2011年10月9日日曜日

リヒャルト・シュトラウスのオペラ 『ナクソスのアリアドネ』(バイエルン国立歌劇場日本公演)にいってきた


 10月第2週の土曜日のきのう、リヒャルト・シュトラウスのオペラ 『ナクソスのアリアドネ』(バイエルン国立歌劇場日本公演)にいってきた。

 このオペラはいい! 21世紀にオペラが生き残るとしたら、いやすでにオペラというジャンルが終わっているのだとしても、こういう方向性なら「古典芸能」ではなく、「現代歌劇」として成立しうるのではないかと思わされた。

 演出もまたすばらしい。文句なしにこのオペラはすばらしかった。

 会場は上野の東京文化会館。先週も、ドニゼッティのオペラ『ロベルト・デヴェリュー』を見に行ってきたばかりだが、上野の森は「芸術の秋」には、とくに美術とオペラにはふさわしい。落ち葉を踏みしめながら歩くこと自体に秋を感じることができるから。

日時: 2011年10月8日(土)15:00
会場: 東京文化会館
時間: 15時~17時40分 合計演奏時間130分(幕間休憩1回30分)原作:ホフマンスタール
作曲:リヒャルト・シュトラウス
指揮:ケント・ナガノ
演出:ロバート・カーセン
歌唱: ロバート・スミス(バッカス/テノール歌手役)
    ダニエラ・ファリー(ツェルネビッタ役)
    アドリエンヌ・ピエチョンカ(アリアドネ/プリマドンナ役)
    アリス・クート(作曲家役)



作家ホーフマンスタールと作曲家リヒャルト・シュトラウスのコラボレーション


 『ナクソス島のアリアドネ』は、リヒャルト・シュトラウス(1864~1946)の 1916年の作品。

 バイエルン王国のの首都ミュンヘンに生まれ育って、その地を活動の中心にしていたリヒャルト・シュトラウスの作品を取り上げるのは、バイエルン国立歌劇場としては当然といえば当然というべきなのだ。

 シュトラウスのオペラといえば『薔薇の騎士』だが、この『ナクソス島のアリアドネ』もまた、世紀末ウィーンを代表する作家フーゴー・フォン・ホーフマンスタール(1874~1929)との共作である。

 今風にいえば作家と音楽家とのコラボレーションということになろうが、ただし、ホーフマンスタールの台本に音楽家が曲をつけたという単純な共作ではなく、芸術論にかんする激論をまじえた共作関係であったようだ。
 
 現在でもミュンヘンとウィーンでは、かなりの距離がある。手紙以外に電話もつかってコミュニケーションを行っていたのかどうか。


「ナクソスのアリアドネ」というギリシア神話とは?

 アリアドネは、つい先日までやっていたTVドラマのタイトルでもあるが、「迷宮から救い出す」という神話的な意味で用いられたものだ。

 神話とはギリシア神話、迷宮(ラビリントス)とは冥界につながると信じられていたクレタ島の洞窟(迷宮)のことを意味している。事件が迷宮入りするという迷宮であり、ドイツ文学者の種村季弘が著作集ににつけたラビリントスである。

 ナクソス(Naxos)といえば、廉価版のクラシック音楽レーベルを想起するが、エーゲ海に浮かぶギリシアの小島である(・・下図のまんなか、A の矢印がついている島)。



 アリアドネについては、wikipedia の項目から該当部分を引用しておこう。ただし、ギリシア語表記の長音はわずらわしいので、すべて短音に直しておいた。なお、クレタ島を意味するクレーテーではわからないのでクレタに変換しておく。

クレタ王ミノスは、息子アンドロゲオスがアッティカで殺されたため、アテナイを攻めた。こうしてアテナイは、九年ごとに七人の少女と七人の少年をミノタウロスの生贄(いけにえ)としてクレタに差し出すこととなっていた。テセウスはこの七人の一人として、一説ではみずから志願して生贄に加わってクレタにやって来た。

迷宮とアリアドネーの糸

アリアドネはテセウスに恋をし、彼女をアテナイへと共に連れ帰り妻とすることを条件に援助を申し出た。テセウスはこれに同意した。アリアドネーは工人ダイダロスの助言を受けて、迷宮(ラビュリントス)に入った後、無事に脱出するための方法として糸玉を彼にわたし、迷宮の入り口扉に糸を結び、糸玉を繰りつつ迷宮へと入って行くことを教えた。
テセウスは迷宮の一番端にミノタウロスを見つけ、これを殺した。糸玉からの糸を伝って彼は無事、迷宮から脱出することができた。アリアドネは彼とともにクレタを脱出した。

クレタよりの脱出後

クレタより脱出後・・(中略)・・これ以降のアリアドネの運命については諸説がある。・・(中略)・・別の説では、アリアドネーはナクソス島に至り、ひどい悪阻(つわり)であったため、彼女が眠っているあいだにテセウスに置き去りにされたともされる。されたともされる。あるいはこの後、ディオニュソスが彼女を妃としたともされる。


 概略は以上のような話である。アリアドネは英雄テセウスと一緒に語られる存在である。ここにでてくるダイダロスは息子イカロスとともに迷宮から脱出するが、ご存じのとおりイカロスは墜落してしまう。ミノタウロスは、牛頭の半人半獣である。

 そういった雑多な話はさておき、このオペラに関係するのは、ディオニュソスが彼女を妃としたともされる」という別説のほうだ。

 ギリシア神話のディオニュソスはローマ神話ではバッカス、ここでようやくホフマンスタール原作の台本にたどりつくことになる。ホフマンスタールは、この別伝承をもとに創作したようだ。

 ハンガリー出身の神話学者ケレーニイの『ギリシアの神話-英雄の時代-』においても、アリアドネの神話には伝承によって多くのバリエーションがあることが示されており、どれがもっとも正統なものであるかは決めるのは難しい。なぜなら、それぞれの島ごとに伝承が異なるのは、島民にとっての真実はそれぞれ別物であるからだ。これは日本の『古事記』や『日本書紀』でも同様である。

 したがって、後世の文学者がいかように解釈しようが問題ないだろう。そしてまた男と女の関係というものは、永遠のテーマである。

 これさえわかっていれば、アリアドネにまるわるギリシア神話の詳細はほんとうはどうでもいい話だ。おそらく、上演当時の観客たちも、ギリシア神話の細かい話など知らなかったに違いない。


オペラ『ナクソスのアリアドネ』

 いつ始まったのかよくわからないような演出、これもまた斬新な演出である。

 オペラなのか、レヴューなのか、文学キャバレーなのか、オペレッタなのか、ミュージカルなのかよくわからないドタバタ喜劇のような「プロローグ」のあと第一幕となる。このオペラはプロローグと第一幕だけの二幕構成で、今回は幕間なしの2時間強の上演であったが、合計2時間40分くらいが、人間の生理的感覚からいっても、長すぎず短すぎずでよいのかもしれない。

 このオペラは19161年の作品で、第一次大戦中の作品であることに注意しておきたい。

 戦争が始まったのは1914年、ドイツの敗戦で終わったのは1919年である。1916年の時点では、戦線は膠着していても、まだ敗色があらわになっていなかったのか? シュトラウスのバイエルン王国も、ホーフマンスタールのオーストリア=ハンガリー二重帝国(・・いわゆるハプスブルク帝国)も、この戦争の結果、消滅した。

 このオペラも、その意味では、第一次大戦後に流行したキャバレーなどの流行を先取りして取り入れたものとなっていたのだろうか。ライザ・ミネリ主演のハリウッド映画『キャバレー』の世界は、1930年代前半のベルリンである。

 1916年当時は、もはやすでにオペラの時代ではなくなりかけていたのであろう。そういった過渡期の時代に、自虐的(?)な傾向もなくもない作品だが、オペラのようなブルジョワ階級の芸術と大衆芸能を交錯させ、融合させることに、実験的に着手したのだろか。そう考えると、このオペラ自体が、現代風演出を先取りしていることになる。

 はじめて上演されてから今年で95年目、とはいえ第一次大戦前後は「現代史」のまさに渦中の歴史として、遠い昔だという気がしないのが不思議なことなのだ。だから、このオペラは作成され上演された時点からすでに現代ものなのである。演出もいくらでも現代風にしたらいい。

 ところで、「日経ビジネスオンライン」の記事「詳細なデータなしで原発廃止を提言した報告書-「原子力リスクの分析を技術者だけに任せてはいけない」と判断したドイツ人(下)(熊谷 徹) 2011年10月7日(金)には、以下の記述があるので採録しておく。

・・(前略)・・バイエルン州立歌劇場は今年9月23日から10月上旬まで東京と横浜でワグナーの「ローエングリン」などを上演している。しかし団員400人のうち約100人が、日本への出張を拒否した。
 歌劇場のニコラウス・バッハラー総裁と音楽総監督ケント・ナガノは事前に東京を訪れて情報収集をした後、団員に状況を説明。この結果、約4分の3の団員が日本公演に参加したが、残りは日本に行かない道を選んだ。私はドイツ人のリスク意識の高さや、事故発生直後のドイツのマスコミのセンセーショナルな報道を考えれば、総裁はよく300人の団員を説得できたと思った。それでも、団員の4分の1が「代打」では、熱心な日本のオペラファンの中には、不満を感じる人もいるのではないか。・・(後略)・・


 こういう事情があったにせよ、今回の来日公演は成功に終わったといってよいだろう。

 とくに『ナクソスのアリアドネ』の、ツェルネビッタ役のダニエラ・ファリーへの拍手の大きさは格段のものがった。みな同じように感じているのだ。

 ライブ公演は文字通りなまものであり、どんな突発事件が発生するかフタをあけてみるまではわからないという怖さがあるものだ。

 その意味では、今年は最後の最後まで、たいへんなことだっただろうと察するが、この『ナクソス島のアリアドネ』もまた、気まぐれなご主人の意向に翻弄されるアーチストたちのドタバタを描いた作品である。ある意味、もっとも適切な演目の選定であったかも(笑)

 今年は奇しくも「日独交流150周年」にあたるそうだ。その意味でも記念となる公演であったといえるだろう。あと一日(10月10日)の公演を残してフィナーレとなる「バイエルン国立歌劇場日本公演」、有終の美を飾っていただきたいものである。


<関連サイト>

バイエルン国立歌劇場「ナクソス島のアリアドネ」(Richard Strauss ARIADNE AUF NAXOS, Oper in einem Aufzug nebst einem Vorspiel, Text vom Hugo von Hoffmansthal)
・・主催者のNBSによる投稿映像。この映像で雰囲気を感じ取っていただきたい

日本舞台芸術振興会の「バイエルン国立歌劇場2011年日本公演」
・・演目とその解説記事


<参考書>

『ギリシア・ローマ神話辞典』(高津春繁、岩波書店、1960)
『ギリシア神話-美術と伝説にみる世界-』(呉茂一編著、社会思想社、1972)
『ギリシアの神話-英雄の時代-』(カール・ケレーニイ、植田兼義訳、中公文庫、1985)

『ホーフマンスタール(ロロロ・モノグラフィー叢書)』(ヴェルナー・フォルケ、横川滋訳、1971)

『Bayerische Staatsoper 2011 バイエルン国立歌劇場日本公演カタログ』(日本舞台芸術振興会、2011)


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