2010年5月17日月曜日

「タイ・フェスティバル2010」 が開催された東京 と「封鎖エリア」で市街戦がつづく騒乱のバンコク




「タイフェスティバル2010」 (代々木公園)が開催された東京

 昨日(2010年5月15日)と本日の二日間、今年も「タイ・フェスティバル」が東京では代々木公園で開催された。昨年に引き続き、私は昨日15日に立ち寄ってみた。

 今年もまたものすごい人出で、文字通りほとんど立錐の余地もない混みようで、殺人的ともいっていいよう人気ぶりであった。日本人は(・・関東在住の日本人は)、こんなにもタイが好きなのか、それとも祭にかこつけてブルーシート(=ビニールのゴザ)を敷いて、青空のもとピクニックを楽しみたいのか、よくわからないが、それにしてもこれだけ人が集まるイベントもあまりないのではないだろうか。

 なんといっても来客の目当てはタイ料理のようだ。関東一円のタイ料理店が一堂に会して競い合う場にもなっている。
 私が会場に入ったのは午後2時過ぎだったが、もしかしたらこの時間が昼食のピークだったのかもしれない。並ぶだけでくたびれるくらい、どの店もすごい行列で、まさに「行列のできるタイ料理店」のオンパレードだった。


 今回は、比較的すいている店で、ガイヤーン(500円)とカオマンガイ(500円)を注文、これにビアシン(=シンハビール)で食べることに。

 ガイヤーンはタイの東北部イサーン風の鳥のグリル、カオマンガイは鶏飯のことである。ただし、今回食べたカオマンガイはコメが日本米のようで、パサパサ感がなく、かわりにモチモチ感に充ち満ちていて、なんだか違うんだよなあ感覚を感じてしまった。


 当日は夜から飲む予定が入っていたので、ドリアンを食べることが出来なかったのは残念。匂いを嗅げただけでもよし、としておこう。


 またT-Pop(=タイポップス)の二人組みアイドルのネコジャンプ(Neko Jump)が来日してコンサートやるということで、私も彼女たちをチラとみる機会があったが、この時期に東京にいるのは幸せなのかそうでないのか。
 今週末の東京は、天気にも恵まれ、脳天気といってもよい状況であった。(5月15日)


市街戦がつづく騒乱のバンコク情勢とその背景
 
 ところで一方、タイ王国の首都バンコクでは、いったん沈静化するとみえた騒乱が、ますます激化の度合いを強めている。政府と陸軍は、市内の中心部を封鎖して、座り込みをつづけ、事実上の籠城をつづけている「赤組」を兵糧攻めにする作戦のようだ。電気と水道の供給を止め、携帯電話の電話も遮断しているという。
 すでに事実上の最後通牒をつきつけ、強制排除の準備に入っている。

 ついにここまで来てしまったか、という感想を抱いている人も少なくないだろう。

 ところで、日本人の多くは「微笑みの国タイ」という観光キャッチフレーズを何ら疑問ももたずにクチにするが、現実のタイは必ずしもそうではなくなりつつあることは、私はこのブログでは何回も書いてきた。

 現在バンコクに居住している駐在員や観光客は知らないようだが、私はどうしても1992年の「流血の五月事件」とだぶらせてみてしまう。「流血の五月事件」については、『タイ-開発と民主主義-』(岩波新書、1993)を読むことを強くすすめたい。私はその当時は米国から CNN でタイ情勢を毎日モニターしていたが、事件当時タイに居住していた私の知り合いの日本人の話では、死体の山を実際に目にし、死臭を嗅いだことが記憶から消えないらしい。まさに酸鼻きわまる事態であったのだ。現在でも、500人から1,000人程度が行方不明のまま死体が処理されてしまったらしい。

 ブログに掲載した、書評 『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)でも書いたように、タイではそれ以前にも、『血の水曜日-軍事クーデターとタイ民衆の記録-』(タイ民衆の闘いの記録編集委員会=編、亜紀書房、1977)『革命に向かうタイ-現代タイ民衆運動史-』(タイ民衆資料センター訳、柘植書房、1978)なんて硬派な本が過去に出版されていることはあまり知られていないだろうが、1970年代から1990年代始めまでは、東西冷戦構造を背景に激しい時代があったのである。


 では、2010年の今回のバンコク騒乱もまた同じ性格かといえば、必ずしもそうではない。というよりも、かなり性格を異にする。『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)というタイトルが示唆するように、いまタイはまさに転換期にあるといってよい。

 1970年代から1990年代始めまでは運動の中心は、大学生を中心とした首都バンコクの知識人であった。こうした知識階層を中心に労働者階級が同調して、「革命前夜」の様相を呈したのであったようだ。

 その後、革命にはいたらず、タイ共産党員は東北部の森に逃げ、いわゆる「地下闘争」をつづけることとなった。最終的には政府側の政策転換によって彼らは投降帰順する道を選択し、「国民再統合」への道は順調に進むこととなった。


 「赤組」による今回の闘争は、なにかしら「毛澤東戦略」のような印象を受けなくもない

 毛澤東戦略とは一言でいえば、「農村が都市を包囲する」というスローガンに象徴される。中国革命において、戦略的撤退によって「長征」を敢行した毛澤東は、農村でチカラを蓄え、農民の圧倒的支持を背景に、国民党と最終戦争を勝ち抜き、60年前の1949年に北京で建国宣言を行ったことは周知のとおりである。

 今回の騒乱はあきらかに「学生不在」であり「労働者不在」 である。一般に知識層とプロレタリアートが共同歩調で運動を展開するのが、世界どこでもみられた現象である。

 ところが今回の騒乱は、「バンコク市民 vs. 北部と東北部を中心とした農村部の農民」という構図であり、「都市中流階級 vs. 地方農民層」の利害対立といってもいいだろうか。

 本来は、すでに雨期が始まって農繁期となるこの時期に、あえてバンコクにとどまって徹底抗戦をつづけている「赤組」たちの姿勢から、かなりの本気度を感じているのは私だけではないだろう。たとえ、活動資金が供給されているとはいえ、悲壮なまでの覚悟がみえる本気度である。

 ただし、今回の騒乱では、都市を包囲していた農民たちは、現在は都市の「封鎖エリア」に囲い込まれてしまっている。


 タイ北部のチェンマイ出身のタクシン元首相が、首相になる以前、1970年代に活躍した学生運動家出身者を多数抜擢して陣営に取り込み、彼らに社会政策のプランを練らせたことは、事情通なら知っている話である。

 タクシン本人の本心がどこにあるのか別にして、選挙権をもつ農村部の農民票を獲得する深謀遠慮をもって、こういった政策を立案実行したことは否定できないようだ。こういった事情については、Pasuk Phongpaichit and Chris Baker, Thaksin: The Business of Politics in Thailand, Silkwormbooks, 2004 に詳しい。同書は2010年に第2版がでているが私は目をとしてはいない。

 いったん政治的に目覚めた農民たちは、政治参加の意味を知ってしまった以上、もはや後退することはないであろう。一般大衆による政治参加は歴史の必然である。その意味では、タイの民主主義が成熟するかどうかは農民層の動向と、政府の地方対策にかかっているといってもいいだろう。

 「赤組」に対峙する形となっている陸軍兵士たちもまた、徴兵によって兵隊にされた地方出身者が大半であり、ひそかに「赤組」にはシンパシーを感じている者も少なくないようだ。バンコクの富裕層や中流階級以上の市民は、徴兵を回避している者も少なくないようで、こういった事情も、「バンコク vs. 地方農村」を裏書きする状況の一因になっているようである。

 陸軍士官学校出身のタクシン元首相は、首都バンコク出身ではなく地方都市のチェンマイ出身であり、行動力といいアタマの回転の速さといい、何かしら「コンピュータつきブルドーザー」と呼ばれていた、同じく地方出身で、起業家で成り上がりの政治家、田中角栄を彷彿とさせるものがある。


 近年、南アジアでは、インドでもネパールでもスリランカでも、マオイスト(Maoist=毛澤東主義者)による闘争が活発になっている。政治的背景に何があるのかは別にしても、都市部と農村部との激しい格差が依然として解消していないことは否定できない事実である。ネパールではマオイストが権力を握った結果、王制が廃止されるに至ったことは記憶に新しい。

 もちろん、現在のバンコク情勢がネパールと同じだなどというつもりはまったくないし、詳細にみていけば、タイとネパールでは置かれている地政学的状況だけでなく、歴史や社会の発展度合いからみても、共通点よりも相違点のほうが大きい。

 誤解があってはいけないが、バンコク騒乱のタクシン派「赤組」はマオイストではない。


 ここで明確にしておきたいのは、私はあくまでも日本国民であり、しかもビジネスマンであるので、他国の内政干渉ととられるような発言をする意図はまったくないということだ。

 実際、バンコク市内は「封鎖エリア」内は騒乱状態だが、バンコクは全体としては安全であり、タイ経済のパフォーマンスも、2010年の第一四半期の経済状況は良好である。

 とはいえ、情勢分析するためには、現時点の目前の情報を見ているだけでは何も見えてこないということを強調したいのである。中長期の動向をみるためには、歴史をキチンと押さえておくことが不可欠だ。


 タイは現在は社会の大きな転換期にあり、企業経営にたとえていえば、さらなる発展をするためには越えなければならない「壁」や「踊り場」といった状況にある、といってよい。

 もはや後戻りできない道を進んでいるタイは、抜本的な社会変革に手をつけなければ、今後の成長軌道に乗れず、国内に大きな社会問題を抱えながら、さらなる上昇に成功せず、失速する可能性もないとはいえない。

 バンコクの下層に置かれ、軽蔑の対象となっている農村部出身の「赤組」たちの心情には同情できなくもないが、運動内部の過激派が主導する暴力的闘争には賛成できないのはいうまでもない。

 今回の騒乱は、おそらく暴力的な形で鎮圧され、収拾されることになる公算が大だが、多数の犠牲者は怨念を地上に残す結果となることであろう。将来に禍根を残す可能性が大きい。

 格差問題は、ただ単に経済的な問題ではない。人間としての尊厳の回復にある。


 いずれにせよ、本来なら17日から新学期が始まるはずだったバンコクは、17日(月)と18日(火)は特別休日となったと報道されている。バンコク中心部の「封鎖エリア内」にある米国大使館では、不測の事態に備えて家族の帰国を促しているとのこと。「封鎖エリア」に隣接する日本大使館では爆弾が投げ込まれたため、ホテルの一室で臨時業務を開始したとのことである。
 
 ビジネスマンの立場からは、一日も早い事態の沈静化と平常化を強く望むばかりである。


 こんな発言をするのも、現在バンコクにはいないからだろうか・・・。
 現時点の東京は、あまりにも平和すぎるようだ。
 バンコクも東京も、ともに「微笑みを失った都市」であることは共通しているのだが・・・(5月16日)





<ブログ内関連記事>

タイのあれこれ  総目次 (1)~(26)+番外編

書評 『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)
                     
書評 『クーデターとタイ政治-日本大使の1035日-』(小林秀明、ゆまに書房、2010)

書評 『田中角栄 封じられた資源戦略-石油、ウラン、そしてアメリカとの闘い-』(山岡淳一郎、草思社、2009)

 田中角栄首相(当時)がバンコクを公式訪問した1973年、学生運動家が扇動した「反日暴動」がインドネシアのジャカルタだけでなく、バンコクでも吹き荒れたことは、日タイ関係史のなかで記憶すべき歴史的事実である。


  
<付記> (2010年5月20日)

 その後の状況について、下記の文章をブログに投降しましたのでご参照下さい。
 
今回のバンコクの騒乱について-アジアビジネスにおける「クライシス・マネジメント」(危機管理)の重要性


<付記2>

 5月21日付けで Twitter に下記の投稿を行った。

中心部が焼き討ちされ廃墟と化したバンコク。物的損失だけでなく、タイ人にとっての精神的な打撃も計り知れないようだ。しかし、すでにタイをどう再建すべきかという議論がタイ人有志のあいだで始まっている。私もタイ人の友から招待され、ディスカッショングループに参加することにした。
posted at 13:16:32


 今回の「バンコク騒乱」を機会に、「赤組」の農民層だけでなく、バンコクを中心とした中産階級のインテリ市民層も目覚めたようだ。
 「タイの立て直し」はタイ人が主体的に行う事によって、はじめて本当に意味のあるものとなる。
 タイ国民でない、われわれ日本国民はあくまでも側面支援という形で、議論に参加し、まず知的な貢献から始めることが求められることだろう。ディスカッショングループの発起人は、タイ語だけでなく英語も使用言語にすることで、議論を全世界に開かれたものにしてゆくことを表明している。
 物的損害はカネをかければ修復可能だが、精神的なダメージは前向きな解決策模索によって癒していくのが、まず現時点では求められることだ。
 「禍転じて福となす」というコトワザが日本にはある。
 これを機会に、踊り場にさしかかっている「中進国タイ」の問題を正面からみつめ、解決にむけて前進してゆくことを決意している多くのタイ人を支援していきたいと考えている。

(2010年5月22日 記す)


PS 読みやすくするために改行を増やした。内容には手は入れていない (2014年8月28日 記す)。


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