2010年3月30日火曜日

三度目のミャンマー、三度目の正直  (2) インレー湖は「東洋のベニス」だ!(インレー湖 ①)




 「ミャンマー三度目の正直」、やっと憧れのインレー湖でリゾート三昧してきた。私にとっては、13年目にやっと解決した「懸案事項」なのである。やっとインレー湖にいくことができたのだ。


 インレー湖は「東洋のベニス」だ! 一言で要約すればそうなる。
 ベニス(Venice)とは昔の英語風ないいかたで、本当はイタリア語風にヴェネツィア(Venezia)といいたいところなのだが、「東洋のベニス」というフレーズがすでに定着しているので、あえて使うことにする。

 ベニス(ヴェネツィア)とはアドリア海に面したイタリアの都市で、あえて説明するまでもないと思うが、市内に網の目のようにはりめぐされた運河が市民の交通手段で、自動車は一台も乗り入れできない都市である。もちろん観光客も同様で、有名なゴンドラは現在では観光客のみが相手だが、ヴァポレットという中型の水上乗り合いタクシーが運河を行き交っている。

 「東洋のベニス」とはどこか? 19世紀には、タイのバンコクのことを指していたらしい。らしい、というのは、現在のバンコクは運河の大半は埋め立てられ、自動車の道路となってしまっており、生き残った運河もゴミが捨て放題で悪臭の発生源になってしまっている。

 東京と同様、バンコクもまったく風情のない都市と化してしまっているのである。東京銀座の数寄屋橋もかつては運河だったのだが・・・。バンコクもかつての「東洋のベニス」を偲ぶことができるのは、昔の世界を題材にした映画作品のなかだけだ。

(インレー湖をめぐるクルージングにて)


 ではインレー湖がなぜ「東洋のベニス」なのか? こんなこといっているのは多分私だけだろうから、写真で示すのがベストでしょう。

 写真はおいおい紹介していくこととするが、インレー湖でも居住地域は、浮島が多数あって浮島の間の舟の通路が実質的に運河のようになっているからだ。これがヴェネツィアのような印象を受けるのである。


 さて、インレー湖への行き方だが、ヤンゴンからどういくかを簡単に説明しておこう。私がインレー湖に滞在していたのは、2010年3月17日から19日までの三日間である。

 自動車や鉄道でもいくことは可能だが、時間が潤沢にある人以外は、国内便の航空路線があるのでそれを利用することをすすめる。ただし片道でも1万円近くするので安くあげたければ陸路という手もある。要は、あなたの単位あたりの時間価値をどう評価するのかという問題である。

 今回、私はエア・バガン(Air Baganを利用した。ヤンゴン国内空港からマンダレー経由でヘーホー(Heho)まで飛ぶ。9ヶ月前にミッションに参加してきたときも、同じくエアバガンでマンダレーにいっている。

 ミャンマーの玄関口であるヤンゴン国際空港は、きれいで立派なものとなったが、エアバガンは旧国際空港の建物を使用しているので、ものすごく古くて汚い。行きはさることながら、帰りの便で驚いたのは、なんとバゲージ用のターンテーブルもない(!)ので、荷物はそのまま一つ一つおろしていくのだ。


 さてヘーホー空港に着くと、クルマでインレー湖の玄関口ニャウンシュエ(・・・ミャンマーはなぜだか、ミャンとかニャンとか、猫語みたいなコトバが多いね~。今回はとにかく猫づくしだったが、この話はまた後ほど)まで約1時間走ることになる。国内交通にかんしてはあらかじめ旅行代理店をつうじて手配を頼んでおいたほうがいい。そのほうが現地でふっかけられる心配もないのでかえって安心である。

(ディーゼル機関車が牽引する客車がのろのろと峠越え)

陸路をしばらく走ると山を一つ越えることになる。これがなかなか景色がよい。峠越えのドライブはなかなか興趣のあるもので、もしチャンスに恵まれれば、平行して走るミャンマー国鉄の列車に遭遇できるかもしれない。ちなみに、私はラッキーなことに、インレー湖からの帰途、「撮り鉄」と化したのであった。しかし、眺めている限り超スローモーな走りで、よっぽど時間のある人でなければ鉄道利用は・・・


 峠を越えると、あとは平野のなかの平坦な道をひたすら走る。

 ニャウンシュエにいく途中に、シュエヤンウェ僧院がある。この僧院は現在でも現役の木造建築の仏教僧院であるが、隣接する仏塔の内部が素晴らしい。

(シュエヤンウェ寺院)


 仏塔内部の壁のくぼみ(・・これを語の本来の意味でニッチという)の一つ一つに、信者から寄進された小さな仏像が収められており、非常に素晴らしい空間を作り上げている。いまから15年前に訪れた、インドのラダック地方にあるチベット仏教の僧院アルチ・ゴンパの壁画を思い出した。内容的には、十分に匹敵しうるる、美術的にも実に素晴らしいものである。必見だ。

(シュエヤンウェ寺院の壁龕の仏像群)


 ちょうど私がいったときは田植えの季節であり、農民が総出で田植えをしている風景に出会った。苗代で育てた苗を手で植えていくのは、日本とまったく同じである。

(ニャウンシュエ付近 ミャンマーの田植え)

コメ作りがすべての基礎にあるミャンマーは、やはり日本とよく似た世界なのかもしれない。別のクルマで走っていた西欧人のグループが"鬼のように"ビデオを回していたが、彼らの目に写る田植え風景は、間違いなく「エキゾチック・アジア」なのだろう。だが、日本人である私には懐かしい(!)風景なのであった。


 そうこうするうちにいきなり自動車の旅は終わる。ニャウンシュエである。ここで自動車を降りて、ボートに乗り換えることになる。いよいよインレー湖エリアに入ったのだ。コテッジの連絡所で、モーター付きのロングボートは約1時間の旅となるので、お手洗いを済ませるようにいわれる。

(ニャウンシュエで舟に乗り換え)

 ポーターが私のスーツケースをかついでボートに積み込む。そうなのだ、ここから先はもう自動車ではアプローチできないのである。まさに、ヴェネツィアなのだ。「東洋のベニス」のはじまりである。

 モーターボートは最初は濁った水路をひたすら走っていくが、しばらくすると広い湖水にでる。なんだか、ベトナム南部のメコンデルタのような雰囲気を味わえる。ボートが湖に入ると水は澄んで、空気も冷たくなる。ここをひたすら波を切りながら走っていく。

 行き交うのは、観光ポスターにもなっている、インレー湖の住民インダー族による、独特な方足漕ぎ漕法で舟を操る漁民たち(冒頭の写真)。おお、ついにインレー湖に来たのだ(!)という感激に浸る私である。

(ゴールデンアイランドコテッジが目の前に)


 そして約1時間のモーターボートの旅が終わりに近づくと、目指すべき水上ホテルが遠景から視界に入ってくる。今回予約したのは、ゴールデン・アイランド・コテッジⅠ(Golden Island Cottage Ⅰ)、湖水のなかにある、文字通り舟でしかアプローチのできない水上ホテルである。これがインレー湖なのである。これが高原の水上リゾートなのである!

(ゴールデンアイランドコテッジにチェックイン)


 ホテルの従業員たちが楽器を鳴らしながら歓迎してくれるにもうれしいものだ。こうして早朝にヤンゴンをでて、航空機・自動車・モーターボートと乗り継いで、昼前にはホテルにチェックインすることができた。


 さっそくランチはホテルのレストランでとって腹ごしらえをする。ミャンマー・ビアと麺、そしてトマトサラダを頼み、テラスで湖水を見ながら食事をする。

 冷えたミャンマー・ビアがうまい、そしてうれしい誤算がトマトサラダだった。ゴマとピーナッツのドレッシング(?)のかかったトマトサラダが実にうまい。私はインレー湖に滞在していた足かけ3日間、昼と夜はひたすらトマトサラダを食べ続けることになるのだった・・・。インレー湖で食べるトマトがうまい理由(わけ)は、じきにわかることになる。

 この日は午後からボートによる半日ツアーに、翌日も半日ツアーでボートを繰り出すことになるのだが、このツアーについての紹介は、次回のお楽しみとしておこう。


(インレー湖 ②)につづく


PS 見やすくするために写真を大判に変更し、行替えを増やした。内容にはいっさい手は入れていない。(2016年6月21日 記す)


<ブログ内関連記事>

「ミャンマー再遊記」(2009年6月) 総目次

「三度目のミャンマー、三度目の正直」 総目次 および ミャンマー関連の参考文献案内(2010年3月)

三度目のミャンマー、三度目の正直 (3) インレー湖のトマトがうまい理由(わけ)・・屋外天然の水耕栽培なのだ!(インレー湖 ②)

かつてバンコクは「東洋のベニス」と呼ばれていた・・

(2015年10月4日 項目新設)
(2016年6月21日 情報追加)





(2012年7月3日発売の拙著です)










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