日本経済新聞で20年にわたって経済記事を書いてきた元・編集委員が新聞社を「脱藩」してはじめて書くことのできたジャーナリズム論だ。
ウェブマガジン『現代ビジネス』(講談社)に連載された記事を再構成して加筆したものである。
すでに一部はウェブでも読んでいたが、あらためて通読すると日本の新聞メディアの構造的問題が浮かび上がってくるのを実感した。
いまから十数年前になるが、ある日系の石油会社のエグゼクティブから、「(とくに月曜日の)日本経済新聞の一面は政府の垂れ流し記事だから、まったく読む必要はない」という話を聴いたことがある。つまり日経の一面は「官報」となんら変わりがないということだ。
それ以来、わたしは新聞とは距離を置いて接するようにしてきたが、本書のタイトルを見て真っ先に思ったのはそのエピソードであった。
著者は、政「官」と「報」道(=マスコミ)報道の複合体のことをさして「官報複合体」というのだが、わたしは、読んで字の如く「官報」、すなわち官僚情報の垂れ流しと受け取っても問題ないと思う。日本の新聞は官報そのものなのだ。
ピューリッツァー以来の本来あるべきジャーナリズムの機能とは、権力を監視するウォッチドッグ(=番犬)にあるはずだ。だが、日本の新聞には市民の目線から権力をチェックする権力監視型報道は皆無である。
速報性においてはインターネットにはるかに劣るのにかかわらず、いまだに通信社機能が全面にでている日本の新聞社の姿勢。米国を過度に持ち上げる必要はないが、それにしても日本の新聞はひどすぎる。
これは、「3-11」の原発事故報道によって、多くの国民は痛感したことだろう。日本の新聞においては、ジャーナリズムにおいてもっとも重要なファクト・ファインディングが行われていないのだ。日本ではむしろ、日本の新聞社系列ではないため記者クラブから締め出されている雑誌記事のほうがより「調査報道」に近い。
米国を代表する経済紙WSJ(=ウォール・ストリート・ジャーナル)と日本経済新聞の違いもまた、本書を読んでいてつよく印象づけられた。現在のWSJはメディア王マードックの傘下に入って変質してしまったようだが、記者クラブのない米国の新聞ジャーナリズムの基本線をつくったのがWSJであったというのは、ジャーナリズムの世界には詳しくないわたしには意外な話だった。
問題は、この期に及んでも、テレビと新聞以外の情報源をもたない国民が多数を占めることだ。帯の文句ではないが、「今すぐ新聞をやめなければあなたの財産と家族が危ない!」というのは、けっして誇張でもなんでもない。わたし自身、新聞購読をやめてから3年になるが、仕事でも生活でもまったく困っていない。
果たして日本の新聞社に自浄作用はあるのだろうか。それとも、根こそぎ崩壊してしまうのだろうか・・・。
<初出情報>
■bk1書評「「官報複合体」とは読んで字の如く「官報」そのもの、つまり官僚情報の垂れ流しだ」投稿掲載(2011年4月4日)
■amazon書評「「官報複合体」とは読んで字の如く「官報」そのもの、つまり官僚情報の垂れ流しだ」投稿掲載(2011年4月4日)
<書評への付記>
わたしはすでに新聞を読まなくなってだいぶたつ。だが、雑誌は読んでいる。新聞よりも、はるかに深い分析が行われているからだ。しかも、事実究明(ファクト・ファインディング)にかんしては、新聞よりもはるかに執拗に行っている。
また、シンクタンクやコンサルティング会社のレポートのほうが、バイアスが存在するとはいえ、徹底的な事実重視を基本姿勢としている点において「調査報道」に近いのではないかという気もする。
しかし、シンクタンクやコンサルティング会社といえども、株主や取引先の意向とはまったく独立に意見表明はできないものだ。
もちろん、完全に独立した言論というものは原理的にありえない。自分もふくめた、かならず何かの立場に基づいた見解であり、発言であるからだ。
しかし、ある特定の勢力に気兼ねして本当のことについて書かないばかりか、あきらかに偏向した見解を、あたかもそれがただしい見解であるかのように語る傾向のある日本の新聞マスコミに対する批判はますます根強いものとなる傾向にある。
これはテレビも同罪である。日本の地上波のテレビ局が、NHKを除けば、すべて新聞社系列であるから、これは当然といえば当然だ。
ただし、新聞社であれ、テレビ局であれ、個々の記者たちに問題意識がないというわけではない。「個」としての記者には良心もあれば、気概もあるはずだ。
だが、日本人は見えない「世間」という縛りのなかで生きているので、ついつい組織の意向に同調していまいがちだ。著者の牧野氏もまた、日本経済新聞社のなかにいるときは、言いたいことがいえない、書いた記事がそのまま掲載されないという悔しさを感じ続けていたようだ。
「世間」が支配する日本においては、新聞記者は組織の外に出ない限り、存分に活動することはできないのである。一人でも多くの新聞社社員が「脱藩」して、本来の意味のジャーナリストになってほしいものだ。
新聞社も読者離れがすすめば、ビジネスである以上、限られたパイ(=購読者=市場)をめぐる競争のなかで淘汰される会社もでてくるだろう。そのときこそ、ほんとうの競争が始まるのである。
ほんとうの競争がはじまって、新聞社が本来の役割を取り戻してほしい。会社なんだから、差別化を打ち出せばいいのだ。記事の中身で勝負すべきなのだ。
<関連情報>
牧野洋の「ジャーナリズムは死んだか」
・・本書のもとになったオンライン・マガジン連載の原稿
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