2010年7月23日金曜日

アマルティア・セン教授の講演と緒方貞子さんとの対談 「新たな100年に向けて、人間と世界経済、そして日本の使命を考える。」(日立創業100周年記念講演)にいってきた




 アマルティア・セン教授緒方貞子さんの講演を、本日(2010年7月23日)聞いてきた。
 日立創業100周年(!)記念講演である。講演会場は東京国際フォーラム(有楽町)のホールA、コンサート会場並の広さをもつ大ホールである。

 講演会は二部構成で、第一部でセン教授の講演、第二部ではそれをうけて緒方貞子さんとの対談。対談は当然のことながら英語。ともに英語を使い、国際社会に大きな影響を与えてきたアジア人である二人。
 先週のムハマド・ユヌス博士のシンポジウムに引き続き、対談の司会は道傳愛子NHK解説委員、売れっ子だな。
 道傳(どうでん)さんは米国のコロンビア大学の大学院を卒業しているだけでなく、10年前にはその当時の女性では珍しく、タイ王国のバンコク駐在を3年間体験しているので、英語を使うアジア人としても適任であろう。私がバンコクにいたときとは重ならないのが残念だが。



祝! 日立製作所創業100周年-日立と GE について考えてみる

 日立製作所が創業されてから100周年記念行事の一環のそうだが、それにしても100周年とはすごいことだ。なんといっても一世紀である。
 会場には往年の CMソング「♪この木なんの木 気になる木 名前も知らない 木ですから 名前も知らない木になるでしょう・・・」が流れていて、懐かしかった。最近は日立の CM を見る機会がなかったが、新しいバージョン(音声注意!)になっているようだ。このサイトでは「歴代のCM」が視聴できる。昔の CM は懐かしい。

 最近は「選択と集中」を唱えながらも巨大化し、肥大化して身動きのとれない日立製作所グループに対しては、経済マスコミの世界ではネガティブなコメントばかりが多いが、日本でもっとも博士号(ドクター)所有者が多いなど、サイエンス&テクノロジー(科学技術)分野での存在の大きさは、けっして軽視されるべきではない

 私は大学学部時代の四年間ずっと東京都小平市に住んでいたが、日立製作所の中央研究所いまはなき女子バレーボール部の存在は、身近に感じていたものだ。大林素子は見たことはないが、バレーボール選手はカラダが大きいのでよく目立つ。ちなみに、マンガとアニメの『アタック・ナンバーワン』は日立がモデルである。
 また、日立製作所の発祥の地で、企業城下町である茨城県日立市では、独特の競技スポーツであるパンポンが行われているよいうことはあまり知られていないようだ。
 パンポンとは、木製のラケットと同じく木製のネットで行う、テニスと卓球(ピンポン)によく似た球技で、軟式テニス用のゴムボールを用いるらしい。スポーツにおいても独特の企業文化が形成されてきたのが日立製作所である。

 しかし、この日立製製作所が長年の提携先である、米国の世界企業 GE(ゼネラル・エレクトリック)のようにはなぜなれないのか、それともならないのか、日本人ビジネスマンである私としては、大いに考えさせられるものがある。

 奇しくも私が卒業した米国の工科大学 RPIは、ニューヨーク州北部のトロイにあり、 GEの中央研究所(Corporate Research Center)は学校からそう遠くはないスケナクタディに立地していた。大学教員には GE出身者が少なからずいたし、学生のなかにはずっと三代つづけてGE に勤務していたなんていう者もいた。現在の CEO である ジェフリー・イメルト(Jeffrey Immmelt)もまた父親と二代で GEマンであるらしい。

 しかし、ニュートロン・ジャック(=中性子ジャック、つまり外部は破壊しないで企業内部のみ破壊したことのたとえ)の異名をとった GE 中興の祖ジャック・ウェルチの「業界ナンバーワンかナンバー2以外の事業から撤退する」という「選択と集中」という大改革で、整理されてしまった事業部門や工場も少なくない。このおかげで GE は現在でも米国を代表する世界企業として、ビジネススクールでもっとも研究される企業グループになっているが、現場で働く人たちの忠誠心にひびが入ってしまったのではないかと思われる。
 もちろん、とくに幹部候補生への充実した教育訓練で有名な GE であるが、生産部門で働いているエンジニアやワーカーにとってはどうなのだろうか、情報があまり伝わってこないのでよくわからない。

 日立製作所の日本と世界に対する貢献は、なんといっても科学技術をベースにした製品づくりを通してのものだろう。これはセン教授も、緒方博士もともに強調すていたことである。これはリップサービスではなく、そう思うからこそ記念講演会への出席を快諾したのだと思う。

 営利企業としての存在、社会に貢献する組織としての存在、これは現代に限らず企業組織が社会のなかで存在するためには不可欠の相互関係だが、営利企業としての存在にゆらぎが生じると、社会貢献の主体としての存在に大きなネガティブな影響がでてくることはいうまでもない。
 日立製作所には、ひろく社会に貢献してもらうためにも、次の一世紀も活躍してもらいたいものである。
 しかし、GE のような戦略がほんとうに正しいのかどうか、にわかには判断しかねるものがある。
 転換期には巨大企業グループといえども、もがき苦しみながら、自らの道を切り開くしかない。



講演会の内容:「人間の安全保障」(human security)にとっての基礎教育(basic education)の意味

 さて、本題である講演会に移ろう。ここではまず、主催者側の講演会の説明文を紹介しておこう。

「新たな100年に向けて、人間と世界経済、そして日本の使命を考える。」

グローバル化が急速に進展していく中、世界の経済は飛躍的に発展してきました。しかし、一方で富の偏在化や国境を越えた気候変動、新型インフルエンザなど感染症の蔓延、テロ、経済危機などマイナスの側面ももたらす結果となりました。今後、さらにグローバル化が進む中、人類が直面する多くの課題をどのように克服していくべきなのか。また、その中で日本が果たさなければならない役割とは何かを検討していきます。

第一部では、混迷を深めるグローバル経済の未来に新たな希望の灯を灯す「厚生経済学」の提唱者で、アジアで初めてノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン教授をお招きし、「人間の安全保障とグローバル経済の展望」について語っていただきます。

それを受けた第二部では、アマルティア・セン教授、JICAの緒方貞子理事長による対談を行います。これから迎える新たな時代において、世界全体の繁栄と平和のために、日本ができること、期待されていることを世界的な舞台でご活躍されているお二人に語り合っていただきます。


 1933年にベンガルに生まれたアマルティヤ・セン教授(Prof. Amartya Sen)は、いうまでもなく1998年にアジア人で初めてノーベル経済学賞を受賞したインド人経済学者。厚生経済学と経済倫理を専攻したセン教授の名前は、大学時代に塩野谷祐一教授の「経済と倫理?」の授業で聞いたことがある。厚生経済学とは、人間の福祉を経済学的にどう実現すべきかを研究する、実践性の高い理論分野である。
 セン教授は、英国と米国で経済と倫理の関係について研究し、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの元学寮長を歴任したのち、現在はハーバード大学経済学および哲学教授。

 奇しくも、先日シンポジウムに出席されたムハマド・ユヌス博士も、インド独立後はバングラデシュ(旧 東パキスタン)となって分離したが、同じくベンガルの出身で、同じく経済学博士である。
 200万人近くの餓死者がでたという、1943年の「ベンガル大飢饉」の記憶が、セン教授の原点になっているということだが、ユヌス博士も直接の見聞の記憶はないとしても、その話は何度も聞かされたことであろう。 
 ベンガル出身のこの二人が、一人は理論と啓蒙の分野で、もう一人は実践の分野で活躍していることは、大いに記憶にとどめておきたいことである。インドとバングラデシュは現在は国境で分断されているが、ベンガルという地域を一体として考えるべきことの重要性を知るべきなのだ。

 ベンガルの名門出身のセン教授の日本とのかかわりは、高校時代に日本とも縁の深い詩聖タゴールが創設した学園で、「聖徳太子の17条憲法」(The Constitution of Seventeen Articles)の話を教えられて以来のことだという。
 その意味では、セン教授の日本理解は、付け焼き刃の知識ではない。

 セン教授は、過去の日本の貢献は、なんといってもアジアではいち早く、国家の制度として無償の「義務教育制度」を導入したことだという。木戸孝允の名前を引き合いにして述べていたが、明治維新後の1872年という段階で初等教育の義務教育化を実行に移したことが、識字率の向上をもたらし、国家発展の基礎となっただけでなく、貧困問題の解消にもつながったことを指摘している。
 セン教授の表現を使えば、「人間の安全保障」(human security)にとっての基礎教育(basic education)の意味ということになろう。『人間の安全保障』(アマルティア・セン、東郷えりか訳、2006)にも収録された講演内容と重なるものだ。
 「人間の安全保障」とは、「国家の安全保障」とは異なり、個々の人間の生活を脅かすさまざまな不安を減らし、可能であればそれらを排除することを目的としているのである。そのためにはなんといっても、基礎教育が普及して識字率が向上することが不可欠なのだ。
 この持論は、ユヌス博士も共有している。

 日本モデルは、基礎教育の義務教育、民主主義(・・これは戦後民主主義の意味ではない)、開かれたディスカッションなどに代表されるもので、その後はいうまでもなくアジア各国にも普及し、アジア発展の原動力になっていくことになる。
 世界ではいまだに義務教育が普及しておらず、貧困問題解決の大きな妨げになっていることを考えると、日本モデルの世界的な意義が理解されるわけである。
 日本人にとっては当たり前のことも、セン教授に指摘されるとあらためてその意味の大きさに気づかされる。世界に義務教育を普及させていくことは、日本の使命である。

 緒方貞子(Dr. Sadako Ogata)さんは、1927年生まれ、上智大学教授から国連難民高等弁務官に転出し、冷戦構造崩壊後の世界で頻発する難民問題解決の陣頭指揮をとってきた、日本が誇る世界的リーダーである。現在は、独立行政法人国際協力機構(JICA)理事長である。
 セン教授の講演後の対談では、セン教授の持論である「人間の安全保障と基礎教育」の問題について、さらに突っ込んだ議論が交わされた。
 「小さな巨人」ともいってよい、現在83歳の緒方さんからは、まったく年齢を感じさせない、明晰で説得力のある英語で対話がなされていた。セン教授の英語も英国で鍛えられているので聞きやすいが、緒方さんの英語もまたたいへん聞きやすいものであった。


緒方貞子さんの著書とセン教授の著書の紹介

 緒方貞子さんの国連難民高等弁務官時代のメモワールは、英語版で読んだ。Sadako Ogata, The Turbulent Decade: Confronting The Refugee Crises Of The 1990s, W W Norton & Co Inc, 2005 日本語版は、『紛争と難民-緒方貞子の回想-』(緒方貞子、集英社、2006)
 国連難民高等弁務官10年間の回想録では、 クルド、ボスニア、ルワンダ、アフガニスタンでの経験が書かれており、リーダーシップのあり方についても勉強することの多い本である。
 英語版は品切れだが日本語版は在庫があるので、長い本だがぜひ一読をすすめたい。


 セン教授の講演録は集英社新書にまとめられている。『貧困の克服-アジア発展の鍵は何か-』(アマルティア・セン、大石りら訳、集英社新書、2002)と、とくに『人間の安全保障』(アマルティア・セン、東郷えりか訳、2006)は、今回の講演内容にも重なるものも多く、セン教授のこの10年間の思索内容が文字になっているものなので、たいへん読みやすい日本語訳でもあり、ぜひ目を通すことをすすめたい。


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