「人口統計」(デモグラフィー)だけが確実に信頼できる未来予測の素材である。これを歴史人口学の立場から実証研究で示してきたのが、フランス国立人口統計学研究所(INED)に所属する歴史人口学者エマニュエル・トッドである。
本書は、ネット放送されたインタビュー番組を活字化したものであり、日本語版も「ですます調」になっているのでひじょうに読みやすい。「アラブ革命」を中心に、その他の幅広いく歴史人口学の成果を、一般視聴者向けにフランス語で語ったものだ。
ただし、英語圏のものとは違って、かゆいところに手が届くような説明ではない。素っ気ない語りに終始しているので、ささっと読める割には内容はよく吟味しながら読んだ方がいいだろう。
日本語版の副題「デモグラフィーとデモクラシー」がほぼ完全に内容をあらわしているといっていいだろう。デモグラフィー(Demography)とデモクラシー(Democracy)は、ともにデモ(Demo)という接頭語で始まるのでコトバ遊びのようだが、日本語で人口統計やを民主主義と表現したのでは見えてこない重要な視点がそこにある。
ともに「量が質を決定する」という思考をベースにしているのである。。デモ(Demo)とはギリシア語のデモス(Demos)に起源をもつコトバであり、「民主主義」がときに「衆愚政治」に転化しかねない危うさをもっているのは、過った主張をもった多数派が、数の力で少数派をねじ伏せることがあるからだ。
「9-11」後に欧米世界で支配的になったのが、「イスラームは近代とは相容れない」という通念だが、識字率・出生率・内婚率などデモグラフィーに着目して虚心坦懐に統計数字を読み込んでいけば、「アラブ革命」の根底で進行中の社会変化を知ることができるのである。それが民主化運動として爆発したのである。
「アラブ革命」には、イスラームという宗教は関係ないのである。デモグラフィー(人口統計学)から導き出された結論が、読者の思い込みを解き放ってくれるだろう。ある意味では身も蓋もない結論ではあるが・・・。
日本語版の帯には「アラブ革命も予言していたトッド。」とある。「予言」というコトバは売らんかなのキャッチーなコピーだが、ほんとうは「予言」ではなく「論理的帰結」ということだろう。過去データから論理的に導き出される分析内容を、現時点のすこし先の時点にあてはめれば当然の結論が導き出されるということだ。
フランス語の原題は、Allah n'y est pour rien ! : Sur les révolutions arabes et quelques autres, par Emmanuel Todd, Le Publieur (1 juin 2011)、直訳すれば『アッラーはそれにはまったく関係ない!-アラブ革命とそのほかについて』となろう。
地中海をはさんで対岸にあるアラブ語は、原書の読者であるフランス人にとってはきわめてアクチュアルな問題であろう。ドイツもまたフランス人にとっては重大な問題であるようだ。
2008年のリーマンショック後にEU域内で強くなる一方の一人勝ち状態のドイツについて、トッドは以下のような発言をしている。「第10章 ドイツ-昨日はナチス、今日はエゴイスト」。
なぜドイツは、いまヨーロッパ内で、完全に利己主義的な経済政策を取っていると、お考えですか? ドイツは、普遍主義的なヨーロッパ的態度を取ることができないのです。・・(中略)・・ 普遍的なヨーロッパ的人間という何らかの観念に導かれて、ドイツがその強大な経済力をもってヨーロッパ全体の面倒を見てやるという気になる、ということがないのです。ドイツと日本は、沈静化した国で、本物の民主主義国です(ただ、日本人の方が、ユーモアのセンスがありますので、優位に立っていますが.......) ・・(以下略)・・ (*太字ゴチックは引用者=さとう)
ドイツの特殊性を論じるトッドだが、彼がフランス人だからというバイアスも感じなくはない。だが、世界情勢を見るにあたって傾聴に値する見解である。日本人の優位性を指摘する( )内の発言は、日本人としてはありがたい発言ではあるが(笑)
「第11章 「民主化」「進歩」 とは何か?-人類学的要因と外的要因」からも引用しておこう。トックヴィルとは『アメリカの民主政治』で有名な19世紀フランスの思想家のことである。
ドイツは、本物の政権交代型民主主義国ではありません。ともすると大連立を選ぼうとする傾向があります。それは脅威と言っているのではありません。ドイツは、巨大なドイツ語系スイスのようなものだと、言っているのです。・・(中略)・・ 西洋民主主義とは、その最も狭い意味において、その出発点において、その創設的中核というものは、フランス、イングランド、アメリカ合衆国だからです。つまりはトックヴィルの世界なのです。今日、歴史的な西洋というのが、当初から政治面でドイツを含んでいたなどという考えは、妄想というべきなのです。 (*太字ゴチックは引用者=さとう)
そのドイツよりも異質なのがスラブ世界ということだろう。世界はデモグラフィーで説明できるといっても、世界は一つに収斂するわけではない。家族制度のあり方が、フランスとドイツでは歴史的に異なることが背景にあるとするのがトッドの説明である。差異が最後まで残るということだ。
「西洋民主主義の創設的中核というものは、フランス、イングランド、アメリカ合衆国」と説くトッドだが、そのなかでも差異は存在する。以下の分類はきわめて重要である。
●イングランド的・アングロサクソン的:自由志向だが、平等志向ではない
●フランス:平等志向で、普遍志向
『新ヨーロッパ大全 全二巻』という大著で、トッドはヨーロッパ諸国民の「国民性」を研究しているので、ぜひ読んでおきたいものである(・・わたしはまだ課題として残してある)。トッドの家族制度に着目した研究は、最近あまり流行らない「国民性研究」の新バージョンといえるかもしれない
日本人にとって関心が深いのは、東アジアの人口動態についてであろうが、異論を感じる点がなくはない。日本と韓国が同じ家族制度というトッドの主張には、正直いって「はてなマーク」を感じる。これは漢族や朝鮮族の「宗族」(そうぞく)というシステムの理解が足りないためであろう。
とはいえ、「文化」で説明しないトッドの方法論はきわめて重要である。また、「経済人」(=ホモ・エコノミクス)仮説では説明しないトッドの方法論は、マルクス主義ではない唯物論ということになるのかもしれない。
梅棹忠夫が提唱する「生態史観」、アングロサクソン圏から生まれた「地政学」、これにトッドを中心とした「デモグラフィー」(人口動態)などで知的武装を行えば、世界情勢の読み方もリアリズムに立脚したものとなることだろう。
トッドは、父親の友人である歴史学者エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリーのアドバイスで、歴史人口学の中心地であった英国のケンブリッジ大学で学び博士号を取得している。アングロサクソン圏の英国で教育を受けた点に注目するべきだろう。ベースは歴史学、それにプラスして人口統計学。フィールドワークなしの理論人類学。
本人はこのインタビューではじめて「アナール派」という自己認識をもっていることを述べたらしいが、統計学重視と心性研究というアナール派のメインストリームを歩いているので、とくに不思議とは感じない。
人口統計だけが確実に信頼できる未来予測の素材だということは、口を酸っぱくして強調しておきたい。これはビジネスに限らず、ほぼすべての事象について適用可能だ。
目 次
本書誕生の経緯
第1章 アラブ革命は予見可能だったのか?
第2章 識字率・出生率と民主化
第3章 誤解されているイラン革命と現体制
第4章 イスラーム圏の内婚制と近代化
第5章 トッドの手法-歴史家か、人口統計学者か、予言者か?
第6章 アラブ圏の民主化とフランス
第7章 宗教は関与していない
第8章 老化という西欧の危機
第9章 中国とロシアの民主化
第10章 ドイツ-昨日はナチス、今日はエゴイスト
第11章 「民主化」「進歩」 とは何か?-人類学的要因と外的要因
補章 人口動態から見たアラブ革命
<附> トッド人類学入門(石崎晴己)
訳者解説(石崎晴己)
著者プロフィール
エマニュエル・トッド(Emmanuel Todd)
1951年生。歴史人口学者・家族人類学者。ケンブリッジ大学卒。フランス国立人口統計学研究所(INED)に所属。作家のポール・ニザンを祖父に持つ。主要著作は、『新ヨーロッパ大全 全二巻』、『文明の接近』(共著)ほか多数。
翻訳者・解説者プロフィール
石崎晴己(いしざき・はるみ)
1940年生まれ。1969年早稲田大学大学院博士課程単位取得退学。現在、青山学院大学総合文化政策学部教授。専攻フランス文学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
PS 『新しい歴史-歴史人類学への道』の「第3章 数量化革命の道」を読めば、エマニュエル・トッドがルロワ・ラデュリの延長線上にあることが理解できよう
@ux sources d'Emmanuel Todd (dailymotion トッド研究室への訪問インタビュー 約10分)
後退する中国、「大惨事」のヨーロッパ-歴史人口学者エマニュエル・トッド氏インタビュー(上)
(日経ビジネスオンライン、2014年4月14日)
・・重要なインタビュー記事なので一部引用してコメントをつけておく
「中国が経済指標で先進国にキャッチアップするということと、中国が世界をリードして将来をつくっていくということは別問題。中国が米国より効率的な社会となると考えるのはナンセンスであり、単独で支配的国家になると予想するのも馬鹿げている。中国は共産主義体制から抜け出し、前進していると自分で思っているはずだが、私の観点からは、逆に後退しているように思う。」
⇒ まったく同感。だからこそ、日本は中国とのつきあい方は硬軟両様でいくべき
「私はヨーロッパについてひどい間違いを犯した。ヨーロッパがEU統合を機に世界平和の推進力になると予想したが、それは外れた。今や、ヨーロッパは諸国家の平等な連合体などではなく、ドイツを中心とした階層的なシステムに変容しつつある。」
⇒ フランス人にとっては悔しいことだろうが、「経済パワー=政治パワー」である以上、ドイツがますます強くなるのは必定。しかしその結果はふたたび・・・?
日本人は少子高齢化という衰退を楽しんでいるのか歴史人口学者エマニュエル・トッド氏インタビュー(下) (日経ビジネスオンライン、2014年4月21日)
・・重要なインタビュー記事なので一部引用してコメントをつけておく
「歴史人口統計学の統計はとても単純で、人が生まれて死ぬという人間行動が対象だ。データに内部一貫性があるから、統計を勝手に変更できない。・・(中略)・・経済統計に比べ、改竄しにくい点でより安全だ。・・(中略)・・米国は1人当たりGDPを見れば、非常に強い国と言えるが、乳児死亡率を見ると、ロシア、ウクライナ並みだ。この事実は、米国が単に世界で最も偉大な国、技術大国というのではなく、社会に問題が潜んでいることを示している。経済データだけでは、社会に潜む問題に到達するのは不可能だ。GDPだけでは、そういう問題を見極められない」
⇒ 「歴史人口学」という「孤高の学問」について重要な指摘。「GDP統計は誤魔化せても、人口統計は誤魔化せない」のである!
「日本人は、出生率が問題であるという事実をかなり意識しているが、それが唯一の問題であることに気づいていない。私は、福島の原発事故問題よりも重要だと思う。私は東北の各県を訪問したし、福島第一原発のすぐ近くまで行った。原発近くの町がどのような状況にあるかも知っている。しかし、長い歴史を見ても、出生率が日本にとって、唯一の重要事項だ。その他のことはすべて、許容できる」
⇒ 日本人は閾値(いきち)を超えた瞬間に突然急旋回することを歴史的に何度も示してきたので、人口問題解決にかんしても、遠くない将来に、劇的な変化があるのではないかとわたしは考えている
「私の中では、アングロアメリカ、特に米国の相対的な位置付けが変化している。・・(中略)・・2002年当時は、ヨーロッパの将来は非常に有望であり、英米をはじめ英語圏のパワーは低下すると予言した。今、それが逆に動いて、ヨーロッパが非常に大きな過ちを犯しそうで、英語圏が何らかの形で復帰しているという形でバランスがシフトしている。・・(中略)・・イラク戦争当時、「米国に追随するな」が日本への助言だった。今はその逆で、「ヨーロッパの道ではなく、米国の後を付いていくべきだ」という助言を日本に贈りたい」
⇒ アメリカ嫌いのフランス知識人の発言に左右されやすい付和雷同型の日本の左翼リベラル諸氏に聞かせたい発言(笑)。出生率改善以外は問題だらけのフランスを代表する知識人の発言だけに、発言はしっかりと受け止めるべきだろう。トッド氏の発言いかんにかかわりなく、地政学の観点からいったら、「海洋国家」の日本には米英アングロサクソンとの協調路線は「国是」なのである!
<ブログ内関連記事>
『ソビエト帝国の崩壊』の登場から30年、1991年のソ連崩壊から20年目の本日、この場を借りて今年逝去された小室直樹氏の死をあらためて悼む
・・トッドとは独立に、ほぼ同時期にソ連崩壊を「予言」いや、「予測」していた小室直樹
■デモグラフィー(人口動態)で世界を読み解く
書評 『自爆する若者たち-人口学が警告する驚愕の未来-』(グナル・ハインゾーン、猪俣和夫訳、新潮選書、2008)-25歳以下の過剰な男子が生み出す「ユース・バルジ」問題で世界を読み解く
書評 『中東激変-石油とマネーが創る新世界地図-』(脇 祐三、日本経済新聞出版社、2008)
・・「人口爆発」によって若年層に偏った人口構成が失業率の高さを生んでいることが指摘
書評 『中東新秩序の形成-「アラブの春」を超えて-』(山内昌之、NHKブックス、2012)-チュニジアにはじまった「革命」の意味を中東世界のなかに位置づける
本日(2011年2月11日)は「イラン・イスラム革命」(1979年)から32年。そしてまた中東・北アフリカでは再び大激動が始まった
エジプトの「民主化革命」(2011年2月11日)
書評 『エジプト革命-軍とムスリム同胞団、そして若者たち-』(鈴木恵美、中公新書、2013)-「革命」から3年、その意味を内在的に理解するために
・・人口動態で説明できる事象以外についてフィールドワークも踏まえて執筆された読むべき内容の本
書評 『アラブ諸国の情報統制-インターネット・コントロールの政治学-』(山本達也、慶應義塾大学出版会、2008)-インターネットの「情報統制」のメカニズムからみた中東アラブ諸国の政治学
・・チュニジアもエジプトも「情報統制国家」である
■歴史を「文化論」で説明しないことが重要だ!
書評 『歴史入門』 (フェルナン・ブローデル、金塚貞文訳、中公文庫、2009)-「知の巨人」ブローデルが示した世界の読み方
・・フランスのアナール派を代表する世界的歴史学者フェルナン・ブローデル入門
梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!
書評 『100年予測-世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図-』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、早川書房、2009)-地政学で考える
■ドイツはヨーロッパかという問い
書評 『ブーメラン-欧州から恐慌が返ってくる-』(マイケル・ルイス、東江一紀訳、文藝春秋社、2012)-欧州「メルトダウン・ツアー」で知る「欧州比較国民性論」とその教訓
・・「ドイツははたしてヨーロッパ化されたのか」という根源的な疑問が欧州で復活していることも見逃せない。ナチス以後の「ユダヤ人を欠いたドイツ金融界」は、考えてみれば日本と同じである。これは、英米の金融界との大きな違いであることは間違いない
書評 『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる-日本人への警告-』(エマニュエル・トッド、堀茂樹訳、文春新書、2015)-歴史人口学者が大胆な表現と切り口で欧州情勢を斬る
・・エマニュエル・トッドの日本編集版。歴史人口学の立場からふたたび強大化するドイツを読み解く
(2014年8月27日、2016年3月17日、7月21日 情報追加)
(2022年12月23日発売の拙著です)
(2022年6月24日発売の拙著です)
(2021年11月19日発売の拙著です)
(2021年10月22日発売の拙著です)
(2020年12月18日発売の拙著です)
(2020年5月28日発売の拙著です)
(2019年4月27日発売の拙著です)
(2017年5月18日発売の拙著です)
(2020年5月28日発売の拙著です)
(2019年4月27日発売の拙著です)
(2017年5月18日発売の拙著です)
(2012年7月3日発売の拙著です)
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