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2021年12月4日土曜日

村上一郎氏の幕末関連書を読む ー『幕末 ー 非命の維新者』(中公文庫、2017)と『草莽論 ー その精神史的自己検証』(ちくま学芸文庫、2018)


 
先日のことだが、購入してままとなっていた村上一郎の幕末維新の精神史2部作をようやく読んだ。『幕末-非命の維新者』(中公文庫、2017)『草莽論-その精神史的自己検証』(ちくま学芸文庫、2018)の2冊である。

それぞれ初版は1968年と1972年。すでに半世紀以上の月日が経っているが、1970年前後がどういう時代であったのか、あえてくだくだしく説明することもなかろう。


『幕末-非命の維新者』について

『幕末-非命の維新者』は、もともとのタイトルは『非命の維新者』であったらしい。「非命」と「維新者」この2つのことばがキーワードである。

非命にも志半ばにして斃れていった有名・無名の志士たち。そのなかから、大塩平八郎、橋本左内、藤田三代(幽谷・東湖・小四郎)、真木和泉守、三人の詩人(佐久良東雄・伴林光平・雲井竜雄)が取り上げられる。

大塩平八郎から始まるのは、西暦でいえば19世紀初頭から前半にかけての「化政時代」(=文化文政時代)から覚醒が始まった日本の民衆の変革意識をリードした人物として重視するからだという。たしかにその「檄文」を読めば大いに納得するものがある。

著者の村上氏が大いに共感を寄せているのは、藤田三代であり、三人の詩人である。この詩人たちについては、わたしはよく知らなかったが、歌人でもある著者によって紹介していただいたことに大いに感謝したい。

精神史を語るには、志を述べた詩文の存在は欠かせないからだ。「知」だけでは人は動かない。「情」こそ人を動かしうる行動のともなわない思想に生命はない。行動に火を着ける情熱こそ、術志の和歌や漢詩に体現されるものだ。

文庫本解説を書いているのは渡辺京二氏。編集者時代の1回限りの接触について語りながら、戊辰戦争以来の九州嫌いであった村上氏の東国人の真情を思いやる。渡辺氏は熊本在住の作家である。

渡辺氏自身、長きにわたって敬遠しつづけてきたにもかかわらず、この文庫版の解説を書くにあたって初めて通読し、好きになってしまったと語る。本文に劣らず、この解説もまたすばらしい文章だ。何度も繰り返し読んでいる。

「文は人なり」は、村上一郎氏だけでなく、渡辺京二氏についても言えることだ。




■『草莽論-その精神史的自己検証』について

『草莽論-その精神史的自己検証』だが、『非命の維新者』の4年後に書かれたこの本では、「草莽」(そうもう)について、著者自らの生き様を重ねあわせながら熱く語られる

とりあげられているのは、「預言者」としての蒲生君平と高山彦九郎「在野の文人」としての頼山陽や「文化の三蔵」(平山行蔵・近藤重蔵・間宮林蔵)「水戸学」の藤田一門と会沢正志斎。そして全体の半分近くを占めているのが吉田松陰である。

諸国遊歴のなか、真っ先に水戸を訪れて会沢正志斎と何度も面談し、東国に触れることで思想が深化した吉田松陰は、著者が書きたくて書いて文章であることは、読んでいてよく感じられる。わたしも読んでいて、吉田松陰のことが好きになってきた。ファナティックな傾向をもつ松陰のことは、それほど好きではなかったのだが。

正直な感想としては、『非命の維新者』と『草莽論』の2冊のなかでは、前者のほうがは るかに完成度が高く、密度も濃いように思う。

もちろん後者が劣るというのではない。ただ、この本を読んでしまうと、もう「草莽」ということばを軽々しくも口にすることが出来なくなってしまうような気がするからだ。それほど著者自身の熱い情念を感じさせる本なのである。

幕末維新の革命がいかなる土壌から発生し、覚醒をはじめた日本の民衆による一大運動となりながらも、最終的に薩長の武力によって革命の成果が奪い取られたか、その無念さと怒りが東国人としての著者(栃木県の宇都宮育ち)の根底にある。

その情念を知り、どの程度までかは別にして感じ取り共感することが、これらの本を読むことの意味なのである。

そう思うのは、さらに古本で『日本軍隊論序説』(新人物往来社、1973)を取り寄せ、収録されている「戊辰戦争」と河井継之助にかんする文章を読んで、さらにその思いを強くしたからだ。

この本のキーワードは、「草莽」のほか、「恋闕」(れんけつ)と「自任」にあるといっていいだろう。天皇への熱烈な思いが「恋闕」。そして「自任」とは、自らが任ずるという意味。自分が向かうべき方向を自覚した精神態度のことである。勤王派の志士たちの根底にあったものだ。




■村上一郎氏との最初の「出会い」から40年


著者の村上一郎氏(1920~1975)は、東京生まれの宇都宮育ちの作家・歌人・編集者。紀伊國屋書店の編集を手伝い、紀伊國屋新書の傑作をつぎつぎと世に出している。

東京商大(現在の一橋大学)で社会思想史の高島善哉ゼミで水田洋氏の後輩。英国市民社会成立にかんする論文を書いて卒業

学徒出陣ではなく、短期現役士官制度で志願して海軍に入隊、海軍主計大尉として敗戦を迎える。艦隊勤務ではなく、東京の勤務であったため戦死は免れたが、東京大空襲の悲惨さを体験している。

戦後は、編集者などやりながら作家として活動した人。また術志を歌う歌人でもあった。

最期は、愛蔵の日本刀で右頸動脈を斬って自刃。1975年のことだ。右翼的信条の持ち主だが、左翼に惹かれ、それを戦中戦後も貫きながらも、左翼や右翼を越えた「情念の人」であった、というのがわたしの理解だ。 

「知」と「情」のせめぎ合いのなかで葛藤したが、やはり後者の「情」がまさっていたのであろう。


村上一郎氏についてはじめて知ったのは、たしか大学1年か2年のことだったと思う。一橋大学図書館小平分館2階の開架式書庫で手にとった本が村上氏の本だった。陽光のあたる明るい図書館の奥は、ほとんど誰もやってこない空間だった。図書館に住みたいと思った頃である。

書名はまったく覚えていないのだが、日本刀で自刃したことと、在りし日の写真が掲載されていた。海軍出身で、しかも東京商大卒であることを知った。大学の先輩に、そんな人がいたのだ、と。

自分が大学に入ったのは1981年のことだから、いまから考えれば1975年の自刃からまだ6年くらいしか経っていなかったわけだ。1970年の三島由紀夫の自決ほど有名ではないが、それなりのインパクトをもった事件だったらしい。 村上一郎氏のことは、その名前とともに強い印象をともなって記憶されることになった。

だが、村上氏の本は借り出して読んだわけではない。ほとんど誰も来ない書庫のなかで立ち読みしただけだ。後期課程に進学してからは小平分館には行く機会がなかったので、その後は村上氏のことは記憶の底に沈んでいたようだ。

それ以来、村上一郎氏は右翼だと思い込んでそのままになってしまっていたのは、そのためでもある。三島由紀夫と一対に記憶されることになった。

だが、村上一郎氏に対する関心はそれ以上は深入りすることなく、記憶の底に沈んだまま約40年近くもたってしまった。

ふたたび目にしたのは『幕末-非命の維新者』が文庫として出版された2017年のことだ。そんな本を出していたのかと、本のテーマと村上氏の名前で購入した。大学1年の最初の「出会い」から、すでに36年もたっていたことになる。

あらためて村上一郎について読むキッカケとなったのが、先日のことだが『ある精神の軌跡』(水田洋、現代教養文庫、1985 初版1978年)を読んだことにある。水田氏の回想のなかに、その後輩であった村上一郎氏のことが何度もでてくるからだ。注記される形で言及されていたのが村上一郎氏の自伝『振りさけ見れば』である。


水田氏は、東京商科大学で高島善哉ゼミの先輩。ホッブズの『リヴァイアサン』をはじめて日本語訳した社会思想史の大家である。その水田洋氏の後輩が村上一郎氏であり、しかも高島善哉ゼミ出身であることを知って驚いた。最期は日本刀で自刃した、右翼とも見まごうべき人が、なんと左翼の高島善哉の弟子だったとは!

いまあらためて村上一郎氏の著作をいろいろ取り寄せて読み、村上氏の東京商大時代の1年先輩にあたる思想史の水田洋氏(・・100歳を越えてなお現役の研究者!)、そして二人の共通の師である高島善哉教授について、関心を新たにしている。 

高島善哉氏は一度だけその話を聴講したことがある。大学学部時代の前期で学園祭かなにかの企画で呼ばれた際、アダム・スミスの話かなにかの話をされたと思うのだが、話の中身は記憶にない。あまり自分の趣味ではなかったからだ。

盲目の研究者であったため、周囲に支えながら登壇し退場した、その風貌しか記憶にない。教科書であった『現代の社会科学』(高島善哉編著、春秋社、1974)は、何度も繰り返し読んでいる。 弟子の水田洋氏も執筆している。

高島善哉氏や水田洋氏との関係の深い人だったことを知り、村上一郎氏についての関心が自分のなかでさらに大いに高まっている。


これもまた先日入手して、はじめて存在を知ったのだが、なるほど『世界の思想家たち-人と名言』(現代教養文庫、1966)なんていう本を、単独執筆するような人だったのだ。このベースの上に『非命の維新者』(1968年)や『草莽』(1972年)が書かれていることに注目したい。

この本は、アジアから始まり、インド・中国を経て日本の思想家を取り上げ、そのあとで西洋の思想家を取り上げる。この構成は上原専禄編著の『日本国民の世界史』に似ているような気がするのだが、意識していたのかどうか。この本が埋もれてしまったのは惜しいことだ。 

没後に出版された未完の自伝『振りさけ見れば』(村上一郎、而立書房、1975)や、死別した元配偶者の語りをまとめたノンフィクション『無名鬼の妻』(山口弘子、作品社、2017)を読んで、村上一郎という人について考える今日この頃である。 「無名鬼」とは、村上一郎氏が単独編集していた文芸誌のタイトルのことである。


未亡人によれば、『人生とはなにか』(村上一郎、現代教養文庫、1963)がいちばん好きな亡夫の著作であるという。戦後は病苦に悩み、躁鬱病を患っていた村上一郎氏。自刃の直接のきっかけは、どうやら鬱状態から躁状態への回復期に向かいはじめた時期にあったようだ。




(追記) さらに『磁場 臨時増刊 村上一郎追悼集』(国文社、1975)を古書として入手。大学時代に手にした書籍とは違うが、村上一郎への追悼文を読んで、さらに深入りしている。(2021年12月18日 記す)



<関連サイト>

「ナショナルなもの」の見方、あるいは「常識」――高島善哉を通じて 紀伊國屋書店員さんおすすめの本(大籔宏一)
・・紀伊國屋書店との縁の深い村上一郎の『草莽論』と、その師であった高島善哉の『民族と階級』を取り上げ、師弟に共通する「ナショナルなもの」への視点を指摘した読ませるエッセイ。高島善哉とその特異な弟子であった村上一郎との関係は、表面的なものでは捉えきれないものがある

(2021年12月23日 項目新設)


<ブログ内関連記事>







・・この戦没商大生・板尾興市(いたお・こういち)氏もまた高島善哉の弟子であった

・・ことし2021年は「渡部昇一」と「村上一郎」にはまった1年となった。いずれも故人。前者は庄内・鶴岡の人、後者は栃木の宇都宮の人。それぞれ東北人と東国人だが、前者の庄内は西郷隆盛の風土、後者は薩摩嫌い


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