日本ではすっかり、師走の風物詩となった「第九」を聴きにいってきた。ベートーヴェンの第九交響楽のことである。
芸術にたいへんチカラを入れている、東京の私立学園・玉川大学の毎年恒例の「第九演奏会」である。
毎年ご招待いただいているのだが、昨年も一昨年もバンコクにいたため残念なことに出席できなかった。というわけで今年は久々の「第九」だ。
●指揮:秋山和慶
●ソプラノ:大倉由紀枝
●メゾ・ソプラノ:永井和子
●テノール:錦織 健
●バリトン:木村俊光
●管弦楽:玉川大学管弦楽団
●合唱:玉川大学芸術学部合唱団
●会場:サントリーホール(赤坂)
演奏内容については素晴らしかったのはいうまでもない。さすがに100人を超える合唱の響きは違う。リヒャルト・シュトラウスの「祝典前奏曲 作品61」とあわせて2時間弱、たっぷりたのしませていただいた。
「第九」というと第4楽章の合唱(コラール)がハイライトになるが、日本では「歓喜の歌」あるいは「よろこびの歌」として知られている。
これはドイツの文豪フリードリヒ・シラーの1786年の詩「喜びに寄せて」(An die Freude)をベースにベートーヴェンが若干手を入れたものである。ドイツ語の原詩とその日本語訳は Wikipedia でみることができる。
「第九」が初演された1824年には、ベートーヴェンはすでに聴力を完全に失っていたようだが、シラーの原詩の朗読が YouTube にアップされている。ドイツ人は、ほんとに詩や文章の朗読が好きですね。耳で聴くドイツ語の響きは、あまり心地よいとは思わないのだが。
ここには再録しないが、日本語訳を読むと、神やケルビムといった天使がレトリックとしてでてくるのでキリスト教色が強いようにみえるが、全体にみなぎる「啓蒙主義思想」が濃厚に現れていることに気がつかされる。
作詩当時のシラーが理想とした「市民社会」は啓蒙思想の申し子であり、同じく啓蒙思想の申し子であるフランス革命の時代に生きたベートーヴェンの楽曲もまた、その色彩を強化しているようだ。
ところで、「歓喜の歌」といえば、1985年には「欧州連合賛歌」(EU賛歌)として採用されている。
しかしながら、ドイツ語でも英語でもなく、歌詞はラテン語。あらたに作詞された"替え歌"のようで、正式な連合歌(?)にはなっていないらしい。
共通語を英語(イギリス英語)にしている欧州連合(EU:European Union)も、EU賛歌には英語の歌詞を使うのは避けているようだ。
歌詞をラテン語にしたのは、欧州の歴史的経緯からみれば、無難な選択であるようにもみえるが、"学のない一般大衆"には無縁の選択であるといえなくもない。こんなところにも、欧州官僚のエリート主義がかいまみられて、"EU市民"による内部からのEUに対する拒否感、嫌悪感を誘発しているようにもみえる。
それはさておき、YouTube にラテン語歌詞での合唱がアップされているので聴いてみよう。
◆Hymnus Latinus Unionis Europaeae(ヨーロッパの連合のラテン語による頌歌)
(ラテン語) (英語訳)
Est Europa nunc unita Europe is united now
et unita maneat; United it may remain;
una in diversitate Our unity in diversity
pacem mundi augeat. May contribute to world peace.
Semper regant in Europa May there forever reign in Europe
fides et iustitia Faith and justice
et libertas populorum And freedom for its people
in maiore patria. In a greater motherland.
Cives, floreat Europa, Citizens, Europe shall flourish,
opus magnum vocat vos. A great task calls on you.
Stellae signa sunt in caelo Golden stars in the sky are
aureae, quae iungant nos. The symbols that shall unite us.
*ラテン語歌詞と英語訳は、このブログから引用した。
このようにラテン語に英語を対照させてみると、ほぼ一対一対応しているので理解しやすい(・・正確さについては留保が必要だが)。11世紀の「ノルマン・コンクエスト」の結果、英語の語彙の1/3(?)は支配者の言語であったフランス語系統になっているためだろう。フランス語はラテン語の俗語化である。
歌詞を詳細にみてみると、シラーの本歌から神や天使(ケルビム)といった要素をすべてなくして、"世俗的な""市民社会"をベースにした、政治連合としての欧州連合(EU)を高らかに謳いあげた内容になっている。もちろん基本線は、啓蒙主義思想の延長線上にある世俗主義であろう。
キリスト教は全面にはでていないが、opus magnum なんてフレーズは、ここでは人間による opus を指しているのだが opus Dei を連想させるし、神は背後に隠れているような印象も受けないではない。これはラテン語の性質にもよるのだろう。
欧州連合は、unita in diversitate (英語 unity in diversity)と謳っているが、果たして"異なる神"を受け入れる度量、真の意味での"寛容の精神"は存在するのだろうか。キリスト教徒ではなくても、歓喜に満ちて「第九」を歌いあげる日本人のように。
多様性(diversity)を全面に打ち出す以上、いかにして統一体(unity)として維持発展させていくか。フレーズとしては耳に心地よいが、多様性と統一は相矛盾する性格をもっている。
同様の"理念"を謳ったソ連邦が1991年に崩壊した事例は、このタスクの実現には、並大抵の努力では間に合わないことを示しているといってよいのではないか。
多様な諸民族の上に、"メタ概念"(上位概念)として"ソビエト"を設定したソ連邦(Union of Soviet Socialist Republics)は欧州連合(European Union)とは違うという意見もあるだろうが、英語の Union という政治概念を使用する以上、まったく異なる政治形態とはいえまい。社会主義もまた、啓蒙主義思想の延長線上にある。
ソ連邦に所属した各共和国も、ソ連憲法上は離脱可能性は保証されていたのである。だから解体したのだ。まさに言うは易し、行うは難し・・・欧州連合の"メタ概念"とはいったい何なのだろうか?
21世紀の寛容の精神のモデルとして、欧州連合はこのままやっていけるのだろうか? トルコやアルバニアなど非キリスト教国である、ムスリム諸国の欧州連合への統合参加はありうるのだろうか?
来るべき「アジア連合」(?)のモデルとなりうるのだろうか?
懐疑的にならざるをえないと感じている私である。