2013年1月27日日曜日

「石に描かれた鳥たち-ジョン・グールドの鳥類図譜」(玉川大学教育博物館)にいってきた(2013年1月26日)-19世紀大英帝国という博物学全盛時代のボタニカルアート


玉川大学教育博物館で開催されている 「石に描かれた鳥たち-ジョン・グールドの鳥類図譜」にいってきました。

東京とその周辺をマヒさせた1月14日の大雪の日に天皇皇后両陛下の行幸啓、そしてそのあと1月22日には秋篠宮殿下ご夫妻もご覧になったという展覧会。しかも、ともにご説明をされたのが「ジョン・グールドの鳥類図譜」の研究をされている黒田清子さま。みなさま生物学の研究者でもいらっしゃいますね。

マスコミでも取り上げられて大好評のため、3月24日まで会期延長されたのでぜひ足を延ばしてみるといいいでしょう。わたしは、玉川学園の諮問委員をつとめているので、学芸員の方にご案内していただきました。

以下に主催者による概要を掲載しておきましょう。

●会期(前期): 2012年11月5日(月)~12月7日(金) 3月1日(金)~24日(日)に再公開
●会期(後期): 2012年12月10日(月)~2013年2月28日(会期はそのまま延長)
●休館日: 土・日・祝日
●臨時開館日:2月16日(土)、23日(土)、24日(日)、3月2日(土)、9日(土)、16日(土)、23日(土)、24日(日)
●開館時間: 9:00~17:00(入館は16:30まで)
●会場: 玉川大学教育博物館 第1展示室
*小田急線玉川学園前駅下車徒歩15分
*構内は教育活動が行われておりますので、車での来館はご遠慮ください。
*入校時に詰所で入校手続を行ってください。
教育博物館までのアクセス(←クリック)
●入場料: 無料
●主催: 玉川大学教育博物館
協力: カンザス大学ケネス・スペンサー・リサーチ・ライブラリー

内容  イギリス人ジョン・グールドが19世紀に製作した鳥類図譜全40巻とその関連資料を展示します。また、グールドの資料を多く所蔵するアメリカのカンザス大学スペンサー・リサーチ・ライブラリーの全面協力を得て、図譜の製作方法のコーナーを設け、工程を複製で再現します。
その他:図譜への負担を軽減するため、定期的に展示するページを変更いたします。ご了承ください。(毎週金曜日の閉館後に、図譜のページを変更します。なお、1月11日(金)と25日(金)のページ変更は行いません。)


黒田清子さまが勤務されている山階鳥類研究所(・・秋篠宮様が総裁)には、ジョン・グールドの鳥類図譜は完全にそろっていないそうです。そのため全40巻を蒐集した玉川大学教育博物館の外来研究員として、全巻の調査研究を行われたそうです。

その研究成果は、『ジョン・グールド鳥類図譜総覧 Catalogue of the birds in John Gould's folio bird books』(紀宮清子編、玉川大学出版部、2005年)として出版されています。ですから、今回の展覧会を行幸啓された天皇皇后両陛下も、ことさらお喜びだったのではと推察されます。

ジョン・グールドと「鳥類図譜」については、「鳥人ジョン・グールドの世界」 をご覧になっていただくのがよろしいでしょう。簡単に要約しておきます。

剥製師として名をなしたジョン・グールド(1804~1881)は、博物学(natural history)全盛時代の大英帝国で、当時発明されて間がない石版画(リトグラフ)の技法をいち早く取り入れ、絵師や版画師による工房をつくり、「鳥類図譜」を1832年から予約販売を開始しました。

展覧会の会場で実物をみるとわかりますが、どんな鳥も実物大(リアルサイズ)で描かれており、版画はインペリアル・フォリオ判(約56×39cm)というサイズであり、本としてはきわめて大判です。一冊が10kg以上もあるので、持ち運びも大変なようです。

貴族など上流階級を顧客にした、発行部数は200部程度の完全予約販売。つまり贅沢品の版画として製作頒布されたわけですね。

コレクターとしての購入者は、その版画を製本師に持ちこんで好みの形で一冊の本として製本し、装丁させたわけです。ですから一冊一冊が異なるものとなったわけですね。世界中で一冊しかない自分の本として。コレクター冥利に尽きるというものでしょう。

展示されている図譜は以下のとおりです。なおジョン・グールド自身は、英国以外の鳥は実見はしていないようです。

前期(3月1日~24日に再公開)は、『ヒマラヤ山脈百鳥類図譜』、『ヨーロッパ鳥類図譜』、『オオハシ科鳥類図譜』、『キヌバネ科鳥類図譜』、『オーストラリア鳥類図譜』、『アメリカ産ウズラ類鳥類図譜』、『ハチドリ科鳥類図譜』。

後期(~2013年2月28日)は、『ハチドリ科鳥類図譜』、『アジア鳥類図譜』、『イギリス鳥類図譜』、『ニューギニア及びパプア諸島鳥類図譜』。グールドは、ことにハチドリを好んでいたそうです。

わたしが見たのは後期の図譜の一部ですが、石版画(リトグラフ)ならではの繊細な描線と、それに手書きで彩色された美しい図版は、鳥類や生物学への関心が高くなくても、ボタニカルアートとしてすばらしい美術品だといえるでしょう。19世紀当時の英国の上流貴族たちを満足させたことは間違いありません。

やはり複製やデジタル画像ではなく、アナログのリアルな画像は最高です。




■大学ミュージアムである玉川大学教育博物館のその他の展示について

「石に描かれた鳥たち-ジョン・グールドの鳥類図譜」の会期中に「新教育運動の展開と玉川学園」という展示が行われています。大正時代の新教育運動と玉川学園の教育をたどる展示構成で、教育史に関心のある人にとって意義ある展示といえるでしょう。

また、第2展示室にある常設コーナーの展示も見逃せません。とくに国内最大級のイコンのコレクション。ロシアを中心にギリシアのものも集めた木の板に描かれた美しいイコンは、所蔵されている71点のうち41点が公開されているので必見です。

わたしもロシア以外では、これだけまとまったコレクションは見たことがありません。イコンとは、本来は正教徒の信仰の対象であった聖画ですが、もちろん美術品としての価値の高いものであることは言うまでもないでしょう。

*なお、2013年2月4日(月)~17日(日)までは博物館実習の授業のため第2展示室の見学はできないということです。


(玉川大学教育博物館)




<関連サイト>

「鳥人ジョン・グールドの世界」(玉川大学教育博物館)
・・ジョン・グールド鳥類図譜の全ての図版(2946図)をデジタル化し、教育博物館のホームページ上で公開

山階鳥類研究所(千葉県我孫子)

天皇皇后両陛下、黒田清子さんらの案内で玉川大学の展示をご覧に



<ブログ内関連記事>

書評 『紅茶スパイ-英国人プラントハンター中国をゆく-』(サラ・ローズ、築地誠子訳、原書房、2011)-お茶の原木を探し求めた英国人の執念のアドベンチャー

「東インド会社とアジアの海賊」(東洋文庫ミュージアム)を見てきた-「東インド会社」と「海賊」は近代経済史のキーワードだ

「東洋文庫ミュージアム」(東京・本駒込)にいってきた-本好きにはたまらない!

書評 『大英帝国という経験 (興亡の世界史 ⑯)』(井野瀬久美惠、講談社、2007)-知的刺激に満ちた、読ませる「大英帝国史」である

「東京大学総合研究博物館小石川分館」と「小石川植物園」を散策

本の紹介 『鶏と人-民族生物学の視点から-』(秋篠宮文仁編著、小学館、2000)-ニワトリはいつ、どこで家禽(かきん=家畜化された鳥類)になったのか? 



 
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2013年1月23日水曜日

書評 『「普天間」交渉秘録』(守屋武昌、新潮文庫、2012 単行本初版 2010)-政治家たちのエゴに翻弄され、もてあそばれる国家的イシューの真相を当事者が語る


小泉政権時代の普天間交渉秘録である。

著者の守屋武昌氏は元防衛事務次官。防衛庁(当時)の天皇などというニックネームがつけられていたが、収賄容疑で逮捕され週刊誌ネタになっていたことも、いまはむかしの話だろうか。

新潮社は「国策捜査」で有名になった佐藤優氏の著作を出して作家デビューさせているが、出版という形で貴重なドキュメントを後世に残す役割を果たしていることは大いに評価したい。

本書もまた当事者でなければ書けないドキュメントである。政治家たちのエゴに翻弄され、もてあそばれる国家的イシューの真相を当事者が語ったもので読みごたえがある。

文庫版の帯には、小泉純一郎元首相の推薦文が掲載されている。

「一気に読んだ。
当時の記憶が昨日のようによみがえってきた。
政治の現場がいかにオドロオドロしいものか。
あまりにも生々しすぎる」

小泉元首相はこのメモワールのなかにも何度もでてくるが、その「ブレのなさ」には敬意を表したくなる。こういう上司にまかされたら優秀な部下であれば意気に感じるというものだろう。同じことは竹中平蔵氏も語っていることだ。

守屋氏もまた防衛庁事務次官として辣腕を振るったのだが、それでも解決することなく現在に至っているのが普天間交渉である。

文庫本帯の裏には、またこうも書かれている。

「守屋さん、沖縄では大きな仕事は二十年かかるんですよ。石垣空港の時だって、年月がかかっても誰も困らなかった。今回はまだ七年です。たいしたことないじゃないですか」
私は呆れるしかなかった。
「それなら、沖縄の県民の前でそう言いなさい」
そう沖縄首脳に伝えた。(本文より)

沖縄の政治家たちの「引き延ばし」や「二枚舌」、そこには誠実な姿勢はまったく感じられない。だが、沖縄に基地が集中する以前、その他の日本の自治体も似たような姿勢を示していたことが守屋氏から語られる。要は条件闘争に持ち込んで、とにかく取れるうちには取れるものはなんでも取るという交渉姿勢である。

このメモワールには、当事者としての守屋氏の言動だけでなく、永田町の政治家や沖縄の政治家の言動が再現されており、じつになまなましい。

民主党政権下で迷走した普天間問題であるが、当時の自民党の政治家たちの振る舞いや発言をつぶさに知ることのできる貴重なドキュメントとしても面白い。自民党政権が復活したいま、その言動を思い浮かべながらニュース報道を見ると人物判断の大きな材料となる。

わたしはこの本を国内出張中に読んだのだが、あまりにも面白かったので紹介したいと思った次第だ。移動中の細切れ時間を利用する読書なので、小泉さんのように「一気に読んだ」とはならなかったのが残念だが。

なお、巻末に付録として収録されている「将来に向けての日本の防衛」は、守屋氏の防衛論である。きわめて筋のとおった議論なので飛ばさずに読んでほしいと思う。







目 次

はじめに
第1章 在日米軍再編へ
第2章 「引き延ばし」と「二枚舌」
第3章 十年の時を経て
第4章 防衛庁の悲願
第5章 不実なのは誰なのか
第6章 普天間はどこへ行く
あとがき
将来に向けての日本の防衛

著者プロフィール  

守屋武昌(もりや・たけまさ)
1944(昭和19)年、宮城県塩竈市生まれ。東北大学法学部卒。1971年、防衛庁入庁。装備局航空機課長(FS-X担当)、長官官房広報課長(カンボジアPKO広報担当)、防衛局防衛政策課長(阪神淡路大震災対応)などを経て、1996年、内閣審議官として普天間問題に係わる。長官官房長、防衛局長を務めた後、2003年、防衛事務次官。2007年8月に防衛省を退職した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

(「将来に向けての日本の防衛」 所収の地図)




PS2 「米国の安全保障環境認識と米軍配置状況」

報道によれば、沖縄の基地問題解決にメドがついたようだ。沖縄県知事がようやく「辺野古埋め立て」を承認するという(2013年12月25日)。自民党政権が長期化する見通しのもと、基地負担軽減策を評価したからだという。

おそらくそれだけでなく、「いまそこにある危機」を前にして、沖縄県知事としてもこれ以上反対をつづけることは国益に反するという世論の突き上げを感じているためだろう。沖縄県民も中国の脅威を体感するようになってきている。

上記の「米国の安全保障環境認識と米軍配置状況」という図に編みかけで示されている「不安定の弧」のなかに、沖縄はまさにすっぱりと含まれているのだ。

今回の沖縄県知事の決断によって、国防体制が強化される見通しがついてきたのはじつに喜ばしい。しかし、沖縄県民がふたたび戦争の犠牲になることがないよう、日本は国家全体の意志として「いまそこにある危機」に対峙しなければらならないのだ。

もちろん戦争がいつ起こってもおかしくないという覚悟を国民一人一人がもつこともまたきわめて重要である。 (2013年12月26日 記す)



<ブログ内関連記事>

「沖縄復帰」から40年-『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(佐野眞一、集英社、2008)を読むべし!

書評 『誰も語らなかった防衛産業 増補版』(桜林美佐、並木書房、2012)-国防問題を国内産業の現状から考えてみる

書評 『日米同盟 v.s. 中国・北朝鮮-アーミテージ・ナイ緊急提言-』(リチャード・アーミテージ / ジョゼフ・ナイ / 春原 剛、文春新書、2010)

書評 『語られざる中国の結末』(宮家邦彦、PHP新書、2013)-実務家出身の論客が考え抜いた悲観論でも希望的観測でもない複眼的な「ものの見方」

書評 『凶悪-ある死刑囚の告発-』(「新潮45」編集部編、新潮文庫、2009)

本の紹介 『交渉術』(佐藤 優、文藝春秋、2009)






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2013年1月21日月曜日

これがバキュームカーだ!-下水道が整備される以前の「昭和遺産」である




「汲み取り」といっても最近の若い人はわからないだろうなあ。

下水道が完備している現在は想像もつかないだろうが、むかしは水洗トイレなどなかったのだ。サラリーマン川柳の名作に、「このオレに温かいのは便座だけ」というのがあるが、温水のでるウォシュレットなど想像しようもなかった。

水洗トイレなどないから、たまった汚物は汲み取りが行われないと貯蔵タンクは満杯になってしまう。

原発問題にかんして、原発廃棄物の処理が問題になるが、「トイレのないマンション」のようなものだという比喩がつかわれるが、より正確にいえば「汲み取りがこないトイレのあるマンション」、あるいは、「汲み取っても捨てるところのない自治体」といったほうがいいのではないかと思う。

すくなくとも、わたしが小学生の頃は、東京都の郊外ではまだ水洗トイレというものはほとんど普及していなかったエアコンもなかったが、水洗トイレもなかったのだ。

『三丁目の夕日』という映画が流行ったそうだが、バキュームカーは登場しているのかな? 昭和30年代をノスタルジーにひたるほど老けているわけではないので、べつに見たいとは思わなかった映画だが。

昭和30年代から40年代にかけて、つまり1950年代後半から1970年頃までの日本を体感したかったら、東南アジアにいくのがいいだろう。

そんなふうにいつも思っているのだが、先日ひさびさにバキュームカーを目撃して、さっそく写真に収めることができた。

バキュームカーは、下水道が整備される以前の「昭和時代」の遺産である。世界遺産かどうかは別にして、せめて日本の社会遺産として「昭和遺産」の認定をしてあげたい。すべてを廃車にしてしまわないで、保存していただきたいものだ。

小学生の頃は、「バッキュームカー」とガキどもは言っていたが、「バッキューム」が何を意味するのかかはまったく知らなかった。意味を知ったのは高校生になってからだろう。

バキュームとは真空のことだ。vacuum である。人為的に真空をつくりだすことによって気体や液体を吸い込む実験は、学校の理科で体験したことはあるだろう。

強力な吸引力で吸い上げる比喩として「バキューム」というコトバがつかわれることがあるが、ほんとうはただしくないことは、それでわかっていただけるだろう。


wikipedia で調べてみると、バキュームカーは和製英語のようだ。英語では、cesspool emptier というようだ。説明文の冒頭はこうなっている。 

A cesspool emptier is a vacuum truck which removes contaminated water from hollows such as cesspools and sewage tanks and carries it to a disposal point.

あえて訳さないが、バキュームカーの説明そのものである。

ところで、親の世代では「昭和時代」であっても、「昭和初期」には、このバキュームカーすらなかったようだ。農家が肥料としてつかうためリヤカーに桶をつんでし尿を買いにきたらしい。だから、野菜に寄生虫がついているのは当たり前だったということ。

いまのような無菌生活では考えられないような話だろうが、人間がひ弱ではなかったということでもあるわけだ。もちろん、対策はしっかりとられていたということでもある。

駐車場にとまったバキュームカーを見て、「昭和も遠くなりにけり」、と思ったのであった。



PS. ちょろっと調べてみたら、タカラトミーから「昭和レトロ」シリーズとして、バキュームカーのチョロQが発売されている。さがせばあるものだなあ、と。アマゾンで購入できます。






<ブログ内関連記事>

電気をつかわないシンプルな機械(マシン)は美しい-手動式ポンプをひさびさに発見して思うこと
・・これまた「昭和レトロ」というか、「大正ロマン」というか「明治時代」か?

このオレに温かいのは便座だけ (サラリーマン川柳より)
・・こんなこと「昭和時代」にはありえなかったなあ

「ポルシェのトラクター」 を見たことがありますか?
・・こちらはドイツでは現役だ




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2013年1月20日日曜日

小倉千加子の 『松田聖子論』 の文庫版に「増補版」がでた ー 松田聖子が30年以上走り続けることのできる秘密はどこにあるのか?



小倉千加子氏の 『松田聖子論』 は、1987年に出版された単行本初版を読みましたが、じつに面白い本なので、いまでもとってあります(下の写真)。

松田聖子のデビューは、わたしが高校三年生だった1980年。つまり、大学時代を過ごした190年代前半はアイドルとしての松田聖子の全盛期だったわけで、熱烈なファンであった友人の影響もあって、彼女のデビュー以来30年以上のあいだ同世代としては気になってきた存在なわけなのです。

この本は、松田聖子登場以前、熱狂的ファンをもっていた山口百恵(・・現在は三浦百恵)との比較で、1980年に登場した松田聖子の意味をあきらかにした先駆的な名著だといっていいでしょう。二人のデビューの背景、衣装、歌詞、結婚観などが分析されています。

小倉千加子氏は、もともと性差の心理学で本も出している心理学者で、フェミニズムの論客ですが、大阪出身で芸能ネタ好き、テレビ好きという小倉千加子氏の論がさえています。


その増補版の文庫が新刊書として2012年に出ています。「増補」された章を立ち読みしてみましたが、なぜ50歳を過ぎて歯科医と再々婚したのかについての推測も書かれてます。

また、祖母・母・娘という三代にわたる東アジアの女系家族で読み解く視点も面白い。儒教が社会原理として浸透していない日本だけでなく、東シナ海周辺地域は基層的な文化は母系制なわけです。

松田聖子が30年以上にわたって走り続けることができる理由には、才能や努力だけでなく、さまざまなものがあるのですね。

「あとがき」にはこんなことが書かれています。

実は、この本はフェミニズムの本なのである。しかし、わかっている人ならもうわかっているように、この本はフェミニズムのパロディ本である。
性はもともと胡散臭いものだ。その性から出発したはずのフェミニズムが、胡散臭さを嗅ぎとる嗅覚を捨ててしまったら、フェミニズムはピューリタンたちの殿堂と化してしまうだろう。

まさにそのとおりですね。フェミニズムを敬遠したくなる人が少なくない理由が、ビシっと要約されてますね。フェミニズムにかぎらず、雑なるものこそ面白いという感性こそ大事ですね。同感です。

そんなことはさておき、松田聖子論としては言うまでもなく、1980年代の意味を考えるためにも読んで損のない一冊だと思いますよ。





目 次 

まえがき
第1章 二人のわがままな主婦
 不気味なエッセイ-『青色のタペストリー』
 対立する二人の聖子
 ブリッ子聖子の芝居っけ
 化粧に対する感情
 「魔」を眠らせた百恵
 大きな賭けのできる男性
 対照的な出産
第2章 青い果実の熟成-山口百恵の軌跡
 ズドンとそこに立っていた
 アイドルが認知された年
 スター誕生
 『青い果実』になる幸福
 『ひと夏の経験』-百恵の対抗同一性
 「愛する人」というブラックホール
 <せつなさ>か<不条理>か-『横須賀ストーリー』
 性欲を自覚した女-『イミテイション・ゴールド』
 女と男のバランス・オブ・パワー-『プレイバックPart2』
 悪女の帰郷-『秋桜』
 『いい日旅立ち』-終わっていく百恵
第3章 翼の生えたブーツ-松田聖子の正体
 「はい、何でも歌えます」
 たったひとつの空き部屋
 少女趣味の復活
 「風」と「街」の詩人・松本隆 
 風は日本的情緒を遠ざける
 フォークとロックの狭間で 
 「ぼくときみ」のラブ・ソング
 耳で聴く少女漫画の世界
 聖子は和製ロックの落とし子である
 百恵は農村、聖子は都市
 どこにもない場所
 気の弱い彼
 欲望するストイックな少女
 少年愛のメッセージ
 強引な男の劣等感
 近代家族の退屈
 「ママのようなつまらない生き方」
 システムとしての松田聖子
第4章 あなたに逢いたくて-33年目の松田聖子
 娘に依存する母親
 日本を背負った聖子
 AKB48と異なる点
 国民的歌手になる日
あとがき
文庫版あとがき

著者プロフィール

小倉千加子(おぐら・ちかこ)

1952年大阪府生まれ。評論家、心理学者。早稲田大学大学院文学研究科心理学専攻博士課程修了。主要著書は『アイドル時代の神話』、『結婚の条件』、『女の人生すごろく』など多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)。


<ブログ内関連記事>

書評 『松田聖子と中森明菜-1980年代の革命-[増補版]』(中川右介、朝日文庫、2014)-1960年代生まれの世代による1980年代前半の「革命」の意味を説き明かした時代史


ジョン・レノン暗殺から30年、月日の立つのは早いものだ・・・(2010年12月8日)
・・ジョン・レノンが死んだのは1981年だった

「やってみなはれ」 と 「みとくんなはれ」 -いまの日本人に必要なのはこの精神なのとちゃうか?
・・サントリーは松田聖子の「Sweet Memory」をCMに採用した

ディズニーの新作アニメ映画 『アナと雪の女王』(2013)の「日本語吹き替え版」は「製品ローカリゼーション」の鑑(かがみ)!
・・日本語吹き替え版でアナの声を担当して歌っている神田沙也加は松田聖子の娘! ほんと声がアイドル時代の松田聖子にそっくり!!

(2014年5月11日、2015年8月26日 情報追加)


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2013年1月18日金曜日

書評『ああ正負の法則』(美輪明宏、PARCO出版、2002)ー「正負の法則」は地球の法則である!



「盈(み)つれば虧(か)くる」という表現があります。

満月はいつみても美しいですが、満月もそのピークの瞬間から欠けていくもの。「盈(み)つれば虧(か)くる」という表現はこのことを意味しています。

「満つれば欠くる」ともいいますが、半月(はんげつ)から三日月、新月へ。そしてふたたび満月に戻るという繰り返し。29日間で循環しているのです。これが月のリズムですね。

夜があれば、かならず朝があるおひさまは東から上がり、西に沈む。これが一日のリズムですね。

世の中なにごとも、いいことだけがつづくわけではありません。もちろん、悪いことだけがつづくわけでもありません。それは月の満ち欠けと同じなのです。

この地球において成り立つ自然法則であるのです。数学でいえば、三角関数のようなサインカーブを描きながら前に進んでいくわけです。

『ああ正負の法則』(美輪明宏、PARCO出版、2002)という本があります。わたしの愛読書の一つです。著者の美輪明宏については説明する必要はないでしょう。

「正負の法則」とは、陰陽や+-(プラス・マイナス)など相反する二つのもので成り立っているという「地球の法則」のこと。陰陽二元論でもありますし、山高ければ谷深しという表現でも構わないと思います。

成功だけが長続きするわけはないし、失敗だけが長続きするわけでもない。40歳過ぎた人なら感覚的に理解できることと思います。そうでない人は、早いうちにこの法則を知っておいたほうがいい。

昨年末のNHK紅白歌合戦では「ヨイトマケの唄」を披露した美輪明宏(・・残念ながら、その日は飲みすぎて見逃してしましました)が、どんな壮絶な人生を送ってきたか知っている人なら、十二分に納得できる内容だと思います。

ぜひ手元に置いて、人生論として読んでほしい本です。 ぜひ若い人たちにも教えてあげてください。 


画像をクリック!


目 次 

序文
第1章  自分自身の“正”と“負”を知る
第2章  私の“正負の法則”
第3章  “正負の法則”を生活に活かす
第4章  すべてを手に入れてしまったら
第5章  登りつめたら下るだけ
おわりに

著者プロフィール

美輪明宏(みわ・あきひろ)1935年、長崎市生まれ。国立音大付属高校中退。十七歳でプロ歌手としてデビュー。1957年「メケメケ」、1966年「ヨイトマケの唄」が大ヒットとなる。1967年、劇団天井桟敷旗揚げ公演に参加、『青森県のせむし男』に主演。以後、演劇・リサイタル・テレビ・ラジオ・講演活動などで幅広く活躍中。1997年『双頭の鷲』のエリザベート王妃役に対し、読売演劇大賞優秀賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<ブログ内関連記事>

書評 『オーラの素顔 美輪明宏のいきかた』(豊田正義、講談社、2008)-「芸能界」と「霊能界」、そして法華経
・・美輪明宏の全体像を知るには必読。この記事を書いたのは2010年のことなので、タイミングを逸しているいるうちに 3年もたってしまったことになります。やっと約束を果たすことができたという思いで。

「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」 と 「And the skies are not cloudy all day」
・・宮沢賢治もまた法華経の信者であった

When Winter comes, can Spring be far behind ? (冬来たりなば春遠からじ)
・・夏と冬もまた地球の法則である「正負の法則」である

Tommorrow is another day (あしたはあしたの風が吹く)

(2015年1月31日 情報追加)


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2013年1月17日木曜日

『武道修行の道 ー 武道教育と上達・指導の理論』(南郷継正、三一新書、1980)は繰り返し読み込んだ本 ー 自分にとって重要な本というのは、必ずしもベストセラーである必要はない



『人生でもっとも重要なことは●●で学んだ』、こういうタイトルの本は、あるときから目につくようになりましたよね。

わたしの場合は、「●●」に入るのが、「合気道」です。

大学時代、合気道の技(わざ)を習得するために稽古に打ち込んでましたが、ほとんどテキストを読んだことはありません。

実技系というのは、本を読んで「畳の上の水練」をするよりも、実際にカラダを動かして、カラダに覚えさせることのほうがはるかに重要だからです。

カラダが自然に動くまで鍛え上げなければ、技を習得したとはいえないからです。とくに武道はそうですね、ブルース・リーの名言 "Don't think, feel" ではないですが、考えていては遅いのです。しかし、そう言えるようになるのは、考えるステージを超えて、「達人」の域に近づいてからでしょう。

大学三年の夏になって主将に指名されてからは、技(わざ)以外に、下級生を指導し、リーダーシップを発揮して、合気道部をマネジメントする必要に迫られました。マネジメントするということは、技は技でも、異なる性格の技ですね。スキルでありマインドセットです。

幸いなことに、もともと商科大学から発展した、学部が4つしかない小規模大学であったために、学部をこえた友人関係があり、商学部経営学科の人間からは「耳学問」で、いろんな知識を仕入れていたのが、じつに役に立ちました。

まさに「門前の小僧習わぬ経を読む」、ですね。「耳学問」で得た知識を実践で試してみる。こういう習慣は、この頃に身につけたものです。

マネジメント体験の原点もまた、必要に迫られて、実際に試行錯誤しながら身につけていったことにあったわけです。

社会人になってからは、銀行系のコンサルティングファームに入社したので、多忙な業務のなかで泥縄的に勉強せざるをえないはめになりましたが、いわゆる「ビジネス書」よりも、はるかに影響を受けたのが、『武道修行の道』という本です。

『武道修行の道』(南郷継正、三一新書、1980)は、副題が「武道教育と上達・指導の理論」というもので、著者の南郷継正(なんごう・つぐまさ)氏は、武道理論家というめずらしい存在。空手の実践家ですが、一般的な知名度は高くないと思います。わたしも、社会人になってから、たまたま書店の店頭で手にとって、はじめてその存在を知りました。

とくに重要なのは、「負けの構造を知る」、「技の量質転化」、「心と技の相互浸透」などなど。これは、武道に限らず、技の習得にかんしてはすべての分野で適用可能なものだと実感しています。他分野への「ヨコ展開」が可能ということですね。

とかく精神主義や右寄りとみなされがちな武道の世界で、左寄り(?)な唯物弁証法で武道を理論的に解明するという試みは、きわめて異質な印象を受けるかもしれません。

武道館関係者でも知らない人も少なくないと思いますが、自分にとって重要な本というのは、必ずしもベストセラーである必要はないのです。

この本もまた、なんども繰り返し読んで、自分の血肉となったものです。


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目 次

まえがき

第一編 現代武道論批判-上達の過程と方法
 第一章 少林寺拳法の欠陥を論ず-技の発展とは何か
 第二章 大相撲の欠陥を輪島に見る-上達の科学的解明とは何か
 第三章 合気道の欠陥は何か-総合武道論の横行
 第四章 始祖嘉納から見る柔道の欠陥-何故に柔には極意がないのか
 第五章 現代空手道批判-科学としての空手道の探求によせて
第二編 修行と指導の論理
 第一章 指導の論理性とは何か-組織の原理と指導の論理
 第二章 歴史性ある指導者とは何か-我が組織における指導と発展について

あとがき

著者プロフィール

南郷継正(なんごう つぐまさ)
日本の空手家、日本武道空手玄和会創始者および師範、日本弁証法論理学研究会主宰。1933年、宮崎県生まれ。日本武道空手玄和会を創設後、半世紀にわたって武道・武術を指導する。自ら築き上げた「唯物論的弁証法」「認識論」を媒介とすることで、武道・空手を科学として人類史上初めて説き、武道哲学および武道科学を確立した。自らを各学問領域を網羅した哲学者と称する。1969年の冬、初めて面談の機会をえた師である哲学者・三浦つとむの紹介で吉本隆明主宰の不定期雑誌『試行』に連載「武道の理論」を掲載するようになる。著書多数。(wikipedia の記述から作成)。



<ブログ内関連記事>

カラダで覚えるということ-「型」の習得は創造プロセスの第一フェーズである・・東洋だけではなく、西洋でもじつはすべてが模倣から始まるのである

書評 『狂言サイボーグ』(野村萬斎、文春文庫、2013 単行本初版 2001)-「型」が人をつくる。「型」こそ日本人にとっての「教養」だ!

『鉄人を創る肥田式強健術 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)』(高木一行、学研、1986)-カラダを鍛えればココロもアタマも強くなる!

What if ~ ? から始まる論理的思考の「型」を身につけ、そして自分なりの「型」をつくること-『慧眼-問題を解決する思考-』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2010)

書評 『プロフェッショナルを演じる仕事術』(若林計志、PHPビジネス新書、2011)-「学ぶとは真似ぶなり」という先人の知恵を現代風にアレンジした本

書評 『模倣の経営学-偉大なる会社はマネから生まれる-』(井上達彦、日経BP社、2012)-「学ぶとは真似ぶなり」とは、個人でも会社でも同じこと

「学(まな)ぶとは真似(まね)ぶなり」-ノラネコ母子に学ぶ「学び」の本質について


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2013年1月16日水曜日

書評『狂言サイボーグ』(野村萬斎、文春文庫、2013 単行本初版 2001)ー「型」が人をつくる。「型」こそ日本人にとっての「教養」だ!


狂言師の野村萬斎の著書 『狂言サイボーグ』 が文庫化されたのであらためて読んでみたが、この本は薄いが、ほんとうに内容の濃い一冊だ。

冒頭からいきなり一発かましてくれる。

私にとっての教養とは、「生きていくために身につけるべき機能」のことである。知識として暗記したものは教養ではない。狂言であれば、狂言師が舞台をつとめるための教養は「型」である。その「型」を個性・経験でアレンジしながら使っていくことで表現になる。これが狂言の一つの道筋である」(「序にかえて」 より 太字ゴチックは引用者=わたし)

じつに含蓄のある表現ではないか! しかも、この文章が執筆されたのは、いまから12年前、野村萬斎が34歳のときのものである。

日本人を日本人たらしめてきた「型」のもつ意味について考えるため、ほんとうの「教養」とはなにかを考えるため、この小さな本こそためになるものはないのではないかと思う。

まずはカラダから入ること。形から入ることが重要なのだ。

「型」を完全に身につけることによって、人は「自由」になる。ここは勘違いしないことが重要だ。基礎のできていない人間の個性などまったく意味はない。

そして、その中心は、臍下丹田(=へそ下三寸)を鍛えることに尽きる。これは武道も芸事もみな共通している。

つまらない自己啓発書を読むヒマがあったら、この本こそ読むべきだ。




目 次

狂言とコンピュータ-序にかえて-
1 狂言と「身」 「体」
 武司でござるクロニクル 1987 ‐ 1994
2 狂言と「感」 「覚」
 萬斎でござるクロニクル 1995 ‐ 2000
3 狂言と「性」 「質」
僕は狂言サイボーグ-あとがきにかえて-
文庫版あとがき
解説 日本の行く先を指し示す身体(斎藤孝)


著者プロフィール

野村萬斎(のむら・まんさい)
1966年東京生まれ。狂言師。祖父、故六世野村万蔵および父、野村万作に師事。重要無形文化財総合指定者。「狂言ござる乃座」主宰。東京藝術大学音楽学部卒業。三歳で初舞台後、国内外で多数の狂言・能公演に参加、普及に貢献する一方、現代劇や映画・テレビドラマの主演、舞台『敦―山月記・名人伝―』『国盗人』など古典の技法を駆使した作品の演出、NHK『にほんごであそぼ』に出演するなど幅広く活躍。1994年に文化庁芸術家在外研修制度により渡英。1999年文化庁芸術祭演劇部門新人賞、2005年紀伊國屋演劇賞など受賞多数。2002年より世田谷パブリックシアター芸術監督を務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<付記-「教養」について>

著者の野村萬斎氏の「教養」のとらえ方は、歴史学者・阿部謹也の『教養とは何か』(講談社現代新書、1997)における「教養」の定義とまさに重なるものを感じる。

阿部謹也先生は、農民や漁民がカラダで身に付けた「知恵」に近いものとして「教養」をとらえているような印象を受けるが、わたしも、その意味においてなら「教養」というコトバをつかいたいと思う。

単なるひけらかしのための知識は、教養ではない。その人が生きる道において、血肉となっているものをこそ「教養」というのだ。

そのような明確な「型」をもたないのが、現代のサラリーマンの悲劇である。このようなことを阿部謹也先生は書いておられる。この意味をじっくりと考えてみたいものである。



<ブログ内関連記事>

カラダで覚えるということ-「型」の習得は創造プロセスの第一フェーズである・・東洋だけではなく、西洋でもじつはすべてが模倣から始まるのである

『武道修行の道-武道教育と上達・指導の理論-』(南郷継正、三一新書、1980)-自分にとって重要な本というのは、必ずしもベストセラーである必要はない

『鉄人を創る肥田式強健術 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)』(高木一行、学研、1986)-カラダを鍛えればココロもアタマも強くなる!

第12回 東京大薪能(たきぎ・のう)を見てきた(2009年8月13日)

お神楽(かぐら)を見に行ってきた(船橋市 高根神明社)(2009年10月15日)

What if ~ ? から始まる論理的思考の「型」を身につけ、そして自分なりの「型」をつくること-『慧眼-問題を解決する思考-』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2010)



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