NHK大河ドラマ『八重の桜』は、7月21日放送の第29回でついに「鶴ヶ城開城」で無条件降伏を喫することとなった。次回放送の第30回は「再起への道」。物語は「八重と会津のその後」となる。会津の苦難の歴史も描かれるようなので安心しているところだ。
だが、とはいってもTVドラマには限界がある。大河ドラマはゴールデンタイムに全国津々浦々に放送されるため、残酷なシーンや酸鼻極まる流血シーンなどぼかされてしまうのは仕方がない。
『流星雨』(津村節子、文春文庫、1993 単行本初版 岩波書店 1990)を読むと、一か月にわたって籠城をつづけた会津では、生きている人間の兵糧も尽きかけていただけでなく、戦死者の遺体の処理もままならない状態であったらしい。
仏教僧によってねんごろに葬るなどできる状態ではなく、戦死者の遺体は次から次へと井戸のなかに放り込み、それでも処理できない遺体が城中に遺棄されたまま腐敗もすすんでいたという。
まさに酸鼻極まる状態で、そのシーンは映像としてTV放送されないのは当然だが、『流星雨』に描かれているように、放置されたまま腐敗してゆく遺体が放つ臭い、イヌに食いちぎられるままになっている遺体までイメージしておかないと、会津戦争のほんとうの意味は理解できないかもしれない。
この『流星雨』という歴史小説は、架空の一人の会津藩士の娘を主人公に設定し、実在の人物の史料をもとに描いた歴史悲劇である。いわば生き残った女の視点から描いた「女たちの会津戦争」である。
戦いの中心となっていた男たちではなく女たちの視点。もちろん武士階級とそれ以外の農民や町人とはまったく異なるが、武人の妻や娘という視点から見えてくるものがある。男は討ち死にしても、生命の象徴である女は生きてくことを本能として選択するからだ。
NHK大河ドラマ『八重の桜』では、山本八重という一人の武士の娘の目を通して戊辰戦争を描いているが、戦争物は女性作家が女性の視点で書いたもの面白い。男の世界はタテマエが多すぎるが、それにくらべると女の世界はより自然な感情を吐露することが多いからだろうか。
『流星雨』はぜんぶで4章あるが会津戦争そのものは第1章だけである。戦乱を逃れ身を隠して逃げ惑った日々、本州最北端の下北半島に移封され斗南藩となった地への徒歩での移動、下北半島の過酷な自然環境での苦難の日々が描かれる。
まことにもって、なぜここまで過酷な日々を生きなければならないのか、旧会津藩士の魂の叫びが聞こえてくるような作品なのだ。
著者の津村節子氏は、「あとがき」のなかでこう書いている。
戊辰戦争を調べてゆくうちに、太平洋戦争と類似点が非常に多いことを感じた。私はまだ自分の戦争体験を書いていない。調べが進むにつれ、戊辰戦争を書くには何年、何十年も要するだろう、底なしの沼に足を踏み入れたような恐れを抱いたが、一人の会津の娘を通し、女のいくさとして書けぬこともあるまいと、思い直した。(*太字ゴチックは引用者=わたし)
1928年(昭和3年)生まれで戦争を体験した著者もいうように、戊辰戦争は太平洋戦争(=大東亜戦争)と似ているような気もする。
旧会津藩は朝敵の汚名をきせられたうえ、死に物狂いの激戦のすえ完膚なきまでにたたきつぶされ「無条件降伏」したが、その戊辰戦争から77年後の1945年(昭和20年)、日本全体がアメリカを中心とした連合軍に死に物狂いの激戦のすえ完膚なきまでにたたきつぶされ「無条件降伏」することになる。
「勝てば官軍負ければ賊」のフレーズにもあるとおり、旧会津藩は「賊軍」とされ、名誉回復にはじつに長い年月を要した。そしてまた敗れ去った日本もまた「敗戦国」という名の「賊国」のまま、いまだに実質的に半占領状態がつづいているだけでなく、国連をはじめとする国際社会で完全に名誉回復したとは言い難い。
その意味でも、たとえ会津出身ではなくとも、またいわゆる「負け組」出身ではなくとも、日本人全体の問題として会津の苦難と名誉回復の歴史を追体験する必要があるとわたしは考えている。
戊辰戦争後の会津の歴史は、大東亜戦争後の日本の歴史そのものである。「敗者の歴史」として、けっして他人事ではないのである。そしてまた敗者として汚名をきせられた二・二六事件の関係者たちの名誉回復もまた。
「苦難をつうじて星まで」(Per aspera ad astra)というラテン語の格言をかみしめ、名誉回復にむけて一歩でも前進しなくてはならないのは会津も、日本も同じである。
<関連サイト>
会津藩士「埋葬の史料」発見 戊辰戦争、開城後の記録詳しく(福島民報、2017年10月3日)
・・「(新資料発見者で郷土史家の)野口さんは「全ての遺体を埋葬したわけでなく、翌年になっても散在する遺体の捜索が続いていた」とした。新政府軍が遺体の埋葬を許さなかったとの言い伝えを完全否定し、「昭和40年代以降に言われるようになった話。新政府軍への遺恨の一つを考え直す契機でもある」とした。」
(2017年10月4日 項目新設)
NHK大河ドラマ 『八重の桜』がいよいよ前半のクライマックスに!-日本人の近現代史にかんする認識が改められることを期待したい
いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む
・・山本覚馬と八重のきょうだいについても詳しく触れられている
書評 『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2013)-この人がいなければ維新後の「京都復興」はなかったであろう
「日本のいちばん長い日」(1945年8月15日)に思ったこと
・・靖國神社と千鳥が淵で慰霊
書評 『新大東亜戦争肯定論』(富岡幸一郎、飛鳥新社、2006)-「太平洋戦争」ではない!「大東亜戦争」である! すべては、名を正すことから出発しなくてはならない
書評 『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(長谷川 煕、朝日新書、2007)-「勝者」すら「歴史の裁き」から逃れることはできない
書評 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子、朝日出版社、2009)-「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い!
Tommorrow is another day (あしたはあしたの風が吹く)
・・「南北戦争」の「敗者」であるアメリカ南部
二・二六事件から 75年 (2011年2月26日)
書評 『三陸海岸大津波』 (吉村 昭、文春文庫、2004、 単行本初版 1970年)-「3-11」の大地震にともなう大津波の映像をみた現在、記述内容のリアルさに驚く
・・作家の故吉村昭氏は津村節子氏の配偶者でもあった
(2016年6月19日 情報追加)
(2012年7月3日発売の拙著です)
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