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2009年8月25日火曜日

書評 『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)-急激な経済発展による社会変化に追いつかない「中進国タイ」の政治状況の背景とは




"微笑みを失いつつある"中進国タイ-急激な経済発展による社会変化に追いつかない政治状況の背景とは

 16年前に出版された名著 『タイ-開発と民主主義-』(岩波新書、1993)の続編として、満を持して登場した本書は、現在のタイを、政治・経済・社会から捉えるために不可欠な知識と視点を与えてくれる。読者は充実した読後感を得ることであろう。


 前著の出版は、1992年の第二次民主化運動のさなかで発生した「五月流血事件」によって、報道をつうじてタイが全世界にクローズアップされたあとのことでであった。

 今回の新著は、もはやあるまい思われていたが、2006年に15年ぶりに発生した「無血クーデター」から3年たったいまでも、いっこうに政治的混乱に終止符がうたれないタイの現状について詳細に分析している。

 この二冊の本のあいだに存在する16年間とは、まさにタイが中進国として急激に経済発展し、様々な社会問題を発生させてきた時期でもある。

 著者は、タイ現代史の分岐点となった1988年から筆を起こすことによって、この20年間でタイが"微笑みの国"から、"微笑みを失いつつある国"へと変化してきたことを解説、現在まで続く政治的混乱の原因は何かについての見取り図を読者に与えてくれる。


 タイにかんする本といえば、専門書を別にすれば、ほとんど同じ内容の観光ガイドブックばかりが出版される昨今の日本の出版状況だが、本書は久々に登場した、日本語で読める本格的な一般書である。観光地としてのタイではなく、現代のタイ社会について、根本から理解するための必読書といってよい。

 著者がカバーする領域はかなり広く、経済・政治・社会だけでなく、新興財閥の具体的な企業名もあげて言及しており、ビジネスマンにも読むに値する内容の本になっている。

 著者による 『進化する多国籍企業-いまアジアで何が起きているのか?』(岩波書店、2003)とあわせて読めば、1997年のアジア金融危機後IMF管理下におかれたタイビジネスの変化、消費社会化した現在のタイについて深く理解できるだろう。


 本書を読むと、中進国となった工業国タイの問題とは、米国が主導するグローバル資本主義にいかに対応するかという課題に対する、二つの解答のあいだのせめぎ合いであると見ることもできる。

 ひとつは、1997年の金融危機以後、タイの政治では例外的な、5年以上にわたる長期政権を実現したタクシン元首相の、積極的にアングロサクソン流のグローバル資本主義の流れに乗っかっていこうとした経済・社会政策

 もうひとつは、現国王ラーマ9世(=プーミポン国王)が提唱する「足るを知る経済」。後者は、仏教の経済思想に立脚し、サステイナブル経済を志向する、いわばオルタナティブ資本主義といえる。

 タクシンが積極的に推進した変革は、ある意味でタイを日本以上にアメリカナイズされた社会に変貌させた。これは、ビジネスでタイにかかわり、バンコクに住んでいた私にはよく実感できることである。

 しかし、タクシンが実行した経済社会改革があまりにも急進的であったために、タイ国民は正直いって疲れてしまったというのが実情だろう。これが2006年クーデターが国民に受け入れられた背景にあるようだ。

 日本の小泉首相とほぼ同時期(!)に政権の座にあったタクシンがもたらしたものは、日本と同様、功罪両面から評価しなければ本当のことは理解できないのだ。


 "微笑みの国"というのは、有名なタイの観光キャッチフレーズだが、実際にタイに暮らしていると、タイ人から"微笑みが失なわれつつある"ことを日々実感することになる。微笑みはいったいどこに行ってしまったのだ、と。

 日本を上回るスピードで急速に変化をとげているタイ社会には、先進国日本がすでに経験ずみの問題もあれば、少子高齢化というまさにいま直面している問題もある。またタイ固有の問題もあり、先進国日本の経験で、中進国タイが抱える問題のすべてを推し量ることはできない。


 著者は最終章で「タイ社会と王制の未来」について扱っている。これは、タイの将来を考える上で避けて通ることができない最重要のテーマである。

 しかし、タイについて多少でも知っている人は承知していると思うが、これは正直いって実に扱いにくいテーマなのだ。私は、このテーマを項目として立てたこと自体、著者を高く評価したいと思う。

 しかしそうはいっても、この章にかんしては、行間を読む必要に迫られる。だが、最初から最後まで注意深く本書を読んだ読書なら、今後の方向性についてはかなりの見通しをを得ることができるはずだ。
  

 トリビアルなものまで含めて、タイにかんする知識がぎっしりつ詰め込まれた本書は、一回読んだあと読み捨てにするには実に惜しい。

 ぜひ1冊購入して、読んだあとも手元に置いて、折に触れて参照する価値のある本である。


■bk1書評「"微笑みを失いつつある"中進国タイ-急激な経済発展による社会変化に追いつかない政治状況の背景とは」投稿掲載(2009年8月22日)
■amazon書評「"微笑みを失いつつある"中進国タイ-急激な経済発展による社会変化に追いつかない政治状況の背景とは」投稿掲載(2009年8月22日)
 *なお、再録にあたって字句と表現の一部を修正した。








<書評に対する付記、あるいは「タイのあれこれ 番外編」

 文中にも書いたが、タイにかんする一般書はガイドブック以外はほとんど出版されない、たいへんお寒い昨今の日本の出版状況である。

 なぜほとんど内容が同じガイドブックが、次から次へと異なる出版社から出版され続けるのか理解に苦しむ。はっきりいって、バンコクででているフリーペーパー(無料情報誌)のほうがはるかに役立つのだが・・・

 結局のところ、タイやバンコクにかんする陳腐な決まり文句が再生産されているだけである。観光を振興したいタイ政府としては、それでまったくかまわないのかもしれないが、もう少し日本人も勉強すべきではないか。

 同じガイドブックでも、英語圏では定番の Lonely Planet シリーズは、知的な読み物としても面白く、かつためになる知識がつまった本だ。Lonely Planet Thailand は読んでないが、Lonely Planet Laos はひまつぶしにラオスのルアンプラバン空港のカフェで読んだ。ラオスの環境保護の問題など面白くてたいへんためになった記憶がある。アングロサクソン的知性との違いといってしまえば、それまでなのだが・・・


 『国際スパイ都市バンコク』(村上吉男、朝日文庫、1984 原題は『バンコク秘密情報』、朝日新聞社、1976)とか、『血の水曜日-軍事クーデターとタイ民衆の記録-』(タイ民衆の闘いの記録編集委員会=編、亜紀書房、1977)、『革命に向かうタイ-現代タイ民衆運動史-』(タイ民衆資料センター訳、柘植書房、1978)なんてタイトルの骨太で硬派な本が過去に出版されているのだ、というのはタイ通でも、専門研究者以外は知らないのではないかな?? とくに『国際スパイ都市バンコク』は、私は二冊もっており、二度熟読している。タイについて知りたい人にはぜひ薦めたい。

 軍事政権下の発展途上国で主人公が血湧き肉躍る活躍をするというのは、俳優で作家そして政治家・中村敦夫の国際謀略小説『チェンマイの首』(講談社文庫、1988 絶版。原版は1983)のイメージだが、いまのタイはそういった状況からはもはやほど遠いのかもしれないな。ちなみにこの小説と先にあげた『国際スパイ都市・・』はバンコクの紀伊國屋書店が復刻してタイ国内で販売している。いずれもタイ国内への持ち込み禁止指定はないから安心してよい。

 ベトナム戦争がとうの昔に終結、カンボジアの和平も定着しインドシナ半島が平和になってからは、すでに共産主義の脅威は去り、開発時代に突入したわけだ。「インドシナを戦場から市場へ」というスローガンはまさに時代の雰囲気を表していた。


 開発時代になってからのタイで私がもっとも面白いと思ったイチオシの本は、執筆当時、日本輸出入銀行 (現国際協力銀行)のバンコク駐在員であった金子由芳(かねこ・ゆか)が書いた『幻想の王国タイ-聖なる功徳・俗なる開発-』(南雲堂、1996)である。これほどタイ政府や投資委員会(BOI)のホンネを描き出した本はほかにない。 

 よく赴任してから1年という短期間で、執筆当時28歳の著者に、これだけ鋭い観察ができたものだと、出版された直後に読んで大いに感心した。いや、希望した赴任地でもなく、予備知識なしで飛び込んだのがよかったのかもしれない。怖いもの知らずの、政府系機関の女性駐在員ならではの内容だ。

 タイとタイ人のしたたかさは、お人好しの日本人をはるかに上回る。なんせ日本のような島国ではないからね。植民地にならずにうまくやり過ごしたという事実は過小評価すべきではないのだ。あたりが柔らかいからといって油断してはいけない。ホンネとタテマエが違うのはアジア人だから当然だが、日本人以上にかけ離れているのである。

 この本を読めば、日本人ももっとうまくタイに対応できるのに・・・と思う。どうも日本人は西洋人以外では自分が一番だと思い込んでいるようだが、これはとんだ勘違いだろう。実務だけわかればいいというわけではないのだ、国際ビジネスというものは!


 それはさておきジャイ・ジェン・ジェン(=冷静に!頭を冷やしなよ!というタイ語)、本書についてだが、タイはすでに、「開発独裁」状態からはすでに卒業し、「中進国」としての悩みを抱えて状況になっていることを描き出した点、大いに評価できる本である(・・評価できるなんて、なんかエラそうないいかただな、何様だお前はといわれそうだが・・・これは日本語の問題)。

 これだけ水準の高い新書本は、中身のない軽い新書本がはんらんしている現在、腰を据えて読む必要があるので、実際はそれほど読まれないかもしれない。しかし、大学生がレポート書く際の指定図書としては間違いなく使用されるだろう。それだけ中身のある本である。


 本書のなかで重要な指摘だと思ったのは、タイの「消費社会化」についての記述である。

 購買力はバンコクを10とすれば地方都市は6、地方の農民は3と、格差はむしろ以前より縮小傾向にある(!)との指摘(P.105)は非常に重要である。一般的にはタイの地方農村は貧しいと思われがちだが、バンコク都市部の可処分所得の上昇に伴って、地方でも伸びがみられるとういうことである。

 末廣氏は、このブログでも以前にふれた「ビア・チャーン」(=象さんビール)の消費量の伸び--なんと1986年以来一貫して右肩あがりだ!--、それにコンビニのセブン・イレブンの店舗数の統計を使用して、その状況を裏付けている。これに本書では触れられていないが、日本のビデオレンタルの TSUTAYA ですらチェンラーイのような地方都市にも店舗があるのが、現在のタイの実態である。

 フランチャイズ(FC)よりも直営店が多いと著者はいうが、バンコクの国際展示場 BITEC で開催されるFCショーの熱気にはすごいものがある。FCオーナーとして独立したいという人間は、タイにも大勢いるということだ。

 ビア・チャーンのオーナーであるチャルーン(・シリワッタナパクディ、またの名を蘇旭日。潮州系)はタイで一番の大富豪として Fortune Asia Edition のランキングにも毎年登場している常連である。その娘は米国でM.B.A.を取得しており、ファミリーの不動産ビジネスを任されている。

 一般大衆向けの消費財(・・このケースでは食品飲料産業)で財をなし、運用は不動産で行うという、華人が完全に同化されたタイならではの金儲け方法であり、かれらは絵に描いたような富裕層ファミリーである。

 本書はは、経済だけではなく、かなりミクロな企業経営まで踏み込んでいるので、ビジネスマンにとっても読み応えがある。


 本書で特筆すべきことは、2006年9月に勃発したクーデター後の政治状況について、キーワードとして「司法による政治のコントロール」をあげていることである。

 「司法によるクーデター」といってすらよい事態によってバンコク・スワンナプーム国際空港封鎖事件が解決したことは記憶に新しい。つい昨年11月のことである。このときはえらい苦労をしたものだと今になっても回想する。

 また、国王の諮問機関としての枢密院についての記述も重要である。この点にかんしていえば、詳細は別としても、戦前の日本も似たような構造である。


 特に重要なのが、タクシン元首相の功罪についても、功績の面に対して公平な評価をしていることである。

 タクシンがその代表的存在である新興財閥(・・極言すれば成金である)と王族や陸軍を頂点とする旧来型の支配層との勢力争いは、1997年のアジア金融危機への対応をめぐる経済思想の違いとも捉えることもできる。書評の中では、私自身の問題に引きつけて、そのように書いておいた。


 本書を注意深く読めば、主要な人物の背景についても重要な知識を得ることができる。

 たとえば、タクシン(・チナワット、またの名は丘達新)は客家(ハッカ)系、戒厳司令官でないほうのソンティ(・リムトーングン、またの名は林明達)は海南(ハイナン)系と、いずれもタイではマジョリティの潮州(チャオチュウ)系ではないことなど。

 詳細な索引をつけてくれると、本書の使用価値もグンとあがったのだが。
 

 「王制の未来」について行間を読めと私が書いたのはどういうことかというと、これも戦前の日本と同様、タイ王国には「不敬罪」(lèse majesté:フランス語)が存在することだ。不敬罪とは、国王や王妃をはじめとする王族に対して非難中傷を行う行為や言動全般を犯罪とみなす刑法上の概念である。

 2006年のクーデター後は「不敬罪」の適用が頻繁になってきており、たとえ外国人であっても、使用言語が日本語であっても、うかつなことでは発言できなし、書かないほうがよいという「空気」が醸成されている。このへんの感覚については、天皇制のもとにある日本人なら、ある程度まで理解は可能だろう。

 また、以前はまったくなかった空港での荷物チェックを昨年の秋に実施されたことが一回だが経験した。その際は、スーツケースを開けさせられたうえで、日本語の本のタイトルまで一冊一冊チェックしていた。国内持ち込み禁止本リストがあり、もし所有物にリストにある本が見つかった場合は間違いなく没収されることになる。銀行制度が信用されない某国に、多額の米ドルの現金を持ち込んだときのイミグレーションよりもスリルがあった、とまではいわないが。

 こういった背景から、著者はそうとう用心して記述を進めているな、ということが読み取れるのである。これは参考文献についてもいえることだ。したがって、行間を読まないと本当のことは見えてこない。

 もちろんタイは、東南アジアではシンガポールにくらべるとはるかに自由で、ある意味かなり"ゆるい"国で、基本的には言論は自由なのだが、ただ一点だけタブー領域があるということなのだ。
 こんなことを書くだけでも、実はかなり気を使っているのである。誤解による無用なトラブルは避けなければならない。

 極論をいえば、21世紀初頭のタイ王国という国は、戦前の大日本帝国が、最先端のグローバル資本主義に巻き込まれた状況に近いのかもしれない。もちろん安易な比喩は危険だが、用心するに越したことはないのである。よその国なのだから、それは当然の礼儀でもある。


 この本はある程度タイについて知っていると面白く読めるが、まったくタイを知らない人が読むためには前提となるものが多すぎるかもしれない。

 正直いって、この書評はあまりうまく書けていない。私自身ある程度までタイを知っているので、ついついある種の"インサイダー意識"が前面に出てしまったような気がする。ディテールにまで踏み込みずぎた書評になってしまった。

 もう少し短くて、読みやすい内容にしないといけないと思うのだが、これは難しい。知っていて知らないふりをする訓練、これも節度ある文章を書くためには必要だ、と痛感する次第。

(以上)

        


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「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)                   
     





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