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本日は「建国記念の日」、戦前風にいえば「紀元節」だ。いわゆる旗日ですね。さきほど、雨が降る前に買い物すますためにちょっと散歩してみたけど、国旗掲揚が全然ないねー。いけませんなあ(・・といってる私も含む)。
そして西暦(グレゴリウス歴)2010年は、皇紀2670年である。
こんなこと書くと、お前は復古主義者か? 反動的だ! などと糾弾されるかもしれないが、別にそういう意図で書いたわけではない。暦(=カレンダー)について書いてみたいと思っただけだ。
日本の建国神話によれば、2070年前の本日2月11日(太陽暦)に初代の神武天皇が即位した・・・と思いきや、実際に即位したのは Wikipedia の項目「紀元節」によれば本日ではないらしい。
『日本書紀』によれば、神武天皇の即位日は「辛酉年春正月、庚辰朔」であり、日付は正月朔日、すなわち1月1日となる・・(後略)。
明治6年(1874年)文部省天文局が計算し、暦学者が審査して、太陽暦の2月11日と定められた、ということだ。なんだか、ごちゃごちゃしてようわからん話である。そもそも神武天皇は神話上の天皇であるし。
戦前の「紀元節」が敗戦後に廃止されたあと、昭和41年(1967年)に「建国記念の日」として復活したのである。
まあ、つまるところ、そもそもが起源はハッキリしないし、しかもいまから43年前にできたにすぎないこということだ。いわゆる「創られた伝統」の一つなのである。この件については私はブログにこういう文章を書いている。「恵方巻き」なんて、関西出身なのにウチではやったことがない!-「創られた伝統」についての考察-を参照。
そう考えると、国旗掲揚していない家が多いのも当然だろう。なんだかあまりピンとこない祝日だからだ。この日が出勤の方には関係ないだろうが、フツーの勤め人にとってはありがたい(?)祝日だろう。こんなこと書いたら、作曲家の故・黛敏郎からは頭ごなしに叱責されそうだが。
でも正直な気持ち、「建国記念の日」といっても、独立して勝ち取った記念日でもないし、革命が成就した記念日でもない。アメリカ合州国や、中華人民共和国、イスラエル、シンガポーといった、建国の起源がハッキリしている国がうらやましい。
そして皇紀について。これも明治維新政府が定めたものである。キリスト紀元よりも660年!古い、というはうれしいような感じもするが、これも「創られた伝統」の一つだ。
でも実際にほとんど使用されず、本格的に一般化したのは、昭和15年(1940年)の「紀元二千六百祭」からのわずか5年間だけだろう。その当時出版された本で、出版年が2603年(=昭和18年)と表記された古書をもっているが、ごくごく短い期間の話であった。
なお、インドネシア独立(ムルデカ)宣言は、皇紀2605年の省略形で「5年」、と表記されているのは、知る人ぞ知るエピソードである。「インドネシア共和国独立宣言」について詳細に検証された文章がネット上にある。読むと勉強になる。ただし、この事実をもって、日本はインドンシア独立に多大な貢献をしたのだと広言する人たちもいるが、それは言い過ぎだというべきだろう。日本政府ではなく、個々の日本人兵士たちの、やむにやまれぬ選択であったことは、書評 『帰還せず-残留日本兵 60年目の証言-』(青沼陽一郎、新潮文庫、2009)を一読していただきたい。
いまはたいていの国で、キリスト紀元である西暦を使用している。それにつけても不思議なのは、紀元前を意味する B.C. と 紀元後を意味する A.D. についてである。B.C.は、英語で Before Christ、すなわちキリスト以前のこと。A.D.はアシスタント・ディレクターではなくて、Anno Domini というラテン語の省略形である。anno は「年」、Domini は「主」(主=イエス・キリスト)のこと。それなら、なぜ A.C.(=After Christ)にしないのか、不思議でしょうがないわけなのだ。
これにつけて思い出すのは、大前研一が命名した BG と AG である。Before Gates と After Gates である。大前研一は、MS Windows Ver.1 が世に出た 1985年を"ビル・ゲイツ元年"としている。このことはすでにこのブログでも、『BBT on DVD 大前研一LIVE』(トライアル版)を視聴してみたに書いている。1985年を"ビル・ゲイツ元年"は、奇しくも私が大学を卒業した年だ。だから kensatoken1985 と名乗っているのだ。今年2010年は AG25年、早いもので四半世紀もたっている。
このように「紀元節」にみられるのは、「紀元」(=はじまり)という意識と発想である。それは正統性の根拠として言明されることが多い。
元外交官の法学者・色摩力夫(しかま・りきを)がよく使っていた「出生の秘密」(status nascens)というライプニッツのコトバがあるように、その紀元に何をもってくるか、その紀元の本質が何であるか、によってその後の「歴史」はすべて決定されてくるのである。色摩力夫は自衛隊の「出生の秘密」が自衛隊という軍事組織の性格を規定している、という文脈でこのコトバを使用している。『国民のための戦争と平和の法-国連と PKO の問題点-』(小室直樹/色摩力夫、総合法令、1993)のP.145 などを参照。
この意味においては、台湾(=中華民国)では、「民國」という年号を使用していることを指摘しておきたい。「民国紀元」ともいう。孫文による「中国革命」が成就した1912年を紀元とする。したがって、今年2010年は民國98年である、おおもうすぐ「中国革命100年」か! 民国であって、君主制ではないので、元号とはいわない。
北朝鮮(=朝鮮民主主義人民共和国)では、「主体」(チュチェ)という年号を使用している。いわゆる「主体思想」のチュチェである。しかし、これはつい数年前に「あらたに創られた伝統」だ。金日成(キム・イルソン)の生まれた1912年(・・奇しくも「中国革命」と同じ年だ!)としたものである。今年2010年はチュチェ98年となる。君主制ではないので、元号ではないが、「王朝」の正統性を明示することを意図したものである。朱子学による儒教原理に忠実な「王朝」は、男子直系相続を原則としている。
暦を支配する者が、天の下すべてを支配する、のである。
広く世界を見回してみれば、キリスト教暦である西暦だけが使用されているわけではない。たとえば、イスラーム圏では、太陰暦であるイスラーム暦、正確にいうと「ヒジュラ暦」が使用されており、第2代正統カリフのウマル・イブン・ハッターブが、預言者ムハンマド(モハメット)がメッカからメディナ聖遷した年を、「ヒジュラ暦」元年とした。西暦でいうと622年のことである。したがって今年2010年は、ヒジュラ暦1431年となる。
三大宗教の一つである仏教では、「仏暦」を使用している。面白いことに仏滅紀元であり、釈尊仏陀が入滅した西暦の紀元前543年をもって紀元とする。今年2010年は、仏歴2553年となる。私は、タイのバンコクで会社を作って立ち上げた経験があるが、会社設立や登記関係文書といった公文書はすべてタイ語で、仏暦表記であるが、私文書では西暦もよく使用されている。とはいっても、タイでは 53年とか省略形で使う(・・2553年の略)ので、仏暦について知らない頃はよくわからなかった。また、ミャンマーでは一年ずれるので今年は2554年ということになる。まったくもって、仏陀(ぶった)まげた話である。いったいどうなっているのか? 仏教カレンダーはこちら。
民族宗教であるユダヤ教では、「ユダヤ暦」というものがある。ユダヤ暦(Jewish Year)は太陰太陽暦で、本日2010年2月11日は、ユダヤ暦では Shvat 27, 5770年となる。気が遠くなるほど古いことに驚かされる。カレンダー換算は Jewish/Civil Date Converter 参照。
この意味においては、日本も西暦だけでなく、「皇紀」を使ったとしてもまったく問題ないわけだ。ただし、幅広く国民のあいだで共有させるのは至難のわざであろう。先にも書いたように、文献学的な根拠ははっきりしているが、神話はあくまでも神話であって科学的でない!と思う人が大半だからね。日本は「科学信仰」の国だから、科学的根拠がない! といわれてしまえばそれでおしまいだ。
ところで、歴史学者の網野善彦は、天皇の代替わりごとに時間が一新されるのは違和感を感じる、というような意味のことを、どこかで述べていたような記憶があるが、これは「近代天皇制」の「一世一元の制」によるものなので、責めるなら明治維新政府を責めるべきなのである。明治以前は頻繁に元号を変えているし。まあたしかに明和9年は迷惑年になるからやめた、なんてとんでもない話もあるから一概には責められないのだが。
明治の終わりとともに自刃した乃木大将や、大正時代という括り、昭和時代というくくりなど、「一世一元の制」がもたらしたマインドセットはすっかり国民一般に浸透している。
ではいっそのこと、「元号」はやめてすべて「皇紀」表記にしてしまうか、といえばそうもいかないわけですな。元号は近代天皇制そのものと不可分の関係にあるので、日本が立憲君主制(・・戦後の「象徴天皇制」もまた立憲君主制のバリエーションに過ぎない)のもと天皇制(・・本当はこの表現は左翼用語なので使いたくないのだが)を護持する限り、元号はなくすわけにはいかないのである。もちろん私は天皇制支持者である。
そもそも明治になってから太陽暦を採用し、西暦を使用し始めたのは、とにかく欧米に追いつけ、追い越せ、治外法権という不平等条約を撤廃せよ!という悲願から出発したわけだから、仕方がないといえば仕方がないんですなあ。遅れて西欧と出会い、西欧近代化に舵を切った近代国家の悲劇(?)である。
西暦を使用するということは、デファクトで世界的に使用されているので合理的で利便性も高いのだが、無意識のうちにキリスト教のマインドセットが刷り込まれているということあり、必ずしも好ましいとはいいがたい。紀元前などというと、ものすごく古いような感じを無意識にもってしまうが、「仏暦」でみても、「皇紀」でみても、「ユダヤ暦」でみても、めちゃくちゃ昔というわけでもないわけなのだ。
日本史においては有史以来、「外国かぶれ」と「反動としての国粋主義」を何度も何度も繰り返しているが、暦(=カレンダー)については、本当に難しい問題があって、解決策はとても一つにはなり得ないのだ。
暦を支配する者が、天の下すべてを支配する、のである。
暦(カレンダー)というのは、為政者が決める話であって、国民の民意で決めるような話ではない。
あーあ、まったくもって難しいね、こりゃ。
PS 読みやすくするために改行を増やした。また、語句の一部を修正して、より理解しやすくなるようにした。ただし、本文の趣旨にはいっさい変更はない(2016年3月13日 記す)
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(2012年7月3日発売の拙著です)
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