じ1957年にほぼ同じ結論に達した のである。これは本書の第5章「ウィットフォーゲル理論の残したもの」に記されてい...
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