2014年4月30日水曜日

All the world's a stage(世界すべてが舞台)-シェイクスピア生誕450年!

(セゾンカード会員誌 express 2014年5月号特集記事より)


ことし2014年4月は「シェイクスピア生誕450年」なのだそうですね。

シェイクスピアは、生まれたのが1564年4月26日(洗礼日)で死んだのが 1616年4月23日、4月に生まれて4月に死んだわけですね。

冒頭の写真はセゾンカードの会員誌の今月号の特集記事。毎月無料で送ってくるのですが、本日まで中身を見てませんでした。、


わたしは、シェイクスピア命(!)というわけでもありませんが、すくなくともシェイクスピア愛(!)ではあります。演劇や芝居はすべてシェイクスピアを評価の基準軸に据えて考えるクセがついてしまっております。

坪内逍遙や小田島雄志が個人で日本語全訳という偉業を達成していますが、さすがにわたしは日本語訳ですら全巻は読んでおりません(汗) いはんや英語原文で全巻は・・・。.一部は英語で暗唱できますけどね。

(中学校以来のマイ蔵書  文庫版シェイクスピア作品)

そんな程度でシェイクスピアを云々するのもアレですが、わたくし的には『ハムレット』(Hamlet)、『マクベス』(Macbeth)、『オセロウ』(Othello)、『リア王』(King Lear)といった「四大悲劇」もさることながら、シェイクスピアはコメディが最高。

なかでもわたしが好きなのは、『十二夜』(Twelfth Night)と『お気に召すまま』(As You Like It)。いわゆる「男装の麗人」が登場するコメディですね。男女取り替えのコメディ。

(1996年の映画版『十二夜』)

ほかにも『じゃじゃ馬ならし』(The Taming of the Shrew)や『空騒ぎ』(Much Ado About Nothing)、『終わりよければすべてよし』(All's Well That Ends Well)などシェイクスピアのコメディはすばらしい。

もちろん『ロミオとジュリエット』をはじめとするイタリアを舞台にした作品。ことしに入ってからも、フィギュアスケートの羽生弓弦選手はテーマ曲を使用してますし、朝ドラの『花子とアン』にも登場(第5週~第6週)。根強い人気ですね。

シェイクスピアの作品はイタリアが舞台になっているのが多いから、その結果わたしもイタリア大好きになりました英国人がトスカーナ好きな人が多いのもそれが理由の一つでしょう。

シェイクスピアの生誕地、英国のストラッドフォード・オン・エイボンには行ったことはありませんが、芝居の舞台となったイタリアの土地はほぼすべて回っております。

(マイコレクションより オックスフォード版全集 初演テキストを中心に提供)

実用英会話にシェイクスピアなど不要などと主張する人もいますが、わかってませんねえ。なんせ芝居のセリフなんですからね。会話体の英語なんですよ。食わず嫌いはやめましょう。

たとえば、All the world's a stage. は、『お気に召すまま』(As You Like It)に登場するセリフです。

All the world's a stage
And all the men and women merely players.
(世界すべてが舞台/男も女も役者にすぎない)

ねっ、簡単でしょ。これなら中学生でもわかりますね。いまなら小学校高学年レベルかな? こんなフレーズを覚えておけば、英会話にそのままつかえるんですよ。


(高校時代なけなしのカネで買った吉田健一著作集 第一巻のみ)

作家の吉田健一がこんなことを書いています。

シェイクスピアなどというものは、英国の文学好きの青年が高等学校を出るまでに読み尽くして、大学でその経験に基いてあれこれと大学の先生と議論を戦わせて楽み、それでも一流中の一流の詩人であるから、大学を出てからも、結構、一生楽しめるというような、そういう人間である。(出典: 「英国の文学というもの」(昭和29年=1954年) 『英語と英国と英国人』(講談社文芸文庫、1992)所収

これにつけくわえれば、演劇好きの人間なら、と書くべきでしょう。現在でもシェイクスピアの芝居のセリフは原文のままで現代風に書き直したりはしません。

シェイクスピアといえばソネット(14行詩)も忘れるわけにはいきませんね。Shall I compare thee to a summer’s day ?(君を夏の一日にたとえようか?)で始まるソネットの最初の4行を引用しておきましょう。

Shall I compare thee to a summer’s day ?
Thou art more lovely and more temperate.
Rough winds do shake the darling buds of May,
And summer’s lease hath all too short a date.

君を夏の一日にたとえようか?
だが君のほうが美しく、もっと温和だ。
五月には強い風が可憐な花のつぼみを揺らすし、
夏はあまりにも短いいのちしかない。
(出典: 『対訳 シェイクスピア詩集 イギリス詩人選(1)』(柴田稔彦編、岩波文庫、2004)より)


450年前の英語とは思えませんよね。

「古典」として神棚に祭り上げるのではなく、シェイクスピアはまずは「芝居の台本」として気軽に楽しみたいものですね。





<ブログ内関連記事>

エープリル・フール(四月馬鹿)-フールとは道化のこと・・シェイクスピアの芝居にでてくる道化(フール)は、いわゆる宮廷道化(コート・ジェスター)のこと。ジョーカーともいう

All's Well That Ends Well. 「終わりよければすべてよし」 (シェイクスピア)-「シンドラーのリスト」 と 「浜岡原発運転停止」

フィギュアスケートの羽生選手を金メダルに導いた映画 『ロミオとジュリエット』(1968年版) のテーマ曲 ・・シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』


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2014年4月29日火曜日

「昭和の働く女性-夢と希望と困難と-」(昭和館・東京九段下)は、見る価値ある企画展-「昭和」に限定されているのがちょっと残念だが・・


本日(4月29日)は「昭和の日」で国民の休日。もともとは先帝陛下(=昭和天皇)の「天皇誕生日」として休日でありました。

わたくしも「昭和時代・後期」に生まれ育ったので、「昭和時代」はリアルタイムで体験しております。

とはいっても自分が生まれる前の「昭和時代・前期」は親や教師の話を聞いただけで実体験をもっているわけではありません。いまいちリアリティをもっておりません。「平成時代」も26年目なので、平成生まれの若い世代ならなおさらでありましょう。

先日、ようやく東京・九段の「昭和館」にいってみました。近くにいく用事があったので立ち寄った次第です。 

「昭和時代」、とくに「戦前」と「戦中」そして「戦後復興期」が常設展示の中心です。入場料は300円。平日でしたのでかなりすいてました。


たまたま、同時に開催されていたのが昭和館特別企画展の「昭和の働く女性 夢と希望と困難と」(入場無料)。会期は、2014年3月15日~5月11日)。これはたいへんよい企画展でした。

「戦前」と「戦中」そして「戦後復興期」が展示の中心になるのは昭和館の常設展示と同じですが、戦時下の「総動員体制」のもとで女性の社会進出が促進されたことがよく理解できる内容になっています。

徴兵制のもと男が出征して不在となった労働現場に、代替労働力として女性が活用されたことによって、社会進出が進展したというわけですね。男子が大量に戦死し、男女比率が極端に隔たってしまった戦後ソ連も同じ状況でありました。

その後、戦後の「高度成長期」に「専業主婦」という形態が一般化したことは最近では一般的な知識になってきたと思いますが、基本的に日本女性は有史以来、一貫して働いてきたわけです。

戦争によってファッションなどライフスタイル変革が中断してしまったのは残念ですが、ワーク(労働)にかんしては戦時中の総動員体制のもとでかえって女性の社会進出が進展したということは記憶しておくべきことだと思います。

組織人事からビジネスキャリアを開始し、しかも「男女雇用機会均等法」施行一年前にその研究を命じられたということもある「均等法世代」のわたくしにとっては、大いに関心のある内容の企画展でありました。

「戦時中」の勤労動員については常設展もあわせて見るとよいでしょう。勤労動員で旋盤の前で働く女学生の写真はけっこうインパクトありますね。常設展で勤労奉仕の女学生たちの写真をみると、なんと工作機械や溶接作業までそこまでやっていたのかというオドロキも!

「昭和の働く女性-夢と希望と困難と-」(昭和館・東京九段下)-「昭和」に限定されているのがちょっと残念ですが、ぜひ見ておく価値のある企画展です。会期は、2014年3月15日から5月11日まで。




<企画展概要>

特別企画展 「夢と希望と困難と~昭和の働く女性~」
開催期間:  3月15日(土)~5月11日(日)まで
 ※月曜日休館(4月28日(月)、5月5日(月)は開館)、5月6日(火)は 開館、5月7日(水)は休館
時間: 10:00~5:30(入館は5:00まで)
場所:  昭和館3階(東京都千代田区九段南1-6-1)
地下鉄「九段下」駅4番出口から徒歩1分
入場料 : 無料(常設展示室は有料)





<参考>

『モダンガール論』(斎藤美奈子、文春文庫、2003)の単行本初版(2000年)は、副題に「女の子には出世の道が二つある」とあった。

立派な職業人になることと、立派な家庭人になること。職業的な達成(労働市場で自分を高く売ること)と家庭的な幸福(結婚市場で自分を高く売ること)は、女性の場合、どっちも「出世」なのである。したがって、女の子はいつも「二つの出世の道」の間で揺れてきた(単行本 P.8)

なお、『モダンガール論』(斎藤美奈子)でも指摘されているが、「良妻賢母」は前近代のものではないのだ。あくまでも「近代イデオロギー」の産物だということには注意しておく必要がある。「良妻賢母主義」を国是とすべしと提唱したのは、伊藤博文内閣で初代文部大臣となった森有礼である(1885年)。






<関連サイト>

フォトレポート 来館者から「戦中、戦後の女性の力強さを感じることができた」との声も。「夢と希望と困難と~昭和の働く女性~」特別企画展開催中。(厚生労働省)

昭和館 公式サイト


<ブログ内関連記事>

日本が「近代化」に邁進した明治時代初期、アメリカで教育を受けた元祖「帰国子女」たちが日本帰国後に体験した苦悩と苦闘-津田梅子と大山捨松について

NHKの連続テレビ小説 『カーネーション』が面白い-商売のなんたるかを終えてくれる番組だ

『聡明な女は料理がうまい』(桐島洋子、文春文庫、1990 単行本初版 1976) は、明確な思想をもった実用書だ


「移動図書館」-これもまたぜひ後世に遺したい戦後日本の「昭和遺産」だ!

電気をつかわないシンプルな機械(マシン)は美しい-手動式ポンプをひさびさに発見して思うこと

これがバキュームカーだ!-下水道が整備される以前の「昭和遺産」である

書評 『村から工場へ-東南アジア女性の近代化経験-』(平井京之介、NTT出版、2011)-タイ北部の工業団地でのフィールドワークの記録が面白い





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(書評再録) 『プリンス近衛殺人事件』(V.A. アルハンゲリスキー、滝澤一郎訳、新潮社、2000年)-「ミステリー小説か?」と思って書店で手に取ったら…


原題は「誰がプリンス近衛を殺したか?」。「プリンス近衛」とは、戦前に首相を務めた近衛文麿公爵の嫡子文隆氏のことである。

最初、ミステリー小説か?と思って書店で手に取ったが、なんと内容は、近衛文隆氏とは面識はおろか、縁もゆかりもない一ロシア人ジャーナリストが長年にわたって収集した極秘資料をもとに描いたノンフィクションなのであった。

日本の敗戦後、朝鮮国境で逮捕されシベリアの収容所に送られた陸軍中尉のプリンス近衛は、スターリン統治下のソビエトの収容所で11年間過ごした後、帰国を前にして、病死を装って「殺された」らしいのだ。最後までソ連による罪状を否認しとおし、日本人としての誇り、人間としての尊厳を守りぬいたプリンスの姿には、感銘さえ覚える。

と同時に、実は100万人を超えていたといわれる日本人抑留者の真相について、著者をしてここまで感情移入してこのノンフィクションを書かしめた思いは何なのか、という思いにもとらわれる。

著者もいうように、このシベリア抑留問題の抜本的解決なしに北方四島返還交渉を行うのは、日本人として許してはならないのである。


(初出情報 2001年3月28日 bk1に投稿掲載 に一部加筆)





<書評への付記>

こういう好著が文庫化もされずに埋もれてしまうのはじつに惜しいことだと思い、あえてここに13年前に執筆した書評を再録次第である。新潮社以外でも文庫化していただける出版社はないものか。

この書評は、すでに 64年前のきょう、ソ連軍が「対日宣戦布告」して侵攻を開始した(20008年8月8日) というブログ記事のなかに「再録」しているのだが、今回の記事はやや異なる角度から取り上げたいと思う。

それは、近衛文隆氏の存在が、父親の近衛文麿について、あまり言及されない視点を提供してくれるという点である。

近衞文隆氏(このえ・ふみたか、1915年~1956年)について wikipedia の記述を引用しておこう。

近衞文隆(このえ ふみたか、1915年(大正4年)4月3日 - 1956年(昭和31年)10月29日)は、昭和期の陸軍軍人。元首相近衞文麿・千代子(父は豊後佐伯藩主・毛利高範)夫妻の長男。家系は藤原北家の嫡流にして摂家筆頭・近衞家。京都府出身。階級は陸軍中尉。位階は従五位。学歴はプリンストン大学政治学部修業(中退)。・・(以下略)・・

父親の近衛文麿についてはあえて書くまでもないが、かれは「世界大戦」後の1918年に発表した「英米本位の平和を排す」という論文で、世界大戦の戦後処理について見解を述べている。

当時、この世界大戦への参戦によって国際的な地位を高めた日本であるが、それでも英米アングロサクソン中心の国際秩序がゆるぐことはなく、新興国・日本としては悔しい思いもあったことだろう。

だが、近衛文麿自身は京都帝大時代には英文学をオスカー・ワイルドを愛読していたのであり、長男にはアメリカのアイビーリーグの名門プリンストン大学に進学することを最終的に許している。英米を知っているがゆえに、英米に反発も感じたのであろう。愛憎関係ともいうべきか。

これらの事実から、とかく優柔不断なための国を誤らしたというレッテルを張られたままの近衛文麿の現実感覚についてうかがい知ることもできるし、ソ連は長男の文隆氏のプロファイルを熟知していたうえで抹殺したことが残念でならないのである。

近衛文麿とプリンストン大学に進学した長男を連想させて考えることが重要ではないだろうか。そもそも開国と明治維新以降、日本の支配層が定めた国是は、皇室を筆頭にして親アングロサクソンなのである。

さて、わたくしは京都舞鶴市の生まれであり、「シベリア抑留」の話はさんざん聞かされてきた。また、祖父が徴兵されてシベリア出兵に出征していることもあり、シベリアとは縁がある。現地在住の日本時居留民がロシア人共産主義者のパルチザンによって虐殺された「尼港事件」後に現地入りした祖父からは、ウラジオストックの話も聞いたことがある。

その後、ソ連崩壊後のことであるが、舞鶴市とは姉妹都市のナホトカとウラジオストックを訪問することができた。ソ連時代、西側に開かれていた港湾都市ナホトカも、ソ連崩壊後は訪れる日本人は多くないようだ。

シベリア関連の話は、イヤなことを見たくない耳にしたく日本人一般から意図的に避けられている感をもたなくもない。だが、シベリアはロシア人政治犯や日本人抑留者関連だけでなく、現地住民の世界でもある。

シベリア全般について、さまざまな観点から、もっと関心を深めてほしいと思うのである。

(2014年4月28日 記す)



<参考>

沈黙のファイルー「瀬島龍三」とは何だったのか』(新潮文庫、1999 単行本 共同通信社 1996)もあわせて読みたい一冊だ。

単行本の帯には以下の文言がある。

元大本営参謀瀬島龍三は〔真実〕を語ったか。敗戦、シベリア抑留、対韓賠償・・・。戦後史の謎に迫る衝撃のルポルタージュ。〔瀬島神話〕の言葉を生んだ華麗な経歴。だが、そこには大きな謎がつきまとう。無謀で愚かな戦争の核心にかかわった瀬島が、なぜ不死鳥のようによみがえったのか。敗戦、シベリア抑留、対韓賠償、防衛庁商戦、中曽根政権誕生・・・。その軌跡をたどれば、日本の暗部に潜む沈黙の歴史が見えてくる (*太字ゴチックは引用者=さとう)

このコピーに誇張はない。私は、日本人全てが読むべき本だと考えています。






<ブログ内関連記事>

映画 『レイルウェイ 運命の旅路』(オ-ストラリア・英国、2013)をみてきた-「泰緬鉄道」をめぐる元捕虜の英国将校と日本人通訳との「和解」を描いたヒューマンドラマは日本人必見!
・・スターリンの命令による敗戦後のシベリア抑留とは性格がやや異なるが、交戦中の戦争捕虜を実質的に軍事目的の労働に使用された、「泰緬鉄道」建設工事における英国やオーストラリアなどの戦争捕虜についても考えることが日本人には必要である。戦時における労働力不足が生んださまざまな悲劇についてである

「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860~1900」(三菱一号館美術館)に行ってきた(2014年4月15日)-まさに内容と器が合致した希有な美術展
・・展示内容の一部である英国世紀末文学のオスカー・ワイルドと日本への思いについても書いておいた

書評 『持たざる国への道-あの戦争と大日本帝国の破綻-』(松元 崇、中公文庫、2013)-誤算による日米開戦と国家破綻、そして明治維新以来の近代日本の連続性について「財政史」の観点から考察した好著
・・明治維新以降の日本の国是は親アングロサクソン。大東亜戦争はその不幸な逸脱であった

書評 『「シベリアに独立を!」-諸民族の祖国(パトリ)をとりもどす-』(田中克彦、岩波現代全書、2013)-ナショナリズムとパトリオティズムの違いに敏感になることが重要だ

書評 『女三人のシベリア鉄道』(森まゆみ、集英社文庫 、2012、単行本初版 2009)-シベリア鉄道を女流文学者たちによる文学紀行で実体験する

『ピコラエヴィッチ紙幣-日本人が発行したルーブル札の謎-』(熊谷敬太郎、ダイヤモンド社、2009)-ロシア革命後の「シベリア出兵」において発生した「尼港事件」に題材をとった経済小説

64年前のきょう、ソ連軍が「対日宣戦布告」して侵攻を開始した(20008年8月8日)
・・『プリンス近衛殺人事件』の書評はこちらにも掲載してあるが、今回の記事とは異なる角度から取り上げているので参照いただきたい


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2014年4月28日月曜日

映画『レイルウェイ 運命の旅路』(オ-ストラリア・英国、2013)をみてきた ー「泰緬鉄道」をめぐる元捕虜の英国将校と日本人通訳との「和解」を描いたヒューマンドラマは日本人必見!


映画 『レイルウェイ 運命の旅路』(オ-ストラリア・英国、2013)は、日本人として絶対に見るべき映画です。

「泰緬鉄道」(たいめん・てつどう)をめぐる元捕虜の英国将校と日本人通訳との「和解」を描いたヒューマンドの物語。この映画は日本人は絶対に見るべきです。

正直いって、日本人としては見るのがつらい内容です。だが最後まで見てほしい。かならず泣けます。それも深い感動をともなって。これがほんとうの「被害者」と「加害者」のあいだの和解(reconciliation)なのだ、と。

「泰緬鉄道」(たいめん・てつどう)とは、泰(タイ)と緬(ビルマ)を結ぶ鉄道路線。大東亜戦争中に日本軍が英国とオーストラリアなどの約5万人の戦争捕虜や、25万人を超えるといわれるアジア人労務者(・・いわゆる「ロームシャ」)を酷使して、雨期もはさんで一年間の突貫工事で完成させたものです。

戦時における労働力不足を解消するための違法な作戦が生んだ悲劇として、記憶してしかるべき「加害者」としての汚点として記憶されるべき歴史的事実です。日露戦争当時の日本は、捕虜の扱いにかんしても国際的な賞賛を浴びたのでしたが・・・。

「死の鉄道」(デス・レイルウェイ)という異名もあるように、山岳地帯での建設工事の過程で多くの捕虜が酷使されただけでなく、熱帯性気候のなかでの激しい労働と乏しい食事のため栄養失調状態であり、医薬品と医療スタッフ不足のため、赤痢や脚気、コレラやチブスその他の熱帯性潰瘍など、熱帯のジャングル風土病で大量に病死しているのは歴史的事実です。

なかには拷問や虐待で死んだ戦争捕虜もあったようです。BC級戦犯として処刑された日本人はその責任をとらされたものです。戦争捕虜を軍事目的で使役した罪は、末端の将兵ではなく、大本営にあったはずなのですが、上意下達の軍隊組織ゆえの不運というべきかもしれません。

(第二次大戦当時の東南アジアと泰緬鉄道 原作本(角川文庫)より)

「泰緬鉄道」といえば『戦場にかける橋』、「ああ、あの映画なら、ずいぶんむかしに見たよ、マーチで有名な映画でしょ」、と思った人も、『レイルウェイ 運命の旅路』は見た方がいいと思います。

舞台設定は同じでも、まったく異なる内容だからです。『戦場にかける橋』はオリエンタリズムに充ち満ちた反日映画といってもいい内容で、しかもかなり部分がフィクションです。「戦場にかける橋」は、ほんとうは爆破されてはいないのです。

(『タイ鉄道散歩』(藤井伸二、イカロス出版、2013)より)


映画 『レイルウェイ 運命の旅路』の内容

フラッシュバック現象で虐待を思い出し、トラウマに苦しむ「被害者」としての元英国将校。

通信将校であった主人公は、1941年の英国領シンガポール陥落で日本軍の捕虜となり、貨車で鉄道建設現場に送り込まれます。根っからの「鉄道マニア」である主人公にとって「泰緬鉄道」の建設にかかわることになったのは運命の皮肉なのか。

贖罪のために現地カンチャナプリを何度も巡礼する「加害者」としての「日本兵」。

英語通訳として憲兵隊に所属していました。直接手を下したわけではありませんが、拷問の場に立ち会って通訳を務めために主人公の記憶のなかに深く刻み込まれています。なぜなら直接コミュニケーションした相手だから。しかも主人公の母語である英語で会話したから。

英国将校はエリック・ローマクス氏(1919~2012)、日本人通訳は永瀬隆氏(1918~2011)。いずれも実在の人物で、ほぼ同年に生まれ、ほぼ同年に亡くなった完全に同世代。映画も実話をもとにしたものです。もちろん映画ですから事実とは異なる脚色はありますが・・・。


こんな枠組みの内容は、正直いって戦争には直接関係ない世代であっても、見ていてつらいものがあることは否定できません。だが、ラストシーンに近づいていくにつれて深い感動がこみあげてくるでしょう。

「被害者」と「加害者」の「和解」は可能なのか? そんな普遍的なテーマとともに、日本と英国を中心とする連合国が東南アジアで全面衝突したという歴史についても、あらためて確認していただきたいと思います。

「太平洋戦争」というネーミングのためにアメリカとの戦争ばかりが強調されてますが、東南アジアではシンガポールを含むマレー半島、ビルマ(=ミャンマー)では英国と戦争をしているのです。この事実を知ることも大事なことです。ほんとうは大東亜戦争なのです。


「東南アジアから英国が見える」のです。ビルマで、そしてタイで日本と英国を中心とする連合国(オーストラリア、オランダ)が敵味方として濃厚にかかわったのです。

東南アジア、とくにタイとビルマ(=ミャンマー)にかかわる人は絶対に見るべき映画でしょう。



「原作と映画のあいだ」(between reel and real life)

映画の原作まで読むことはあまりしないのですが、「泰緬鉄道」(たいめん・てつどう)というテーマには多大の関心があるから今回は読んでみることにしました。

原作の日本語訳タイトルが映画のタイトルと同じなのは、「元祖メディアミックス」の角川書店(!)ならではですが、英語の原題は主人公のローマクス氏の自伝 The Railway Man(Eric Lomax, 1995) というもの。「鉄道員」という意味ではなく「鉄道マニア」という意味でしょう。

映画は,「泰緬鉄道」建設と日本軍による捕虜酷使と拷問、そしてそれがトラウマになった元英国将校と拷問の際に英語通訳をつとめた元日本兵との「奇跡的な和解」に絞り込んで描いてますが、原作は第一次大戦が終わった1919年にスコットランド人として生まれ、「大英帝国末期」を生きた世代の回想録といたもので、映画とは別の意味で興味ある内容です。

映画は116分ですがが、原作のほうは文庫本で380ページとボリュームあります。原作を読むと映画とは違った意味で、「奇跡的な和解」の意味を考えることができるといっていいでしょう。

虐待の「被害者」と「加害者」の関係だけでなく、「植民地喪失時代の英国」に生きた世代の英国人の心情についてよく理解することができます。「産業革命」を生み出した古い英国人の機械への愛情といったものを感じさせてもくれます。著者は復員後は独立前の英国領ガーナで植民地行政官として働いています。



映画には Based on a true story とありましたが、「"a true story" をベースにした」だとしても「忠実に再現した」というわけではないのは当然です。"true story" のことを日本語では「実話」といいますが、 英語の "true" という単語はなにを意味しているのか、ずっと気になってます。 しかも定冠詞の "the" ではなく不定冠詞の "a" の "true story" ということの意味。

映画と原作はもちろん別個の存在です。英語では、「原作と映画のあいだ」のことを "between reel and real life" というようですが、reel と real というよく似た音の単語で示した面白い表現ですね。日本語と英語では順番が反対になってますが。reel とは映画のフィルムのことです。

そのむかし「メディアミックス」戦略を開始した頃の角川書店は、「見てから読むか? 読んでから見るか?」という印象的なキャッチコピーで消費者を煽ってくれましたが(笑)、原作は映画のノベライズではないので、別個の存在として楽しむのが正しいありかたなのではと、あらためて思った次第。

原作で印象的だったのが「時間を奪われた」という表現。シンガポール陥落で日本軍の捕虜となった著者は、シンガポールの捕虜収容所でも泰緬鉄道建設現場でも支配していたのは「東京時間」のため、「リアルタイム」より早く一日が始まることへの不満を述べています。

シンガポールと日本の時差は、金融立国シンガポールの人為的な操作で1時間になっていますが、ほんとうはタイと同じく日本との時差は2時間。

鉄道マニアで時刻表マニアに著者にとって、捕虜となったことは二重三重の意味で「時間を奪われた」体験となったのでしょう。



「会話」が「対話」になったとき「和解」が始まる

映画で印象的なのは、主人公が元日本人通訳に対して「一人称単数」で語れ!と迫るシーン。これは映画ならではの脚色でしょうが、印象に残るシーンです。

一人称複数の「われわれ」(We)ではなく、一人称単数の「わたし」(I)で語れ、と。誰をさしているのか不明瞭な We ではなく、自分自身の立場で自分のコトバで語れということです。

まずは一人称単数の個人と個人の関係から始めるのが、じつは遠回りに見えて「和解」への近道なのだということを象徴的に示したシーンだといえるでしょう。

たんなる「会話」が深みをもった「対話」に変わったとき、個人と個人のあいだでの「和解」への道が開けるのである、と。

アウシュヴィッツの帰還者がフラッシュバック現象がトラウマとなり、せっかく生き残って元の生活に戻っても最終的に自殺してしまうケースが少なくないといいます。イタリアの作家プリーモ・レーヴィもそうであったようです。しかし、主人公の元英国人将校のローマクス氏は、トラウマに苦しめられながらも自殺を選ぶことなく生き抜きます。

その意味も含め、元英国人将校と英語通訳との再会と和解は奇跡であったといっていいと思います。映画や原作の宣伝コピーはあながち誇張ではありません。国は異なるとはいえ、ほぼ同じ年に生まれ、ともに戦争では生き残り、戦後も70歳近くまで生きていたからこそ実現した和解。

和解は基本的に個人と個人のあいだで成立するものですが、個人の人生には限りがあるもの。個人の記憶はその人の人生が終われば消えてしまいます。永瀬氏もローマクス氏も、それぞれ2011年と2012年に世を去っています。

どうも日本人は「高度成長」のなかで大東亜戦争のことは見て見ないふりをして、一方の英国でもヨーロッパ戦線はさることながらアジアで戦った帰還兵の話を聞こうとしない状況であったようです。そんな世の中での元日本人通訳・永瀬氏の孤軍奮闘の活動がなければ、ローマクス氏との出会いもなかったことは間違いないことです。

アウシュヴィッツから半世紀以上たって、ようやくドイツでも「記憶」をつねに想起させるため、「見える形」で「記念碑」の建築を行っています。首都ベルリンにある、ホロコーストにおけるユダヤ人犠牲者のメモリアルパークですが、墓地に似せてつくられた「記憶」のための建造物です。

「被害者」と「加害者」の真の「和解」は、時間がかかる終わりなきプロセスなのです。

「個人の記憶」を、個人を超えた「国民の記憶」にするためには、まだまだしなければならないことはたくさんあるのではないでしょうか。





<関連サイト>

映画 『レイルウェイ 運命の旅路』 公式サイト



捕虜の通訳を務めた永瀬隆氏の著書

元日本人通訳として映画では真田広之(・・青年期は石田淡朗)が演じた永瀬隆氏について wikipedia の記述を引用しておきましょう。

永瀬 隆(ながせ・たかし、1918~2011)は、陸軍通訳であり、泰緬鉄道建設の現場に関わった証言者。岡山県倉敷市生まれ。1941年青山学院文学部英語科を卒業。同年12月、英語通訳として陸軍省に入省する。1943年、タイに赴き、泰緬鉄道の建設にあたり、『建設作戦要員』として通訳に従事する。40万人のうち12万人が死んだといわれる捕虜虐待の現場に出くわす。後に、このことについて証言する。1945年9月、イギリス軍の墓地捜索隊の通訳となる。 1946年7月、日本に帰国。千葉県立佐原女子高等学校などに勤務後、帰郷して1955年から倉敷市で英語塾『青山英語学院』を経営する。 1964年より、毎年タイを訪問し、泰緬鉄道建設に駆り出されて病死などで死亡した連合国兵士およびアジア人兵士労働者を慰霊する。1986年には、タイにて『クワイ河平和寺院』を建立する。同年、タイの青少年に奨学金を授与する目的で、『クワイ河平和基金』を設立し、代表となる。同年に、岩波ブックレット「『戦場にかける橋』のウソと真実」を、著書として出す。1995年から横浜市でイギリス連邦軍戦死者の追悼礼拝を開催。2002年、イギリス政府より特別感謝状を受けた。2005年、読売国際協力賞を受賞する。 2011年6月21日、胆のう炎のため岡山県倉敷市の病院で死去。93歳没。

wikipediaの記述(2014年4月28日現在)には、紹介さrふぇていない永瀬氏の著作があります。以下の二冊ですが、機会があればぜひ読んでほしいのですが絶版状態なのが残念なことです。いずれもマイコレクションです。




『イラスト クワイ河捕虜収容所-地獄を見たイギリス兵の記録-』(レオ・ローリングズ、永瀬隆訳、現代教養文庫、1984) 初版は1980年に自費出版。

目 次

日本の読者へ (レオ・ローリングズ、國弘正雄訳)
序 (ルイス・マウントバッテン ビルマ伯爵・海軍元帥

プロローグ
第1章 マラヤの戦闘
第2章 スリム河およびケダーの戦闘
第3章 退却はつづく
第4章 最後の要塞シンガポールの陥落
第5章 待望の奥地移動開始
第6章 鉄道捕虜収容所
第7章 クワイ河の架橋工事
第8章 医療、その状態と疾病
第9章 シンガポールへの帰還
日本語訳のためのエピローグ
著者紹介
訳者あとがき (永瀬隆)


「あとがき」の永瀬氏の文章が心に刺さります。
私事で恐縮ですが、戦争から還って以来、日章旗をみると、白地は捕虜の骨の色に、赤地は日本の兵士の血の色に思えるのです。あのジャングルの激しい記憶の傷痕のためです。



『ドキュメント クワイ河捕虜墓地捜索行-もうひとつの「戦場にかける橋-』(永瀬隆著訳、現代教養文庫、1988)

目 次

序 (伊藤桂一)
はじめに (ヘンリィ・C・バップ、永瀬隆訳)

虎と十字架 (永瀬隆)
幸福な墓掘り (ジャック・リーマン、永瀬隆訳)
泰緬鉄道墓地委員会記録(抜) (ヘンリィ・C.バッブ、永瀬隆訳)

泰緬鉄道概要図
あとがきにかえて-泰緬鉄道建設作戦いまだ終焉せず-  (永瀬隆)

「あとがき」には、永瀬氏によるタイの現地での慰霊活動が、日本の外務省とその意を受けたタイの日本人会から執拗に妨害されたこと(!)が書かれています。1988年時点の話ですが、この記述だけでもぜひ読んでいただきたいのですが残念ながら絶版です。永瀬氏の活動がいかに孤軍奮闘のものであったか、

永瀬氏もローマクス氏もすでに世を去っていますが、今回の映画公開で永瀬氏の功績に光があたったことは意味あることと考えるべきでしょう。

なお、『歴史和解と泰緬鉄道-英国人捕虜が描いた収容所の真実-(ジャック・チョーカー、小菅信子・, 朴 裕河・根本 敬・根本尚美訳、朝日選書、2008) は、映画のなかで主人公が読むシーンがでてきますが、その日本語版がこの本です。

捕虜たちが苦しんだ病気、とくに熱帯性潰瘍についてはイラストで解説していますので必見です。肉が腐り骨まで露出した状態の捕虜たちの姿が痛ましい。

この本も、ぜひあわせて読んでいただきたいものです。




なお、「泰緬鉄道」は現在 1/3 しか運行していませんが、建設から70年の2012年には復活計画があることがNHKで報道されていました。以下の写真はTV映像をキャプチャしたものです。

(NHKの報道番組より 2012年)

わたしは1995年(?)に「泰緬鉄道」の現在の終点のナントクまで行ってます。終点から先はレールがはずされていることを確認して残念に思った記憶があります。「復活」は一年ではできないでしょうが(・・そんなことは望みもしない!)、時間をかけてでも「記憶」のメモリアルとしてもぜひ計画が実行されることを期待したいものです。

「泰緬鉄道」に乗る機会があれば、ぜひカンチャナプリで下車してほしいもの。わたしは何の情報ももたずに訪れた際、カンチャナプリにある戦没者墓地に立つ大量の十字架に衝撃を受けました。日本人が戦争中にやった事実から目を背けてはいけないのです。

まずは歴史を知ること。歴史的事実を知ること、これはすべての前提となるものです。



<ブログ内関連記事>

映画 『英国王のスピーチ』(The King's Speech) を見て思う、人の上に立つ人の責任と重圧、そしてありのままの現実を受け入れる勇気
・・おなじくコリン・ファース主演の実在の人物を演じた映画


「泰緬鉄道」

書評 『泰緬鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争-』(吉川利治、雄山閣、2011 初版: 1994 同文館)-タイ側の機密公文書から明らかにされた「泰緬鉄道」の全貌
・・「泰緬鉄道」の全貌を知るための必読書

『新京成電鉄-駅と電車の半世紀-』(白土貞夫=編著、彩流社、2012)で、「戦後史」を振り返る
・・「鉄道連隊は、工兵隊のなかでも、占領地における鉄道の敷設と破壊を専門にした部隊で、かの有名な泰緬鉄道にもかかわっている。・・(中略)・・ このほか、中国大陸や朝鮮半島だけでなく、日本内地でも訓練を兼ねて鉄道敷設を請け負っていたという。くわしくは『本当にあった陸自鉄道部隊-知られざる第101建設隊の活躍-』(伊藤東作、光人社NF文庫、2008)を参照されたい」
・・現在の新京成電鉄は、陸軍鉄道部隊が演習に使用していた路線で、カーブの多い、しかもR(半径)のきついカーブの多い路線として、その世界ではよく知られた存在だ。もちろん線路はその当時のものではない。わたしが撮影してYouTube にアップした「日本有数のS字カーブ(新京成線)」 を参考にしていただけると幸いである


■大東亜戦争と東南アジア(=南洋)

書評 『同盟国タイと駐屯日本軍-「大東亜戦争」期の知られざる国際関係-』(吉川利治、雄山閣、2010)-密接な日タイ関係の原点は「大東亜戦争」期にある

『戦場のメリークリスマス』(1983年)の原作は 『影の獄にて』(ローレンス・ヴァン・デル・ポスト)という小説-追悼 大島渚監督
・・原作は南アフリカ出身の英国陸軍コマンド部隊大佐、ジャワ島の日本軍捕虜収容所を舞台にした日英の相克と奇妙な友情の物語

原爆記念日とローレンス・ヴァン・デル・ポストの『新月の夜』
・・原爆投下による日本降伏によって捕虜収容所から生きて出ることができたと考える著者の回想録。同様の意見を表明する元捕虜は少なくない

本の紹介 『潜行三千里』(辻 政信、毎日新聞社、1950)-インドシナに関心のある人の必読書
・・この男がシンガポールにおける華僑虐殺の主張者なのだが、この本じたいは面白い

三度目のミャンマー、三度目の正直 (5) われビルマにて大日本帝国に遭遇せり (インレー湖 ④)
・・日本軍占領下のビルマで発行されたルピー軍票に書かれた大日本帝国の文字


「加害者」と「被害者」の和解は可能か?

書評 『プリーモ・レーヴィ-アウシュヴィッツを考えぬいた作家-』(竹山博英、言叢社、2011)-トリーノに生まれ育ち、そこで死んだユダヤ系作家の生涯を日本語訳者がたどった評伝
・・アイシュヴィッツで生き残ったが戦後だいぶたってから自殺した作家

書評 『忘却に抵抗するドイツ-歴史教育から「記憶の文化」へ-』(岡 裕人、大月書店、2012)-在独22年の日本人歴史教師によるドイツ現代社会論 ・・アウシュヴィッツから半世紀以上たって、ようやくドイツでも「記憶」をつねに想起させるため、「見える形」で「記念碑」の建築を行った。「和解」には時間がかかるのである

書評 『松井石根と南京事件の真実』(早坂 隆、文春新書、2011)-「A級戦犯」として東京裁判で死刑を宣告された「悲劇の将軍」は、じつは帝国陸軍きっての中国通で日中友好論者だった
・・松井将軍は連合国による東京裁判において「A級戦犯」として処刑された

書評 『国際メディア情報戦』(高木 徹、講談社現代新書、2014)-「現代の総力戦」は「情報発信力」で自らの倫理的優位性を世界に納得させることにある ・・ユーゴスラビアの戦犯裁判のなかで浮上したのが「エスニック・クレンジング」(民族浄化)という表現。「現代の総力戦」は「情報発信力」で自らの倫理的優位性を世界に納得させることにある。「国際メガメディア」という英米系の英語メディアが牛耳るグローバル世界。「泰緬鉄道」も、日本人はこの文脈のなかでキチンと受け止めなければならない


大英帝国と東南アジア

書評 『大英帝国衰亡史』(中西輝政、PHP文庫、2004 初版単行本 1997)-「下り坂の衰退過程」にある日本をどうマネジメントしていくか「考えるヒント」を与えてくれる本
・・「植民地喪失」と大英帝国の終焉

書評 『大英帝国という経験 (興亡の世界史 ⑯)』(井野瀬久美惠、講談社、2007)-知的刺激に満ちた、読ませる「大英帝国史」である
・・大英帝国におけるスコットランド人の立場

書評 『裁かれた戦争裁判-イギリスの対日戦犯裁判』(林博史、岩波書店、1998)-「大英帝国末期」の英国にとって東南アジアにおける「BC級戦犯裁判」とは何であったのか
・・「英国主導の「BC級戦犯裁判」においては、「泰緬鉄道関連」もさることながら「華僑虐殺裁判」が中心となったという」事実

書評 『ポロ-その歴史と精神-』(森 美香、朝日新聞社、1997)-エピソード満載で、埋もれさせてしまうには惜しい本
・・英国を中心とする連合国の東南アジア司令部の最高司令官で、インドとビルマとは縁の深いマウントバッテン伯爵(=チャールズ皇太子の叔父)もまたポロ好きであった

(2014年5月13日、16日、17日 情報追加)



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2014年4月26日土曜日

映画『アクト・オブ・キリング』(デンマーク・ノルウェー・英国、2012)をみてきた(2014年4月)ー インドネシア現代史の暗部「9・30事件」を「加害者」の側から描くという方法論がもたらした成果に注目!


映画 『アクト・オブ・キリング』(The Act of Killing)という映画をみてきた。直訳すれば「殺人行為」である。もっと平たくいえば「人を殺すということ」とでもなろうか。

100万人以上も虐殺されたにもかかわらず、現在でいまだ真相が闇の中のインドネシアの「9・30事件」(1965年)を描いた映画だ。わたしは「9・30事件」そのものへの関心から見ることにしたが、それ以上の感想をもつことになった。

見ている最中から思っていたが、なんとも不思議な映画である。「9・30事件」を題材にした映画だが、事件そのものの復元ではない。当時のフィルムが使用されるわけではない。あくまでも「現在」に生きるインドネシア人たちが登場するドキュメンタリーだ。


しかも「被害者」ではない。登場するのは「加害者」である。「加害者」とはインドネシア語で「プレマン」と呼ばれるチンピラやゴロツキのことだ。

プレマン(Preman)とは英語のフリーマン(freeman)がなまったものだと登場人物が映画のなかで語っている。つまるところ「自由人」ということだが、「かたぎ」から見れば定職につかない「たかり」ということだろう。

「9・30事件」事件を利用して政治の実権を握った権力者たちは、民兵組織やプレマンたちを使うことによって、自分たちの手を直接汚さずに政治的反対派を文字通り抹殺したのである。「共産主義者」というレッテルを張って100万人も殺害したのである。「反共」という大義名分のもとに。

多民族国家インドネシアにおいては、1949年にオランダから独立した際の建国五原則である「パンチャシラ」のもと、事実上「反共」が国是となってきた。だから「プレマン」たちは国民的英雄なのだ。現役の政治家たちも、「友人」として映画にそのまま登場してホンネをしゃべっているのはそのためだ。


「9・30事件」を「加害者」の側から描くという方法論

被害者への取材が当局から禁止されたことが原因らしいが、取材をつづけるなかで加害者たちと親しくなり、かれら自身を映画に撮影し語らせるという手法が「意図せざる結果」をもたらしたのである。「瓢箪から駒」というべきか、監督にとっても関係者たちにとっても、予想外の結果をもたらしたといえよう。



その手法とは、加害者たちが、自分たちがやった過去の行為の「記憶」を再現して、自分たちが主人公として映画に「記録」するという行為。アメリカ人のジョシュア・オッペンハイマー監督は映画製作をもちかけ、加害者たちは嬉々としてこの行為に没頭する。針金で首を絞めて殺すシーンの再現などリアリティがありすぎだ。

人間は有名になりたいセレブになりたいという欲望をもっている。加害者たちもこの欲望をもっているからこそ(・・しかも大の映画好きときている)、自分たちの演技が撮影されて映画になることを喜んでいるのである。それがリアルな殺人の再現であるにもかかわらず。

「犯罪者」がみずからの「殺人行為」を再現しているのだが、見ていてなんとも不思議な感じになる。かれら自身の自己認識においては、過去を再現して「記録」することによって、「歴史」として子々孫々に伝えるという動機があるからだ。

このドキュメンタリー映画は、劇的な展開があるわけでもなく、音楽が効果的に使用されているわけでもなく淡々と進行する。最初はプレマンたちの言動に笑ってしまう。インドネシアの現在は、なんだか昭和時代の日本(?)のような感じもするので。

同じようなシーンとセリフが何度もでてくるので眠気を感じてくる。だが、映画の最後に近づくにつれて、それまで積み上げられてきたシーンが臨界点に達したとき、突如として反転する感情が呼び覚まされるのである。主人公にも、観客にも。

記憶が想起され、過去が再現され、映像という形で「見える化」され、その映像を自ら見るとき、自分たちが自らの手をくだして行った行為の意味を見つめざるを得なくなってくるのだ。

「反共」という大義名分のため、「正義」の行為によって国を救ったという物語によって合理化してきた感情にすこしでも疑問が生じてくる。そのとき、いかなる感情を抱くのか? これは映画を見て確かめてほしい。

わたし自身は「9・30事件」そのものへの関心から見ることにしたのだが、さまざまな感想をもつのは当然というべき映画なのだ。だから、「9・30事件」に関心がなくても見る価値は大いにある


「9・30事件」(1965年)とスハルト体制

「9・30事件」とは、米ソの二極ではない「第三世界」のリーダーの一人であったスカルノ大統領の政権末期に起こった一連の事件のことだ。

スカルノ派によるクーデター計画を鎮圧して政権を奪取し、スカルノ派を一掃したインドネシア陸軍のスハルト(・・のちに大統領)が、「事件の黒幕は共産党だ」として大弾圧を行ったのである。

「共産主義者」というレッテルを張られたインドネシア人だけでなく、経済の実権を握っていた華僑華人がスケープゴートとして虐殺された。100万人以上が虐殺されたとされているが、真相は不明のままである。事件の背後には、「左傾化」する傾向にあったスカルノに懸念を抱いていた米国と日本もあったとされる。

米国は民主党のケネディ大統領の時代であった。「ドミノ理論」が語られていた時代だ。東南アジアの一国が共産化すると、周辺諸国もドミノ倒しのように次から次へと共産化されていくという理論である。

東南アジア共産化の恐怖にかられていた米国は、ベトナムへの軍事介入だけではなく、インドネシアでもタイでもフィリピンでも、「反共」という共通姿勢で軍事援助と経済援助をつうじて積極関与していたのである。

わたしは「9・30事件」については大学学部時代にはじめて知った。「華僑問題特別講義」というタイトルの講義で立教大学から出講してこられていた戴國煇(タイ・クオフェイ)教授から教えていただいた。

台湾出身の教授自身も華僑・華人であり、しかも客家(はっか)であった。エスニック・マイノリティとしての華僑・華人について論じた特別講義で、当然のことながら華僑・華人が虐殺された「9・30事件」も取り上げて論じられたのであった。

マイノリティだが経済を握ってきた華僑・華人は、1997年のアジア金融危機でも再び虐殺の対象となっている。いわゆるミドルマンとして、小売業をつうじて一般民衆とは直接の接点があるためスケープゴートになりやすいのだ。

1997年当時ジャカルタに駐在していた日本人ビジネスマンたちは、この事件の前後を「戦前・戦後」と表現している。インドネシアでは、旧ポルトガル領であった東チモール独立問題でも虐殺が行われたことを思い出す必要がある。

1997年のスハルト独裁体制崩壊とその後の混乱を経て、2010年代の現在では、アジアのなかでも民主主義が確立した国の一つとされる現在のインドネシアだが、経済不安が政治不安に結びつかないという保証はない。

なお、インドネシア現代史の研究者の倉沢愛子・慶應義塾大学名誉教授がこの映画の監修を行っているので、セリフの訳語についても安心して見ていいだろう。


なぜ人は人を平気に殺せるのか?

映画 『アクト・オブ・キリング』を見ていて、おそらく誰もが思うのは、「なぜこの人たちは、平気で人を殺すことができるのだろうか?」という疑問ではないだろうか。

「大義名分」があれば人はいとも簡単に人を殺すことができるのだろうか? 「敵」とみなした人は平気で殺すことができるのだろうか? 戦闘行為中ならまだしも、戦地でもないのに民間人が民間人を平気で殺すことができるというのは・・・。

直接そういう話を聞いたことはないが、小学生の頃に読んだ「少年ジャンプ」に連載されていた反戦マンガ『はだしのゲン』には、中国大陸の戦場で「千人斬り」や「試し斬り」をやったことを武勇伝として楽しげに語る元軍人たちが登場する。小学生にはまったく理解できないセリフとシーンであったので、つよく記憶に残っている。

マレー人の世界に存在する「アモック」なのだろうか? アモックとは、突然なにかに憑かれたように無差別殺傷を起こす狂躁状態をさした精神病理学用語だが、「9・30事件」でも集団狂躁状態に陥っていたのであろうか? しかし、「プレマン」たちによる殺害は無意識状態で行われたものではないのでアモックではなさそうだ。

関東大震災後の日本では朝鮮人虐殺が、日本軍による占領後のシンガポールでは華僑虐殺が発生している。ソ連における大量粛正、冷戦崩壊後にはバルカン半島でエスニック・クレンジング(民族浄化)という名の虐殺が、アフリカ中部のルワンダでの大量虐殺事件が発生している。

そう考えると、「インドネシアだけではない。アメリカもグアンタナモで・・・」という登場人物の一人の発言に一理あると思ってしまいかねないのだが・・・

今後もどこかでまた虐殺事件が発生するだろう。それにともなって難民も発生しつづけるだろう。

ナチスドイツでユダヤ人虐殺の担当者であったアイヒマンが、命令を実行していた凡庸な役人に過ぎなかったように、人間というのはいとも簡単に虐殺の当事者となってしまう。これは通称「アイヒマン実験」という社会心理学の有名な実験によって確かめられていることである。

「大義」に流されてしまっていないか? 一瞬立ち止まって冷静になることができればいいのだが・・・。われわれが持たねばばならないのは、相手にも家族があるというイマジネーションである。もちろん、個人にできることには限界がある。だが個人の自覚以外にほかに方法があるのだろうか。

アウシュヴィッツから半世紀以上たって、ようやくドイツでも「記憶」をつねに想起させるため、「見える形」で「記念碑」の建築を行った。首都ベルリンにある、ホロコーストにおけるユダヤ人犠牲者のメモリアルパークである。墓地に似せてつくられた「記憶」のための建造物である。

「被害者」と「加害者」の真の「和解」は、時間がかかる終わりなきプロセスである。インドネシアの場合はまずは「9・30事件」の事実関係の究明を行うことからだろう。すでに時効んあおで法的な訴追が行われることはないが、それでも加害者と被害者は真の対話を行わなくてはならない。

すべてはそこから始まるのである。ルワンダすらそれを行っているのだ。







<関連サイト>

映画 『アクト・オブ・キリング』 日本版公式サイト

映画『アクト・オブ・キリング』 Facebookページ(日本語)

英語版 公式サイト

映画 『アクト・オブ・キリング』 予告編

監督: ジョシュア・オッペンハイマー
共同監督: クリスティン・シン
製作: ジョシュア・オッペンハイマー、シーネ・ビュレ・ソーレンセン
製作総指揮: エロール・モリス


インドネシアの華人虐殺930事件 「アクト・オブ・キリング」が語るもの(福島香織) (日経ビジネスオンライン、2014年4月16日)

101 East - Indonesia's Killing Fields (YouTube
・・映画 『アクト・オブ・キリング』関連でインドネシア取材を行った「アルジャジーラ」(英語版)の番組(約25分、英語字幕あり)。たしかに100万人以上という虐殺の規模からいえばカンボジアの「キリング・フィールド」に匹敵するかもしれない。カンボジアでは120~170万人が虐殺されたと推計されている

(2014年6月1日 情報追加)



<ブログ内関連記事>

書評 『ヤシガラ椀の外へ』(ベネディクト・アンダーセン、加藤剛訳、NTT出版、2009)-日本限定の自叙伝で名著 『想像の共同体』が生まれた背景を知る
・・ナショナリズム論の古典『想像の共同体』の著者は、「9・30事件」後、インドネシア入国を拒否されてきた世界的なインドネシア研究者でもある

書評 『「海洋国家」日本の戦後史』(宮城大蔵、ちくま新書、2008)-「海洋国家」日本の復活をインドネシア中心に描いた戦後日本現代史

書評 『田中角栄 封じられた資源戦略-石油、ウラン、そしてアメリカとの闘い-』(山岡淳一郎、草思社、2009)
・・この本も、タイトルには直接でてこないが、日本の戦後史とインドネシアが密接な関係にあったことも重要なテーマの一つである。 「資源を巡ってなりふり構わぬ姿勢で国益を追求してきた米国。本書でも一章をさいて詳しく描かれている、インドネシアのスハルト軍事政権誕生と米国による資源権益確保のウラ事情は、国益を賭けた国際政治の実態とはこういうものなのだ、と平和ボケした日本人に強い印象をもって迫ってくる」。 インドネシアの「9・30事件」とスハルト将軍の台頭に背後に米国と日本があったことを知るべきである

書評 『インドネシア駐在3000日 (新版)』(坂井禧夫、連合出版、2012)-インドネシアといえばこの一冊。付録のインドネシア語のことわざ200も面白い
・・現代インドネシアを日本人駐在員の目をとおして見る

GRIPS特別講演会 「インドネシア経済の展望」(2012年10月11日)に参加してきた-2025年にGDP世界第12位を目標設定しているインドネシアは、内需中心の経済構造
・・減速傾向の見えているインドネシア経済だが

書評 『怪奇映画天国アジア』(四方田犬彦、白水社、2009)-タイのあれこれ 番外編-
・・「インドネシアとマレーシアを除いたイスラーム世界では怪奇映画は製作されない、という指摘も重要だ。一元的な世界秩序に支配される世界では、怪異現象は秩序転覆的な存在となるから断固排除されなければならないからだ。 こう捉えることにより、インドネシアやマレーシアといった、イスラーム世界でありながら多神教的なバックグラウンドをもつ世界の意味も浮き彫りになる」

書評 『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘-』(松本佐保、中公新書、2013)-「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える
・・「米国にとっては正式な外交関係はなかったものの、実質的な「反共」のパートナーとしてのバチカンの存在は大きかったのだ。・・(中略)・・無神論を標榜する共産主義はまさに「近代」の産物そのものであり、政教分離を強力に推進したフランス革命以降の「近代」は、バチカンにとっては領土と影響力を失っていった苦難の時代であった」

書評 『サウンド・コントロール-「声」の支配を断ち切って-』(伊東乾、角川学芸出版、2011)-幅広く深い教養とフィールドワークによる「声によるマインドコントロール」をめぐる思考
・・「第1部 南へ 一九九四/二〇〇七年、ルワンダ 草の上の合議」に、ルワンダ虐殺裁判傍聴記がある。「声の支配の権力性」について

書評 『国の死に方』(片山杜秀、新潮新書、2012)-「非常事態に弱い国」日本を関東大震災とその後に重ね合わせながら考える
・・関東大震災における朝鮮人虐殺の理由とは?

書評 『凶悪-ある死刑囚の告発-』(「新潮45」編集部編、新潮文庫、2009)-ドストエフスキーの小説よりはるかにすごい迫力、最後まで読み切らずにはいられない
・・平気で人を殺せる人間とは?

映画 『ハンナ・アーレント』(ドイツ他、2012年)を見て考えたこと-ひさびさに岩波ホールで映画を見た 
・・凡庸な役人が実行者としてかかわったユダヤ人虐殺。『イェルサレムのアイヒマン』(1963年)で「組織と個人」の問題を考える」と「社会心理学者ミルグラムによる「アイヒマン実験」についても詳述してある

映画 『es(エス)』(ドイツ、2001)をDVDで初めてみた-1971年の「スタンフォード監獄実験」の映画化
・・1971年にアメリカのスタンフォード大学で実際に行われた「監獄実験」(Stanford prison experiment)という社会心理学の実験だという。通称「アイヒマン実験」として知られる心理実験のバリエーション。悪しきシステムはいとも簡単に人間を変えてしまうという恐ろしさ

書評 『忘却に抵抗するドイツ-歴史教育から「記憶の文化」へ-』(岡 裕人、大月書店、2012)-在独22年の日本人歴史教師によるドイツ現代社会論
・・アウシュヴィッツから半世紀以上たって、ようやくドイツでも「記憶」をつねに想起させるため、「見える形」で「記念碑」の建築を行った

フィリピン映画 『イメルダ』 をみる(2009年10月4日)
・・フィリピンの独裁者マルコスの配偶者であった「女帝」イメルダ」

映画 『王妃マルゴ』(フランス・イタリア・ドイツ、1994)-「サン・バルテルミの虐殺」(1572年)前後の「宗教戦争」時代のフランスを描いた歴史ドラマ
・・16世紀の「宗教戦争」と大虐殺

(2014年8月10日、2015年11月7日 情報追加)


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