2012年6月21日木曜日

書評『イギリス近代史講義』(川北稔、講談社現代新書、2010)ー「世界システム論」と「生活史」を融合した、日本人のための大英帝国「興亡史」



「世界システム論」と「生活史」を融合した、日本人のための大英帝国「興亡史」

本書『イギリス近代史講義』(川北稔、講談社現代新書、2010)は、著者自身が抱いている、かなり切迫感をもった危機感から語り始められている。

大学受験で世界史を選択する者が減少しているだけでなく、世の中で歴史学はすでに終わった学問だと見なされているというのだ。日本人の歴史的思考能力が劣化しつつあるのだ、と。

著者のいいたいこともわからなくはないが、わたしに言わせれば、「歴史的思考の劣化」ではなく、もともと日本人は「歴史的思考」は身についていないと思うのだが、それはまあそれは脇においておこう。

しかし、日本人の問題意識から出発した歴史学が必要だという著者の姿勢には、まったく賛成だ。

というのも、『自分のなかに歴史をよむ』という名著を書いた阿部謹也ゼミナールに学んだ者としては、当たり前すぎるほどに「常識」だと考えているからだ。阿部謹也の師である上原専禄には、検定不合格教科書を書籍化した『日本国民のための世界史』(岩波書店、1960)という本もある。

その意味では、本書は現代に生きる日本人にとっては、ひじょうに関心のつよいテーマである「衰亡論」に正面から取り組んだものであるだけに、出版以来版を重ねており、比較的よく読まれているのであろう。本書は衰亡史だけではなく、興隆史も描いているので、あわせて興亡史というべきだろう。

「衰退論」は、歴史学の議論であるが、政治的に大いに利用されてきたと著者は本書のなかで語っている。たしかに、「衰亡論」のさきがけとなった 『ローマ帝国衰亡史』を書いた英国の政治かエドワード・ギボン自身、アメリカ植民地喪失の時代の英国人であった。現代もまた政治的な観点から語られるのが「衰亡論」である。

中西輝政の『大英帝国衰亡論』が、日本の衰退を嘆く立場から全盛期の英国を讃えながら、現在の日本人にカツをいれるような筆致であるのもまた、その流れのなかにあるといってよい。中西氏は政治学者であり、いうまでもなく保守の論客である。

本書の著者・川北稔氏の政治的立場は知らないが、危惧するのは歴史学の復権であることは間違いない。それも、日本人による日本人のための歴史学である。


英国社会史とヨーロッパ「世界システム」の歴史の枠組みのなかイギリス近代史を考える

本書は、イギリスという国の成り立ちと、「衰退」プロセスを、メカニズムに着目して、内側から描こうという姿勢に特徴がある。

著者は、ウォーラステインの主著 『近代世界システム』の翻訳によって「世界システム論」という歴史学の理論を積極的に日本に紹介してきたとともに、一般大衆に焦点をあてたイギリス社会史の著作を何冊も出版して、日本の一般読者向けに提供してきた人でもある。

本書は、その理論的関心と地道な生活史の成果が、うまく結合したものだといえよう。本の成り立ちが、編集者を前に語り下ろしたものを文字化したものであるだけに、話の筋が一貫しており、ひじょうに読みやすい内容になっている。

「世界システム論」からは地球全体で考える思考生活史を中心とした社会史からは、家族構成と人口問題や都市化というライフスタイルを考える思考がでてくる。前者のウォーラステインがブローデルの延長線上にあるとすれば、後者の社会史もまた、アナール派などのあたらしい潮流のなかにあるものだ。

近代システムの多くが英国で始まったことは、社会科学を学んだことのある人間にとってはある種の常識だ。そういう人間にとって、なぜ産業革命が世界にさきがけて英国で発生したのか、それにもかかわらず、なぜ英国は現在では金融立国として生き残っているのか、など魅力的なテーマが多い。

「サッチャー革命」による金融街シティの変貌が、ジェントルマン資本主義から新自由主義への完全な移行をもたらしたことも、著者の問題意識が歴史家でありながら、きわめてアクチュアルなものであることを感じさせる。現在のシティは、すでに白洲次郎が語っていたような金融界ではない。

なぜ大英帝国という植民地帝国が英国には必要だったのかについては、より研究書の色彩のつよい『民衆の大英帝国-近世イギリス社会とアメリカ移民-』をあわせて読むことで立体的な理解が可能となる。

中西輝政の『大英帝国史』をすでに読んだ人も、政治史というよりも、経済史に力点をおいた社会史でもある本書をぜひ読んでほしいと思うのである。

もちろん、いかなる教訓を読み取るかは、あくまでも読者一人一人によって異なるのは当然だ。






目 次
プロローグ 歴史学は終わったのか
第1章 都市の生活文化はいかにして成立したか-歴史の見方-
第2章 「成長パラノイア」の起源
第3章 ヨーロッパ世界システムの拡大とイギリス
第4章 世界で最初の工業化―なぜイギリスが最初だったのか
第5章 イギリス衰退論争-陽はまた昇ったのか
-イギリスは衰退したのか-基礎データ
エピローグ 近代世界の歴史像
さらに学びたい人のために


著者プロフィール

川北 稔(かわきた・みのる)
1940年生。京都大学文学部卒業、同大学大学院文学研究科博士課程中退。文学博士。大阪大学大学院文学研究科教授、名古屋外国語大学教授を経て、京都産業大学文化学部客員教授、国際高等研究所副所長を経て、現在、佛教大学特任教授。大阪大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものにカバー記載の情報を加えたもの)。



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大英帝国衰亡史と英国の底力の源泉

書評 『大英帝国衰亡史』(中西輝政、PHP文庫、2004 初版単行本 1997)

書評 『大英帝国という経験 (興亡の世界史 ⑯)』(井野瀬久美惠、講談社、2007)-知的刺激に満ちた、読ませる「大英帝国史」である

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映画 『マーガレット・サッチャー-鉄の女の涙-』(The Iron Lady Never Compromise)を見てきた

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英国社会と固有の「文化」

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・・「文明」ではない固有の「文化」について日本通の英国人が語る

(2016年2月21日 情報追加)


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