2010年2月15日月曜日

書評『オーラの素顔 美輪明宏のいきかた』(豊田正義、講談社、2008)ー「芸能界」と「霊能界」、そして法華経




「芸能界」と「霊能界」の双方にまたがって生きる、美輪明宏という存在を客観的に描いたノンフィクション

 『オーラの素顔 美輪明宏のいきかた』(豊田正義、講談社、2008)は、徹底的な取材で明らかになった美輪明宏という人生のすべて。

 取材対象に対してプロとしての仕事を放棄せず、事実関係の確認は絶対に手を抜かないジャーナリストによる、ノンフィクション作品である。

 もちろん取材対象に対する共感がベースにあるものの、対象を美化することも、取材対象のいうことを鵜呑みにすることもない。その結果、本人も知らないという「美輪明宏像」を描くのに成功した。

 とくに美輪明宏を語るにあたって触れないわけにはいかない、霊(スピリチュアル)の話に対する著者のスタンスは、客観的であり絶妙というしかない。

 美輪明宏の人生は、まさに文字どおり波乱万丈である。「彼」が歌うシャンソンの世界そのものであり、エディット・ピアフにも勝るとも劣らない、激しい、まさに壮絶ともいうべき人生。貧しさ、被爆、失恋、裏切り、絶望・・・・しかし決してめげることなく生き抜く強靭な精神力と生命力。そして復活。

 現在の華やかな活躍だけを見ていたのでは、本当の美輪明宏はわからないのである。

 「芸能界」と「霊能界」の双方にまたがって生きる美輪明宏という存在は、まさに「彼」自身の信仰そのものである観音菩薩になりきって、菩薩行を日々実践する人生なのだろう。圧倒的な存在は、まさにオーラそのものである。

 毀誉褒貶(きよほうへん)あいなかばする存在、美輪明宏。

 美輪明宏を必ずしも好きでない人も、一度は目を通すことをすすめたい。


<初出情報>

■bk1書評「「芸能界」と「霊能界」の双方にまたがって生きる、美輪明宏という存在を客観的に描いたノンフィクション」投稿掲載(2010年1月6日)

 2009年に「講談社+α文庫」として、早くも文庫化されたので書評として仕立てておいた。




<書評への付記>

「芸能界」と「霊能界」、そして法華経について

 なんと今年で75歳!とはとても思えない美輪明宏(1935~)とは、一言でいえばどう表現したらいいのだろうか。

 「大霊界」の丹波哲郎亡き後は、スピリチュアル世界の代表者として、TV番組オーラの泉(放送は2009年9月に終了)に出演していた、自らを天草四郎の生まれ変わりと名乗る、真っ黄色に髪の毛を染めたTV霊能者? 

 類いまれなる美貌に恵まれ、三島由紀夫を始めとする作家からから愛されたシャンソン歌手であり、舞台俳優であり(・・女優ではない!)、何よりも広い意味でエンターテイナーであることは確かだ。いやアーチストというべきか。

 何よりも美輪明宏(本名:丸山明宏)という一人の個性は、好きだろうがキライだろうが、この日本という国において、際だって突出した存在であることは、誰も否定できないだろう。

 「芸能界」と「霊能界」が、きわめて親和性が高いのはあたりまえだ。もともと同じ根っこから伸びてきた幹である。そもそも芸能は神事に由来し、「霊界」とは、まさに神道でいう「幽明界」そのものであり、出雲神話のオオクニヌシノミコトが支配する「根の国」のことである。「あの世」は神道だけでなく、もちろん日本仏教においても、きわめて重要な世界と認識されてきた。英語でいえば the other world である。

 芸能の宗教起源が常識であることは、このブログでも何度も指摘しておいた。お神楽(かぐら)を見に行ってきた および 船橋大神宮の奉納相撲(毎年恒例10月20日開催)を見に行ってきた 神事から発生した相撲も広い意味の芸能である。神さまを歓ばせるために奉納されるという性格をもつ。
 
 また、芸能界はゲイ能界だから、というのは冗談として、ゲイ(=ホモセクシュアル)の人たちが芸能界やアーチストに多いことも、これまた常識であろう。しかもこの国では、ゲイの芸能者に対してきわめて寛容である。これはタイも同様で、タイのカトゥーイについて書いた文章でも触れている。タイのあれこれ (19) カトゥーイ(=トランスジェンダー)の存在感 タイの場合は、日本よりも幅広く遍在している。

 タイのカトゥーイについてでふれた文章のなかで紹介した女装家・三橋順子の見解にしたがえば、男女の性を超越した存在であるトランスジェンダー(・・ホモセクシュアルとは異なる概念)は、境界線を超えた存在であり、限りなく神に近い存在であると世界各地で見なされてきた。女装と日本人』(三橋順子、講談社現代新書、2008)を参照。

 日本でも、女装してクマソタケルを倒したヤマトタケルに現れているように、神話時代から一貫して存在しているのである。女装の男、男装の女によって演じられた日本の芸能は、けっして歌舞伎にはじまるものでなく、そもそもが有史以来今日まで一貫して続くものである。美輪明宏も日本の歴史に一貫して存在する「女装家」の一人ともいえるだろう。

 日本の宗教には「変成男子」(へんじょうなんし)という概念がある。女子が男子に生まれ変わることを指す。これはある意味では、両性具有(アンドロジーヌ)でもあり、精神分析学者のユング的にいえばアニムスとアニマの比率が通常の男女とは異なる存在であるというべきか。これも法華経に由来するものである。女子が男子に生まれ変わること。法華経・提婆達多品にあるという。デーヴァダッタのことである。


 美輪明宏のいう霊界の話については、私自身とくに霊能力感度の高い人間ではないので、何ともコメントしようがないが、それはさておき美輪明宏による「人生相談」は本当に面白い。

 波瀾万丈の、壮絶なまでの人生行路が、彼をして観音菩薩の存在にさせているのである。そして日々菩薩行(ぼさつぎょう)に徹しているという見方も間違っているとはいえない。

 法華経の菩薩行については、書評『男一代菩薩道-インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺-』(小林三旅、アスペクト、2008)を参照。佐々木師は日蓮宗の僧侶でインドに帰化し、インドの被差別民の新仏教運動を率いてきた人物である。

 本書『オーラの素顔』によれば、もっとも人生で苦しかったという20歳台半ばに『法華経』の信仰と出会った美輪明宏は、それ以来50年以上にわたって朝晩二回の法華経の読誦を習慣にしているという、スジがね入りの法華経信者である。この修行をつうじて霊能力が開発されたことが本書には記されている。これは彼自身のもともとの資質もあるし、また法華経そのもの性格の影響も大きいといえるのであろう。

 日蓮宗の僧侶は、「法華経の行者」ともいわれるように、信者である一般民衆の期待に応えるべく、祈祷師あるいは霊能者としての役割も期待されている。ちょうどこの時期に完了する、千葉県市川市の大本山・中山法華経寺の100日に及ぶ荒行(あらぎょう)は、修行者たちを極限状態に追い込んで、祈祷師としての能力を高めることも目的の一つとしている。

 法華経に登場する「鬼子母神」(きしもじん)の信仰は日蓮宗のなかにビルトインされた民間信仰であるが、これは仏教というよりも限りなくシャマニズム的である。そしてなによりも、南無妙法蓮華経というお題目がマントラ(呪文)そのものなのである。

 近代日本の「新宗教」は、「神道系」か「日蓮宗系」のほぼ二つの流れが圧倒的大半であると、宗教学者は指摘してきた。法華経系はそれだけ現代でもパワーのある宗教なのであろう。浄土系のような極楽往生ではなく、現世利益(げんぜりやく)の性格のきわめて強い宗教である。

 私自身は、生家が浄土系なので、法華経とはそれほど相性がいいわけではないが、美輪明宏はある意味で近代日本が生んだ日蓮信者の系譜のなかに位置づけることができあるのではないだろうかとも思う。宮沢賢治、北一輝、石原完爾、石橋湛山、土光敏夫、上原専禄、といった芸術家、思想家、軍人、政治家、実業家、歴史家・・といった綺羅星のごとき系譜のなかに、である。

 美輪明宏の世界観を知るためには、こういう背景があることを知らねばならないだろう。

 美輪明宏の『ああ正負の法則』(PARCO出版、2002)は私の愛読書の一つだが、この本は機会をあらためて紹介したい。

(2017年7月31日 一部加筆しました)



PS. 『ああ正負の法則』(PARCO出版、2002)の書評を執筆(2013年1月18日)

書評 『ああ正負の法則』(美輪明宏、PARCO出版、2002)-「正負の法則」は地球の法則である という記事をブログに書きました。一昨年(2011年)にフェイスブックで紹介した際に文章を書いてみましたが、タイミングを逸しているいるうちに、2013年になってしまいました。この記事から3年もたってしまったことになりますが、やっと約束を果たすことができたという思いです。



<ブログ内関連記事>

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・・上原専禄もまた戦前から戦後にかけて、在家の日蓮主義団体の国柱会会員であった

ここにも伊東忠太設計のインド風建築物がある-25年ぶりに中山法華経寺を参詣(2015年1月20日)
・・「『立正安国論』(りっしょうあんこくろん)など、日蓮遺文(・・日蓮の直筆原稿も多くこの寺に保存されているらしい。その貴重な直筆原稿を収めた「正教殿」(しょうきょうでん)が、伊東忠太設計の建築物」
 
(2015年1月20日 項目新設) 
(2015年12月1日、2017年7月31日 情報追加)


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