昨日(2026年9月22日)のことだが、映画『利休』(1989年、日本)を DVD で視聴した。 リアルタイムでは見ていないので、公開から37年目に初めて視聴したことになる。
「バブル時代」の1989年の自分は、あまりにも多忙で、かつ心身ともに多難な年であった。この映画の存在を知らなかったのかどうか、それすら記憶にない。
利休とは千利休のことだ。茶の湯を大成し、のちの茶道につながる道をつくあげた人物である。
その利休を主人公にして、利休が側近として仕えた秀吉、そして秀吉の弟である秀次や石田三成など周辺の人物たちがからみあい、利休の死に到るまでの10年間を描いた、アート系の伝記映画である。
原作は、野上彌生子の『利休と秀吉』だそうだ。この映画は、利休と秀吉という、まさに極めつけの個性の持ち主だった「ルネサンス人」たちの葛藤劇というべきだろう。
生け花の草月流の第三代家元の監督のもと、利休を演じる三國連太郎と秀吉を演じる山崎努などの名優たちや、美術や音楽には当時を代表するようなアーチストが多数参加している。
音楽はあるが、ナレーションによる説明も解説もまったくない映画なので、ある程度の背景知識がないと、この映画を読み解くのは難しい。
もし公開当時に見ていたとしても、茶道の心得があるわけでもない自分は、よく理解できないで終わったことだろうな、と。
■「天下人」と「天下一の宗匠」
利休がその美意識を完成させたのが、信長のあとを継いで天下一統を完成し、「天下人」となった秀吉の茶頭、すなわち「ナンバーワンの茶人」として仕えた10年間のことである。
「天下人」の秀吉、「天下一の宗匠」と呼ばれるようになった利休。政治とアートの両輪で回っていたのが、16世紀後半の「桃山時代」の日本である。時代は中世から近世への移行期であった。その点で、本家本元のイタリア・ルネサンスとよく似ている。
戦国時代という「下克上革命」によって農民から成り上がり、新興勢力の代表として権力を握った秀吉は、天皇という既存の権威を巧みにあやつりながら、みずからの権力の地盤固めを行う。そして、その秀吉のパートナーであったのは、自由港であった堺に生まれ育った町人出身の利休。
戦国武将としてだけでなく、派手好みで発想は自由奔放、しかも独自の美意識をもっていた秀吉。「茶の湯」をアートとして極限まで突き詰め、「日本的美意識」をつくりだした利休。
利休と秀吉は、ともにみずから茶を点て、花を生ける人である。茶室においては、上下関係なくみな平等であり、主客が入れ替わることが可能である。これが茶の湯の本質なのであろう。 茶室という空間において、主客は対等な関係としてパートナーを組むことが可能だったのだ。
日本の「ルネサンス時代」というべき「桃山時代」に登場した、天才ふたりの協同と美意識と政治意識をめぐる葛藤。そして、側近として仕えた秀吉とのあいだで、ついに埋まることのなかった溝が、最終的に利休を死に追いやることになる。
「天下人」と「天下一の宗匠」であった二人。天才は天才を知り、ともに天才であるがゆえに互いを評価しあったわけだが、ともに天才であるがゆえに最終的に相容れなかったのであろう。
■余韻あるラストスシーンと意図せず重なり合う2つの時代
信長時代の末期から始まり、秀吉との密接な関係の10年間の日々。利休が秀吉に詫びを乞うことなく運命を受け止め自刃へと向かうのは、利休の矜恃というべきであろう。
竹林のなかを歩み去って行く利休。余韻の残るラストシーンである。だが、この映画では腹を切り、介錯人によって首が切り落とされるシーンは描かれない。勅使河原宏監督の美意識は、映画『憂国』の原作者であり、監督も主演もした三島由紀夫の美意識とは異なるのであろう。
「利休の最期」というと、どうしても岡倉天心の『茶の本』(The Book of Tea)の最終章 Ⅶ. Tea Masters における、死を前にした利休(Rikiu)の茶会と弟子たちとの別れ、自刃にまつわるの美しい文章を想起してしまう。だが、天心の文章は創作にもとづくフィクションであり、史実とは異なるようだ。
もちろん、利休の生涯についても、残された史料の制約もあって、そのすべてが明らかになっているわけではない。「利休の最期」についても、クリエーターがイマジネーションを働かせる余地が多いのである。
公開37年目にして初めてこの映画を見ていて思ったのは、まさに「バブル時代」のまっただ中に製作され公開されたこの作品が、「バブル崩壊」を暗示しているかのように思われることだ。
秀吉との意識の乖離が、諌言を発して秀吉の不興を買うこととなり、最終的に利休の自刃に到るわけだが、その伏線にあるのは秀吉の弟でナンバー2であった秀次の病没である。
「朝鮮出兵」へと突き進もうとする秀吉の暴走を止める存在がなくなったのである。その果てに待っているのは、豊臣氏の滅亡である。もちろん当事者の関知するところではなかっただろうが。
利休の死によって「日本のルネサンス時代」は終焉へと向かい、「バブル時代の日本」もまた暴走の末に自壊へと向かっていく。
前者の背景にあった「第1次グローバリゼーション」も終焉へと向かい、後者の背景にあった「第3次グローバリゼーション」も暴走の末に終焉に向かうことになる。「バブル崩壊後の日本」は、グローバリゼーションの終焉を先取りしていたといえようか。
監督や制作陣の意図には関係なく、「桃山時代」と「バブル時代」という2つの時代が重なりあって見えてしまうのは、後の世に生きる者だけがもつ視線というべきか。
■「桃山時代」と違って「バブル時代」はなにも生み出さなかった?
「桃山時代」は、その後の時代につながるような文化を生み出したが、「バブル時代」は狂乱の時代であり、なにものも生み出さずに泡のように弾け散った。
「バブル時代」が終わっことが確認されてからしばらく、そんな言説が当たり前のように語られていたことを思い出す。バブル時代はあだ花を咲かせて終わったのだ、と。
だが、はたして「バブル時代」は現在につながるような文化を生み出さなかったのかどうか、いろいろ検証してみることが必要だろう。時間が立たないと見えてこないものがあるからだ。ポップカルチャーの世界では、それこそ枚挙に暇(いとま)がないないにではないか?
映画『利休』を視聴して、そんなことを考えた。
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<参考文献>
その他
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・・伊藤左千夫は茶人でもあった
・・茶の湯が器である陶器づくりを促進。利休が反対した「朝鮮の役」で連れてこられた朝鮮の陶工たちは日本に定着することを選択
・・正座が日本全体に普及したのは明治時代以降
・・「わびさび」でも「武士道」でもない日本
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