本日(2013年10月21日)は、いわゆる「学徒出陣」から70年にあたるのだという。1943年(昭和18年)10月21日、土砂降りの雨のなか理工系を除くエリート大学生が徴兵され戦地へと赴き、そして散っていった。
『きけわだつみのこえ』という戦没学徒たちの手記を親しい人たちにあてた手紙が収録された本がある。初版は1949年(昭和24年)に刊行され、カッパブックスを経て、現在では岩波文庫2冊として版を重ねている。
ただ、収録されているのが当時の超エリートである東京帝大の学徒ばかりであるのが不満といえば不満だ。自分が出た大学の先輩が一人でも入っていないと、なかなか読む気にはならないのも仕方ないことだろう。
わたしにとって、その人は学徒出陣した板尾興一という人だ。はるか遠いむかしの大学の先輩という以外、なんの接点もないのだが、その存在と手紙の一節を在学中に寮生の友人から教えられて以来、その手紙を何度も読んできた。
板尾氏の手紙は2通、『第二集 きけわだつみのこえ』に収録されている。学徒出陣20周年にあたる1963年(昭和38年)に『戦没学生の遺書にみる15年戦争』と題して初版が刊行されたようだ。
『第一集』の刊行から17年後になってようやく刊行されたものであるが、上記のような不満も背景にはあったためかもしれない。「15年戦争」という左翼的な名称が時代を感じさせる。
さて、板尾興一氏だが、入隊前に父親あての手紙にある「われわれは社会科学の学徒です」という一節をわたしはなんども反芻(はんすう)してきたが。この一節を思い出し、そして遺された手紙を読むたびに身の引き締まる思いをする。
板尾興市(いたお・こういち)
昭和18年12月東京商科大学在学中入団。昭和20年2月18日日本州東方海上にて戦死。21歳。海軍中尉。
(昭和18年10月5日 父宛書簡)
・・(前略)・・
それにしてもあまりにも短い月日しか残されていないので、何ら今までの学問への努力をまとめた形で残すこともできそうになく、読みさした本にしおりをはさんで出かけなくてはなりません。
ふたたび帰って書物の前にすわるのはいつの日のことかと考えますと、まことに寂しいしだいです。
我々はあくまでも学生であり、学問をもって自己の生命とし、学をもって国に奉ずるの決心まことに堅きものがありますが、国家の要請の急なるこの時、幾多の思いを学問と国家の上に残しながら国防の第一線におもむかねばならなくなったのです。
法文科の学生はこの戦争時にあたり、自然科学的方面の学生とは異なり用はないから戦線に送られるわけですが、我々の征く後、国家の運営はなお頭の切り換えの絶対に望まれぬ老朽政治家や、社会科学方面の知識に乏しくかつ学問精神の点で貧弱なる技術者たちに任されるわけです。それゆえ、国家の前途すこぶる多難なることを予測されます。東條首相は民大は機構よりは人だ、良きりっぱな指導者こそ必要なのだと叫びます。彼の言わんとする方向は正しいのです。何となれば人間こそ動く主体であり、動かす主体であるからです。しかし、彼が現実についてこの言を適用せんとすることは根本的に間違いです。
今や戦争の切り札は生産力、武器の生産にあります。質は学問と技術に、量は同じく学問と経済に基礎を置きます。天文学的数字はけっしてアメリカのみのお題目のみではなかったのです。それを笑った日本の陸海軍も、ついに天文学的数字を述べねばならなくなりました。要求される数量と現生産量とのギャップは大です。いかにして大量生産が飛躍的になされうるやの問題は自然科学と社会科学の全成果を必要とします。学的頭脳のない人間にけっしてこのような大きな問題を解決することはできません。我々は社会科学の学徒です。我々の戦時において果たすべき学的使命は実践においてこそ真に大であります。しかし今は、学徒は指揮官として戦争に必要なのです。政府はこのさい社会科学者を大々的に動員して国家の計画を立てさすべきです。今の政治家に何を望めましょうか。学者こそ今や第一線に立つ時です。イギリスの統制経済の親玉は名にしおう理論経済学の大御所ケインズであります。
我々はあらゆる情熱に燃えて国家の実践に役立つべき学の追及に従わんと考えていましたが、こうなっては後を老朽のかたがたに任さなければなりません。
彼らの頭脳に国家の前途は託されています。彼らこそ真に国家の運命を担う責任を自覚して新たに学問の道を知るべきです。国家も文化も皆国内に残る人々が担わなければなりません。しだいに文化意思が低下してゆく現状を盛り立てていくのは誰でしょう。かつてのインテリ階級は何をしているのか、彼らに国家の大きな問題にぶつかって行く強き意思ありや。お父さん、我々こそ新しき時代の担い手です。いつの日にかふたたび学に還るの日こそ我々の雄図は実現に向かうでしょう。
・・(後略)・・
(出典:岩波文庫版 P.231~234 太字ゴチックは引用者=わたしによるもの)
全文を引用したところだが、かなり長文の手紙なので、手紙のなかほど三分の一を再録した。
これだけの深い認識をもっていた優秀な20歳(!)の学生が、自然科学ではなく社会科学専攻であったため21歳で散華(さんげ)して海の藻屑と消えていったという事実、まことにもって悔しく、悲しみにに耐えないことである。
手紙のなかにケインズ(1883~1946)の名前がでてくるが、この手紙が書かれた昭和18年(1943年)当時、近代経済学の大御所ケインズは、なんと現役の経済学者として生存中であったのだ! 30年前に学生時代を過ごしたわれわれの世代にとっては、すでに仰ぎ見るべき大経済学者の名前であったのだが。さすが東京商大である!
板尾氏の手紙はもう一通収録されている。同窓の友人にあてて書かれたものだ。そちらのほうがより明確にホンネが吐露されている。
・・(前略)・・俺たちにもいずれ順がまわってくる。
どうかおれたちが何百万死のうとも、ひるまずにぜひ優秀な研究をなしとげ、敵の科学力を圧倒してくれ。
戦は科学と物量が決する。これが俺たちの信念だ。
ではまた。
(出典:岩波文庫版 P.236 太字ゴチックは引用者=わたしによるもの)
じつは、かの有名な『きけわだつみの声』は第一集と第二集をつうじて、この板尾興一氏の文章しか読んだことがない。なぜなら、わたしは東京商科大学(=東京商大)の後身である一橋大学の卒業生だから、それ以外の文章に親しみを感じないからだ。
『きけわだつみの声』いついては戦争について書き続けているノンフィクション作家・保阪正康氏の著作『「きけわだつみのこえ」の戦後史』によって、その編纂者の左翼的エリート主義性をつぶさに知って以来、距離をおいて見ているのだが、この板尾氏の文章だけは別である。その理由は上記に記したとおりだ。
学徒出陣から70年、すでに生存する関係者も90歳を越している。しかもTV報道によれば、学徒出陣壮行会が行われた神宮外苑競技場(・・現在の国立代々木競技場)は、2020年の東京オリンピック会場の立替のため慰霊碑は移転を余儀なくされるという。
直接の当事者ではない我々以下の世代が、学徒出陣については語り継いでいかねばならないのである。英霊たちに合掌。
PS 商大生で戦死した板尾興市(いたお・こういち)氏は高島善哉ゼミ出身であった
『高島善哉 研究者への軌跡ー孤独ではあるが孤立ではない』(上岡 修、新評論、2010)によれば、商大生で戦死した板尾興市(いたお・こういち)氏は高島善哉ゼミ出身であったらしい。高島教授は、戦死した学生のことを悼んでいたという。また、おなじく海軍士官となりながら戦死を免れたのは、おなじ高島ゼミ出身の村上一郎氏であった。
(2022年2月19日 記す)
<関連サイト>
学徒出陣 (YouTube)
・・昭和18年10月21日に行われた文部省主催出陣学徒壮行会。土砂降りの雨、カメラアングルにも注目。壮行会に流れるのには「抜刀隊行進曲」。なぜこれほど悲壮感あふれる短調のリズムなのかという思いに駆られる。涙なくして見ることのできない映像と音楽。「抜刀隊」は陸軍分列行進曲。明治10年の西南戦争の田原坂の激戦に投入された旧会津藩士を中心とした選抜隊をテーマに明治18年につくられた曲である。ここにもまた会津落城の悲劇と大東亜戦争の敗戦という悲劇がかさなってくる
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『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる
「敗戦記念日」のきょう永野護による 『敗戦真相記』(1945年9月)を読み返し「第三の敗戦」について考える
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書評 『西郷隆盛と明治維新』(坂野潤治、講談社現代新書、2013)-「革命家」西郷隆盛の「実像」を求めて描いたオマージュ
「聖徳記念絵画館」(東京・神宮外苑)にはじめていってみた(2013年9月12日)
書評 『ワシントン・ハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-』(秋尾沙戸子、新潮文庫、2011 単行本初版 2009)-「占領下日本」(=オキュパイド・ジャパン)の東京に「戦後日本」の原点をさぐる
・・1964年の東京オリンピックを前に国立競技場となった場所に「ワシントンハイツ」が存在した
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