2012年6月5日火曜日

書評『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)ー 教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論

教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論

1942年生まれで1961年に大学に入学した教育社会学者が、「自分史」を戦後史に位置づける試みである。

この試みによって、著者は、「左翼にあらざればインテリにあらず」という「革新幻想」の時代を、立体的に浮かび上がらせることに成功したといえよう。

本書は、「革命幻想」をまき散らした左翼知識人たちを俎上に乗せた知識人論である。そしてまた、高度成長によって「革命幻想」がいかに変容し、衰退していったかを論じた大衆社会論でもある。

索引を含めると540ページを越える大冊だが、着眼点が面白く文章もうまいので、良質なノンフィクション作品を読むような感覚で、最後まで読みとおすことができる。

本書は、社会学の方法論で歴史が分析されているが、教育社会学、歴史社会学、知識社会学、ネットワークの社会学、大学史、教育史、メディア論、人口統計学など、じつに多岐にわたった学問分野によってカバーされた内容になっている。

だが、学者が書いたものにかかわらず、キーワードやコンセプトがキャッチーなことも特徴だ。

「革新幻想」、「悔恨共同体」、「無念共同体」、『世界』の時代、「旭丘中学校事件」など、目次を見るだけでもなんだろうと引き寄せられるのを感じるのではないだろうか。

また、詳細なデータ分析をもとにした記述は、常識とは異なる結果を見せてくれるものであり、意外な印象を読者に与えてくれるだろう。時代を知る手がかりになるエピソードや文学作品などの豊富な引用がまた、本書を読ませる一冊としているといっていい。

それにしても、「革新幻想」の時代とは、いまから振り返ると、なんと異常な「空気」が充満していた時代であったことかと思わざるをえない。

著者は、丸山眞男など有名な「進歩派」学者たちだけでなく、教育学の世界を牛耳っていた左翼学者たちの発言や行動を取り上げているが、かれらの言動をいま読むとほとんど理解不能である。

著者がインサイダーとして熟知していた教育学部の内情についての記述を読むと、この世界を知らないわたしには、はじめて知る事実も多く、なんと不思議な学部なのだろうかという印象を抱かされたのであった。

わたし自身は1962年生まれで1981年に大学に入学した人間なので、著者とは年齢がちょうど20年違う。したがって、「革新幻想」が変容した時代の末期しか知らないのだが、本書を読むことで、なぜそのような時代の空気ができあがり、それが大学キャンパスにおいて長く尾を引いていたのかを知ることができた。たいへん興味深く感じている。

大学を卒業して実社会で働き始めると、ビジネス界はすでに著者のいう「実務家型知識人」の時代であった。大学という実社会とは切り放された空間においてのみ、「幻想」が「幻想」のまま再生産され続けていたことをあたらためて再確認することができた。

1960年代までの「革新幻想」の時代は、すでに過ぎ去った過去の異様な時代であり、いまになってはどうでもいいように思えなくもない。

だが、「大衆」という「見えない権力」によって監視される状態がいまの時代である以上、大衆人とは「革新知識人が啓蒙し創出しようとした大衆(市民)の鬼子(大衆エゴイズム)」(P.310)の担い手になっているという著者の指摘を読むと、「革新幻想」の影響は、けっして過ぎ去った過去ではないのだと思わされるのである。

「戦後日本」を知るうえで必読書といっていい。


■amazon書評「教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論」 投稿掲載(2012年4月5日)

*再録にあたって、加筆修正しました。




目 次          
はじめに-自分史としての戦後史
Ⅰ章 悔恨共同体と無念共同体
-1. 三島由紀夫が描いた都知事選
-2. 北一輝の弟
-3. 有田八郎と北昤吉(きた・れいきち)
Ⅱ章 『世界』の時代
-1. 民主社会党と雑誌『自由』の不運
-2. どれだけ読まれていたか
-3. 『世界』のアップ・アンド・ダウン
-4. 小春日和
Ⅲ章 進歩的教育学者たち
-1. 牙城・東大教育学部
-2. 教育社会学者との確執
-3. どこかおかしい教育学
-4. 知識人の欲望と教育学支配
Ⅳ章 旭丘中学校事件
-1. 北小路昴と北小路敏
-2. 「おい、おっさん、早く書かんか」
-3. 皇国少年と平和・民主少年
Ⅴ章 福田恆存の論文と戯曲の波紋
-1. 福田恆存と清水幾太郎
-2. 「解ってたまるか!」
-3. 進歩的文化人をめぐる攻防
Ⅵ章 小田実・ベ平連・全共闘
-1. 颯爽たるデビュー
-2. 小田実とベ平連
-3. 歴史のなかで見る全共闘
Ⅶ章 知識人界の変容
-1. 大学解体論と大学教授叩き
-2. 知識人概念の拡散
-3. 保守系オピニオン誌の擡頭
終章 革新幻想の帰趨
-1. 石原洋次郎の時代
-2. 草の根革新幻想
-3. 大衆モダニズムの帰結
あとがき
主要参考文献
人名索引


著者プロフィール
竹内 洋(たけうち・よう)
1942年(昭和17年)、新潟県に生まれる。京都大学教育学部卒業。同大学院教育学研究科博士後期課程単位取得満期退学。京都大学大学院教育学研究科教授などを経て、関西大学人間健康学部教授、京都大学名誉教授。専攻、歴史社会学、教育社会学。主な著書に『日本のメリトクラシー』(東京大学出版会、日経・経済図書文化賞受賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<書評への付記>

「3-11」をすでに経験した現在から振り返ると、「戦後史」はソ連崩壊以前と以後で区分できるだろう。

前半の戦後史が、著者のいう「革新幻想」の時代だが、さらに細分化すれば、以下のように三つに区分できる。
    
① 共産党がリードした「革命」幻想の1950年代前半まで
② 社会党がリードした「革新」幻想の1960年代後半まで
 学生運動が終結し、「革命幻想」が崩壊した時代

1962年生まれで1981年に大学に入学した「新人類世代」のわたしは、1942年生まれで1961年に大学に入学した著者とはちょうど20歳違うので、大学キャンパスの風景にかんしては共有するイメージはほとんどない。

1981年当時はバブル前夜で、キャンパスはレジャーランド化していた。大学の先輩にあたる、田中康夫の『なんとなくクリスタル』(1980年刊行)の時代である。

キャンパスには、いまだ、「革新幻想」の残存が残っていたような記憶がある。ただそれは「革命幻想のさらにそのなれの果てといった残骸であった。実学の府である一橋大学では、そもそも左翼的なものは否定はされないものの、あまり人気がなかったのも確かなことだ。

浅田彰や中沢新一に代表される「ニューアカ」ブームという、人文系学問や知識人が最後の光芒を放って消えていった頃だから、本書を読んでその前史はそういうものだったのかと納得することしきり。ちなみに「ニューアカ」知識人たちは基本的に左翼である。ニューアカは、ニュー・アカデミズムの略であったが、同時に「赤」でもあったわけだ。

その当時は、先日亡くなった吉本隆明がコムデギャルソンを着て女性誌のグラビアに登場するといった時代であった。本書を読むことで、「大衆インテリ」の時代に、なぜ吉本隆明が読まれたかの意味も、いまになってようやく知ることができる。

糸井重里などコピーライターがもてはやされていた時代でもあった。糸井重里は学生運動崩れであることは、あとから知った。1980年代前半は、バブル前夜の大衆資本主義時代になっていたのだ。

すでにソ連崩壊から20年、かつて「革新幻想」が充満していた「空気」があったといっても、ピンとこない。ましてや敗戦後からの10年間の共産党幻想も、そんな時代があったということじたい、まったく想像を越えている。

結局、高度成長時代に入って、どうでもよくなってしまったということなのだが、そうした生活人の意識と大学生の意識のタイムラグが、革新幻想を残存させたのだと理解できる。

そのギャップがなくなって、高度成長の恩恵をうけた子どもたちがキャンパスにくる時代になると、急速に「革新幻想」は消えてゆくこととなる。1991年の「ソ連崩壊」後にものごころついた世代には、まったく意味不明な世界であろう

すでに「近代=西洋化」の時代が終わった日本では、いわゆる進歩的知識人や、かれらがもてはやした学問が色あせた存在になっているのは当然だ。あえて声高に語るまでもあるまい。もはや人気のかけらもないということに過ぎない。丸山眞男、大塚久雄、川島武宜などの東大系の進歩派学者の影響もほぼ消え去ったといってよいであろう。

1942年に新潟県に生まれた著者は、生まれ故郷の佐渡島と大学時代以降過ごしてきた京都を軸に自分史を語っているが、佐渡島を導入につかった記述はじつにうまい。佐渡は北一輝の生まれ故郷であり、その弟の北昤吉(きた・れいきち)という政治家がいたからだ。

京都はいうまでもなく、革新知事が長期間にわたって行政府の長として君臨した大学都市である。著者が大学時代、左翼学生たちから右翼だとレッテルを貼られたのも当然だろう。しかし、これは京都大学だけではなかったことが本書を読むとよく理解できる。

小田実は左翼イメージの強い人だっただけに、市民運動に本格参加する前の前半生は意外な感じもした。これは左傾化してから以降の小田実しか知らなかったわたしには収穫であった。

わたしとしては、わたしもその一人である(?)実務家型知識人をもうすこしくわしく取り上げてほしかった思いがある。

1980年代以降に活躍した実務型知識人たちは、ビジネスに軸足を置いた人たちであった。技術系の牧野昇や唐津一、元マルクスボーイが銀行で鍛えられた竹内宏、同じ長銀の日下公人、英字紙記者出身の竹村賢一など。学者としては、高坂正堯だけではなく、梅棹忠夫もぜひ取り上げてほしかったと思う。

また、比較文学の島田謹二による広瀬武夫、秋山真之の再評価についても、この機会に振り返っておきたい。司馬遼太郎の『坂の上の雲』によって、いまではすっかり国民的英雄の座を確保している実務型知識人である軍人たちだが、先鞭をつけたのは島田謹二による評伝文学である。

著者の専門は教育社会学だが、大きなくくりでは教育学部のなかに属している。教育学部の性格というものがその渦中にいた著者自身によって説明されるのだが、「進歩的教育学者」たちの姿は、このレベルの低さには、開いた口がふさがらないほどのひどさである。

目次に即して、各章の感想を一言づつ書いておきたい。

Ⅰ章「悔恨共同体」と「無念共同体」 ⇒ この時代についてはまったく知らないので勉強になった
Ⅱ章『世界』の時代   ⇒ 岩波書店の戦後、である
Ⅲ章 進歩的教育学者たち ⇒ これはひどいの一言しかない教育学と教育学部
Ⅳ章 旭丘中学校事件 ⇒ 時代の雰囲気と教師たちと生徒たちの意識のズレという実態
Ⅴ章 福田恆存の論文と戯曲の波紋 ⇒ 演劇もまた「革新幻想」の支配する世界であった
Ⅵ章 小田実・ベ平連・全共闘 ⇒ まさに1960年代!
Ⅶ章 知識人界の変容 ⇒ もともと日本では知識人の敷居が低いので、尊敬と軽蔑のまとになりやすい知識人
終章 革新幻想の帰趨 ⇒ 「世間」の崩壊?

著者による『学歴貴族の栄光と挫折』(中央公論新社、1999)、『教養主義の没落-変わりゆくエリート学生文化-』(中公新書、2003)と『丸山眞男の時代-大学・知識人・ジャーナリズム-』(中公新書、2005)とあわせ読むと、重複している部分はあるもののつよく実感できる。戦後は戦前の反動であり、戦後の知識人とは左翼そのものであったから。

すでに以前の著作からであるが、著者の竹内洋氏は、「戦後」を「戦後」としてのみ描くのではなく、「戦前」からの連続として捉えているところに、大きな特色がある。

本書もまた「戦後」をタイトルに掲げながらも、すでに1930年代に発生していた問題が、戦争によって中断されたために、戦後になってから時間差をおいて起こるべくして起こった「大学解体論」を取り上げていることもその一例である。

きわめて「戦後」的な現象も、「戦前」の蒸し返しに過ぎない、あるいはタイムラグをおいて再燃したということも多々あるわけなのだ。

「戦後日本」と「戦前日本」とを、行きつ戻りつする論述スタイル。歴史は同じままでは繰り返さないが、同じパターンで繰り返すことが著者の思考にはあるのだろう。

本書は、ある程度まで、教育社会学に限らず社会学の素養があると、さらに楽しんで読めるだろう。とくにブルデュー社会学を徹底的に使いこなした分析は、読む者のアタマの整理になる。



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