2013年8月19日月曜日

書評『ワシントン・ハイツ ー GHQが東京に刻んだ戦後』(秋尾沙戸子、新潮文庫、2011 単行本初版 2009)ー「占領下日本」(=オキュパイド・ジャパン)の東京に「戦後日本」の原点をさぐる


東京都心部の西側、山手線の外に代々木公園とオリンピック競技場、NHKホールが存在する広大な土地がある。かつてここは、アメリカ占領軍将校とその扶養家族ための住宅地域(Dependents Housing Area)が存在した。それが本書のタイトルである「ワシントンハイツ」(Washington Heights)である。

最終的に撤去されたのは1963年(昭和38年)、日本の主権が回復した1951年から12年もたってからであった。つまり18年間のあいだ敗戦後の日本に存在していたことになる。 1964年(昭和39年)には、敗戦からの復興と国威発揚をかけた「東京オリムピック」会場がその跡地に建設された

撤去された頃にはすでに生まれていたわたしも、いまだ幼児として関西にいたこともあり、ワシントンハイツの存在は知る由もなかった。子どもの頃に親の転勤で東京に移ってきながらも、この本が文庫化され入手した2011年まで、誰一人からもワシントンハイツについて聞いたことはなかった。名古屋生まれの著者もその点は似たようなものかもしれない。

本書は、ワシントンハイツが建設された前史からその渦中、そしてその後にまで至る、東京都心部の西側を軸に、現代日本の出発点となった「占領下日本」(=オキュパイド・ジャパン Occupied Japan)を全体的に描いた大作である。この時代のことを知らなければ現代日本について論じることはできないという問題意識から生まれた労作だ。

ワシントンハイツは、ある意味では「租界」であり、日本人立ち入り禁止の地域であった。

(文庫版に収録されたワシントンハイツの航空写真)

現在でも米軍基地が存在する地域には日本人オフリミッツの米軍住宅という「租界」が存在するが、日米の経済格差がほとんどなくなった現在ではうらやんだり憧れる対象ではもはやない。しかし、空襲で破壊され食料にもこと欠いていた敗戦後の日本人にとっては輝くような存在であったことは容易に想像できる。まさに「豊かなアメリカ」そのものというべき小世界であったことは、文庫版のカバー写真からも知ることができる。

原宿、表参道、青山、赤坂、六本木。これらの地名から連想されるのはファッションブランドに代表される欧米的なイメージだろう。そうなった理由の一端が代々木に建設された巨大なワシントンハイツにあったのだ。

あらためて思うのは、それぞれの個々の地域には詳しくても、自分がこのエリア全体を「面」として捉えていなかったことである。もし読者が東京のこの地域全体に精通していないのであれば、まずは目次のつぎに見開きで収録されている地図をじっくりと眺めてアタマのなかにいれていただきたい。このエリアにアメリカが見え隠れしているのである。

(地図の左にワシントンハイツがある)


著者も書いているように、アメリカの視点は空から地面を見下ろす「上から目線」である。空からのパノラマ、鳥瞰図。まさに鳥の目であるバーズアイ。20世紀後半の鳥は、空襲を実行するために人間が操縦する爆撃機であった。

アメリカは日本の戦意をくじくため、民間人(=シビリアン)に対する違法な爆撃作戦を遂行したが、原爆と同様に徹底的に研究したうえで実行に移している。効果的かつ効率的(effective and efficient)な成果をあげるために採用したのが焼夷弾であった。日本家屋の特性を踏まえたものであった。

焼夷弾攻撃の実験は、アリゾナ州の砂漠のなかで行われた。木造で燃えやすい日本家屋の実物大の模型を作製し、焼夷弾実験を繰り返して詳細なデータを収集し解析を行っていたという。その成果を踏まえて実行されたのがB29による東京空襲作戦なのである。

そしてその日本家屋の模型建設にかかわっていたのが、戦前と戦後の日本で洋風建築普及に大きな貢献をしたアントニン・レーモンドというチェコ出身でアメリカに帰化した建築家であった。帝国ホテル設計者フランク・ロイド・ライトの弟子として初来日したレーモンドは、アメリカの軍籍をもつインテリジェンス・エージェントでもあったのだ。いわゆる諜報活動に従事していたのである。

このエピソードは第2章で取り上げられているが、ワシントンハイツという「建築物」を描いた本書の隠れたテーマを示唆するものできわめて重要なものだ。

そのテーマとは、建設と破壊、そして再建である。ハードな建築物だけではなく、ハードとソフトを合わせた日本そのものの「再建」とそのプロセスである。

敗戦後の日本の再建は誰が設計したのか、施主は誰か、いかなる形で行われたのか、日米双方の多くの知られざる関係者たちが意識的かつ無意識的に関与していたことが、さまざまな側面からのアプローチで具体的なディテールを描き出すことで全体像を浮かび上がらせるげることに成功している。


ジャズをはじめとするエンターテインメントで庶民レベルからの「下からの親米姿勢」をつくりだし、反共政策のなか旧帝国軍人たちが再雇用され、占領終了後の日本の骨格が親米保守という「上からの親米姿勢」として完成される。

ニューディラーたちが主導する新憲法起草に女性の権利が盛り込まれ、食料援助をつうじた日本のキリスト教化計画が実行され(・・これは成功しなかった)、米軍将校の配偶者である有閑婦人に日本グッズや生け花が普及していく。

日米双方にかかわらざるを得なかった「日系二世」兵士たちのなかには、日本における諜報活動にかかわりワシントンハイツに住んだものもいたことが明かされる。また、ロサンゼルスのリトルトーキョーで仏教布教に従事した真言宗僧侶の二世として誕生したジャニー喜多川とワシントンハイツの関係は興味深いエピソードだ。ジャニーズもまたワシントンハイツから生まれたのである!

じっさいにワシントンハイツに出入りしていた日系二世の作家・片岡義男による「解説」もありがたい。片岡義男は、1970年代から80年代に『ポパイ』などの媒体でアメリカ的なるものをテーマに描いていた作家だが、本文のよい手引きとなっている。

ワシントンハイツが撤去されてすでに50年、しかし東京中心にはハーディバラックスという米軍のヘリコプターポートが存在している! 場所は都立青山公園そば。ヘリ墜落の危険のある点は沖縄と同じなのである。

本書では言及されていないが、東京上空の一部はいまだに米軍が管理空域として握っており、日本の民間航空の飛行に大いに障害になっていることは東京都知事時代の石原慎太郎が指摘していたとおりである。この意味をよく考えてほしいと思う。

本書は500ページを越える大作で読みとおすのに時間がかかるが、なんといっても徹底的な取材と資料探索によって裏付けた具体的なディテールがバツグンに面白い。事実のもつ圧倒的なチカラというべきであろう。

敗戦後日本の原点を確認するため、ぜひ読むことを薦めたいと思う。





目 次

序章 帝国アメリカの残像
第1章 青山表参道の地獄絵図
第2章 ある建築家の功罪と苦悩
第3章 「ミズーリ」の屈辱
第4章 乗っ取られた代々木原宿
第5章 オキュパイド・ジャパン
第6章 かくて女性たちの視線を
第7章 GHQデザインブランチ
第8章 まずは娯楽ありき
第9章 有閑マダムの退屈な日々
第10章 尋問か協力か
第11章 GHQのクリスマス
第12章 立ち上がる住民たち
第13章 諜報部員「ニセイ・リンギスト」
第14章 アイドルの誕生
第15章 瓦解したアメリカ帝国
第16章 そして軍用ヘリは舞い降りる
終章 視界から消えた「占領」
あとがき
文庫版あとがき
主要参考文献
解説 片岡義雄

著者略歴

秋尾沙戸子(あきお・さとこ)
1957年、名古屋市生れ。東京女子大学文理学部英米文学科卒業。上智大学大学院博士後期課程満期退学。テレビキャスターを務めるかたわら、民主化をテーマに旧東欧・ソ連やアジア諸国を取材。ジョージタウン大学大学院外交研究フェローとしてワシントンDCに滞在したのを機に占領研究を始める。著書に『運命の長女:スカルノの娘メガワティの半生』(アジア・太平洋賞特別賞)。『ワシントンハイツ:GHQが東京に刻んだ戦後』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに情報を付加)。


<関連サイト>

秋尾沙戸子のペリオディスタ通信 (公式サイト)

総理、日系アメリカ人に会いに行ってください 河野太郎・衆院議員に聞く(前編) 
日系人強制収容所を知らない日本人河野太郎・衆院議員に聞く(後編)
(日経ビジネスオンライン 2013年11月27日・29日)


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早いもので米国留学に出発してから20年!-それは、アメリカ独立記念日(7月4日)の少し前のことだった

「人生に成功したければ、言葉を勉強したまえ」 (片岡義男)

(2014年7月23日、8月31日 情報追加)


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