「エジプト革命」とは、2011年1月25日に始まり、18日後の2月11日に大統領職の「世襲」をはかったムバーラク政権の崩壊で終わった「民主化革命」のことである。1952年の無血クーデターによる王政廃止と区別するために「1月25日革命」と呼ばれる。
隣国のチュニジアで始まった「ジャスミン革命」は、エジプトを経てアラブ圏全体に拡大していくなかで "Arab Spring" と呼ばれるようになった。日本ではこの英語を直訳して「アラブの春」といわれたが、3年たったいま、さすがにその表現をつかう者はいなくなったようだ。
それは、個別の国ごとにその推移を詳細に見なければ、「革命」の本質となぜそれが当初期待されたような形で成就しなかったのかが理解できないからだ。エジプトとチュニジアはもとより、リビアとシリアではまたまったく異なる推移をたどったことは、報道をつうじて見てきたとおりだ。それぞれ歴史も異なれば、社会構造も異なるのである。
本書は、2011年の「1月25日エジプト革命」とその後の2年半の推移を、「軍とムスリム同胞団、そして若者たち」のあいだでの「権力闘争」と捉えて読み説いたものである。「エジプト革命」は、民衆革命という本質とクーデターという二重の性格をもつものである。
国民国家エジプト社会に深く根差した国軍、今回の「革命」の引き金を引き一気に表舞台に浮上したが、その後阻害されていく若者たち、そして漁夫の利を得て革命を乗っ取ろうとした「ムスリム同胞団」を中心とした「宗教勢力」。それぞれの政治的アクターが死守しようとしたこと、実現しようとしたことが何か。ぞれぞれのボタンの掛け違いが、いかに「革命」後の「迷走」を生んだかが手に取るように理解できる。
じつに面白い本だ。「エジプト革命」の推移を詳細に時系列で追っていくことによって、「革命」のなかに織り込まれたエジプト現代史も、「革命」を生みだしたエジプト社会も理解できる仕組みになっている。しかも、エジプト社会を内在的に理解しようとした著者の姿勢が、本書の記述を厚みのあるものにしている。
チュニジアで始まり、フェイスブックなどのSNSをつうじて都市中間層の若者たちに「伝染」したという外発的な経緯もありながら、「革命」そのものが独立後のエジプト社会に根差した内発的なものであったことがよくわかる。それほど社会の各層において、経済的にも政治的にも不満が高まっていたということであり、街頭デモを行って異議申し立てを行うという「伝統」が、大英帝国による植民地支配に苦しんだ誇り高きエジプト人にあるということを意味している。
「エジプト革命」のキーワードは「自由と公正」だと著者は指摘している。フランス革命が「自由と平等」を標榜したのに対し、「自由」は共通していても「公正」の実現を主軸に置いているのはムスリムが人口の9割を占めるエジプト社会らしい。政党自由化によってムスリム同胞団が名乗ったのが「自由公正党」というのは、そういった文脈でとらえることが必要だ。
そして、エジプトを考えるうえでなによりも重要なのは国軍の存在だ。この点が強調されている点が本書の重要なポイントであろう。
国家の一体性を守護する存在としてのエジプト国軍は、徴兵制や経済活動をつうじて国民のあいだに深く根ざしていながら、いかなる政治勢力からも独立した存在であり、しかも軍人には投票権がない(!)という事実を本書で知ることができる。歴代の大統領が国軍出身者であっても、国軍じたいは独裁者の私兵であったことがないという事実は、その他の発展途上国と比較するとエジプトの際立った特徴であることがわかる。
国軍に寄せる国民の信頼が高いことを、著者は「伝統化しつつある、軍部への「委託」」と表現している。若者たちが中心になって行った反ムルシー大統領デモの後押しを受け、二度目の「実質的なクーデター」で国軍が中心の座に戻った。これにより、迷走をつづけていたエジプト社会が結果としてようやく安定軌道に戻ることになる。選挙によって政権第一党となったとはいえ、ムスリム同胞団の動きに不安と反発を感じる国民が多かったのだ。
「エジプト革命」で浮上したのが「2つのナショナリズム」というのも興味深い。「エジプト・ナショナリズム」と「アラブ・ナショナリズム」の2つである。前者においては国民国家としての一体意識、後者においてはアラブの盟主としてのエジプトという意識である。これらがともに健全なナショナリズムである限り、エジプトの将来に期待がもてると考えてよいのではないだろうか。
ムスリムが総人口の9割を占めるエジプトであっても、ムスリム同胞団がその中心であるイスラーム主義という「超国家」的な理念よりも、国民の多くが「国家」としての政治経済安定を重視していることがわかるからだ。日本を含めた西側メディアの偏向には注意しなくてはならない。
「エジプト型民主主義」とは何かという問いが著者によってなされている。「民意」をどうくみ取るかという本質的な問いである。選挙における投票によって決定するという多数決原理を中核においた西欧モデルの「民主主義」では一律に論じることのできない発展途上国。「民主主義」をめぐるエジプトの状況は、似たような状況にあるタイ情勢を考えるうえでも示唆的である。
ただし、総人口に若年人口が占める割合が高いエジプトは、すでに少子高齢化にあるアジアの大半とは異なることは念頭に置いておく必要はある。革命の昂揚感を味わった若者が今後どういう動きをするか、考慮に入れて置かばならない。
このほか本書には、訴訟社会エジプトにおける司法のプレゼンス、ムスリム同胞団よりも厳格なサラフィー主義者の存在、エジプト社会ではマイノリティのコプト派キリスト教徒、経済面だけではなく識字率においても存在する都市と農村の格差など、エジプト社会を理解するためのテーマが散りばめられており、多面的な現代エジプトの諸相を全体的に理解することを可能にしている。
「エジプト革命」の具体的な記述ををつうじて「民主主義」とはなにか、「民意」とはなにか、そして民意をくみ上げる方法論について考えてみることは、「民主主義」が揺らいでいる日本の国民にとっても大いに意味あることだろう。
目 次
はじめに-歴史的画期となった二年半
第1章 革命のうねり
Ⅰ 政権崩壊までの18日間
Ⅱ 革命の二つの顔
第2章 将校たちの共和国
Ⅰ エジプトの真の支配者
Ⅱ 軍事共和国の成立
Ⅲ サダトによる脱ナセル化政策
Ⅳ 体制転換を試みたムバーラク
Ⅴ ムバーラクから離れた軍最高評議会
第3章 自由の謳歌
Ⅰ 取り戻した大国としての自信
Ⅱ 筋書きのない民主化プロセス
第4章 ポスト・ムバーラク体制の土台作り
Ⅰ 新体制への地ならし
Ⅱ 新たな政治アクター
第5章 未来を模索する青年勢力
Ⅰ 熱情のままに
Ⅱ 譲歩した軍部
Ⅲ 難航した政党結成
Ⅳ 街頭の政治へ
Ⅴ 青年運動の液状化
第6章 軍とムスリム同胞団
Ⅰ 政治の表舞台へ
Ⅱ 直接対決
第7章 ムスリム同胞団の夢と現実
Ⅰ 権力掌握の試み
Ⅱ ムルシー政権の始動
Ⅲ 二極化する社会
第8章 民主化の挫折
Ⅰ 第二革命か、それともクーデターか
Ⅱ 血に染まった広場
Ⅲ エジプト型民主主義とは
おわりに
年表
参考文献
著者プロフィール
鈴木恵美(すずき・えみ)
1971年、静岡県生まれ。1996年東京外国語大学アラビア語学科卒業。2003年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。日本学術振興会特別研究員、中東調査会研究員、早稲田大学イスラーム地域研究機構主任研究員などを経て、現在、中東調査会客員研究員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
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エジプトの「民主化革命」(2011年2月11日)
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『動員の革命』(津田大介)と 『中東民衆の真実』(田原 牧)で、SNS とリアル世界の「つながり」を考える
「アラブの春」を引き起こした「ソーシャル・ネットワーク革命」の原型はルターによる「宗教改革」であった!?
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書評 『新月の夜も十字架は輝く-中東のキリスト教徒-』(菅瀬晶子、NIHUプログラムイスラーム地域研究=監修、山川出版社、2010)
・・イスラーム勃興前から存在するアラブ人キリスト教徒について知る
「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む
・・『現代アラブの社会思想-終末論とイスラーム主義-』(池内 恵、講談社現代新書、2002)を取り上げている。アラブ語世界の出版大国エジプトで流通する「終末論的反ユダヤ主義文書」の多さ
■中東における「若年人口過剰問題」
書評 『中東激変-石油とマネーが創る新世界地図-』(脇 祐三、日本経済新聞出版社、2008)
・・過剰人口、とくに若年層の失業問題をかかえる現在の中近東諸国は、大英帝国とおなじ問題をかかえているのだが、はたして解決策は・・・?
書評 『自爆する若者たち-人口学が警告する驚愕の未来-』(グナル・ハインゾーン、猪俣和夫訳、新潮選書、2008)-25歳以下の過剰な男子が生み出す「ユース・バルジ」問題で世界を読み解く
・・「しかるべきポジションをゲットできず居場所がない野心的な若者たち。過剰にあふれかえる彼らこそ、暴力やテロを生み出し、社会問題の根源となっている。・・(中略)・・イデオロギーや主義も、しょせん跡付けの理由に過ぎない」
■近代とナショナリズム
書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門
書評 『国力とは何か-経済ナショナリズムの理論と政策-』(中野剛史、講談社現代新書、2011)-理路整然と「経済ナショナリズム」と「国家資本主義」の違いを説いた経済思想書
書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える
・・フランス革命の意味。近代とナショナリズム
書評 『向う岸からの世界史-一つの四八年革命史論-』(良知力、ちくま学芸文庫、1993 単行本初版 1978)-「社会史」研究における記念碑的名著 ・・フランスに始まり、大陸欧州のドイツ語圏で吹き荒れた「1848年革命」。失敗に終わった民衆革命の本資から考えるべきものとは
(2014年6月10日、2016年7月21日 情報追加)
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