売れないマンガ家が、アルバイトで作業員になって働く。ここまではとくに珍しいことではないかもしれない。
だが、この『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記 』というマンガの作者は、2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原発事故をキッカケに、被災地で働きたいという思いを抱く。どうせ働くなら被災地の役に立ちたい、しかも現地を見てみたいという好奇心に促されてのものである。
そういう思いを抱いてから、じっさいに福島第一原発、すなわちこのマンガのタイトルでもある通称「いちえふ」(=1F: Fukushima 1 の略)内部の作業に関与できるまで、なんと1年もかかったという。
この経緯もまたマンガにされているが、なぜ1年間もかかったのかということ自体がネタになる。ハローワークでの求人、そして日本の建設業界における何次にもわたる下請けという業界構造がいかなるものかを具体的に知ることができるからだ。
このマンガは、結果としてマンガによるルポルタージュとなっている。だが、鎌田慧氏がその代表であるようなルポライターやジャーナリストが、身分を偽って作業員として潜入し、現場労働を行って得た情報をもとに現状を告発するという類の内容ではない。
好奇心の強いマンガ家が、みずからも一作業員として廃炉作業に従事することで体験し、観察した事実を、こと細かにマンガとして再現してみせたものだ。文字通りのフィールドワーク(=現場作業)であり、結果として参与観察したことになる。現場作業員の世界を描いた仕事マンガでもある。
ディテールまで詳細に描き込まれているので、とばし読みするのはじつにもったいない。じっくりと絵も文字もすべて読んでいくと、廃炉作業という現場の作業内容と、作業員たちの日常の生態が浮かび上がってくる。
廃炉作業の現場は、基本的には建設現場や工事現場における解体作業である。きわめて男くさい現場である。だが、そこが放射能濃度のきわめて高い汚染地帯であるということが、フツーの作業現場との大きな違いである。
主人公はマンガ家自身であり、一人称による語りが一貫している。取材をベースにしてイマジネーションをふくらませた作品ではなく、あくまでも作者自身の観察に基づいたものだ。
たとえば、現場における防護マスクの装着感や耐え難い蒸し暑さ、ゴム手にたまる膨大な量の汗など、じっさいの体験者ならではの実感は妙にリアルである。このほかの描写もじつに実感のこもったものである。読者は五感を刺激されるだろう。
日本全国から集まってきた作業員たち、福島に生きてきた被災者でもある作業員たち。それぞれバックグラウンドの異なる男たちが「いちえふ」という現場で交錯することになる。これが作者が「いちえふ」で作業に従事していた2012年当時の日本の現実である。
マスコミやSNSをつうじて流布した情報が、限りなく都市伝説(?)に近いことが、このマンガをつうじて理解することができるはずだ。現場ならでは一次情報とはこういうものだ。
この作品はマンガだが、ルポルタージュやノンフィクション作品の棚においておくべきものだろう。2014年秋に続刊が出版されるという。楽しみだ。
目 次
第零話 「ご安全に!」
第一話 「収束していません」
第二話 「鼻が痒い」
第三話 「2011年のハローワーク」
第四話 「福島サマータイムブルース 前編」
第五話 「福島サマータイムブルース 後編」
第六話 「はじめての1F」
描き下ろし漫画
著者プロフィール
竜田一人(たつたかずと)
職を転々としたあと、福島第一原発で作業員として働く。福島第一原発で作業員として働いた様子を描いた『いちえふ ~福島第一原子力発電所案内記~』が第34回MANGA OPENの大賞を受賞した。(出版社サイトより)
PS 『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記』 の第2巻は2015年2月に発売された。
第2巻では、第1巻のつづきで2012年当時の作業の状況と、ふたたび2014年に「いちえふ」に戻ってからの状況、一回目の作業からマンガ発表当時の裏事情などが描かれている。
目 次
第七話 原発無宿
第八話 劇団いちえふ
第九話 線量役者
第十話 N-1経由1F行き
第十一話 ギターを持った作業員
第十二話 ヒーローインタビュー
第十三話 1F指輪物語
第十四話 (Get Your Kicks On) Route 6 !
第十五話 アイル・ビー・バック
番外編 取り出し作業の注意事項
番外編2 男の背中
同時進行のルポルタージュとして、ぜひ今後も長く「いちえふ」と福島についてのリポートをつづけていってほしいと思う。(2015年6月6日 記す)。
<関連サイト>
いちえふ(講談社モーニング 公式サイト)
<ブログ内関連記事>
■原発事故関連
鎮魂・吉田昌郎所長-『死の淵を見た男-吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日-』(門田隆将、PHP、2012)で「現場」での闘いを共にする
書評 『官邸から見た原発事故の真実-これから始まる真の危機-』(田坂広志、光文社新書、2012)-「危機管理」(クライシス・マネジメント)の教科書・事例編
書評 『原発事故はなぜくりかえすのか』(高木仁三郎、岩波新書、2000)-「市民科学者」の最後のメッセージ。悪夢が現実となったいま本書を読む意味は大きい
・・原子力産業草創期にエンジニアとしてかかわった著者の軌跡
スリーマイル島「原発事故」から 32年のきょう(2011年3月28日)、『原子炉時限爆弾-大地震におびえる日本列島-』(広瀬隆、ダイヤモンド社、2010) を読む
「チェルノブイリ原発事故」から 25年のきょう(2011年4月26日)、アンドレイ・タルコスフキー監督最後の作品 『サクリファイス』(1986)を回想する
書評 『原発と権力-戦後から辿る支配者の系譜-』(山岡淳一郎、ちくま新書、2011)-「敗戦国日本」の政治経済史が手に取るように見えてくる
書評 『津波と原発』(佐野眞一、講談社、2011)-「戦後」は完全に終わったのだ!
■「仕事マンガ」関連
書評 『仕事マンガ!-52作品から学ぶキャリアデザイン-』(梅崎 修、ナカニシヤ出版、2011)-映画や小説ではなくなぜ「仕事マンガ」にヒントがあるのか?
『シブすぎ技術に男泣き!-ものづくり日本の技術者を追ったコミックエッセイ-』(見ル野栄司、中経出版、2010)-いやあ、それにしても実にシブいマンガだ!
・・ものづくり現場を舞台にしたガテン系マンガ
働くということは人生にとってどういう意味を もつのか?-『働きマン』 ①~④(安野モヨコ、講談社、2004~2007)
書評 『サラリーマン漫画の戦後史』(真実一郎、洋泉社新書y、2010)-その時代のマンガに自己投影して読める、読者一人一人にとっての「自分史」
『重版出来!①』(松田奈緒子、小学館、2013)は、面白くて読めば元気になるマンガだ!
■参与観察法
書評 『村から工場へ-東南アジア女性の近代化経験-』(平井京之介、NTT出版、2011)-タイ北部の工業団地でのフィールドワークの記録が面白い
書評 『搾取される若者たち-バイク便ライダーは見た!-』(阿部真大、集英社新書、2006)-バイク便ライダーとして参与観察したフィールドワークによる労働社会学
マンガ 『アル中病棟(失踪日記2)』(吾妻ひでお、イーストプレス、2013)は、図らずもアル中病棟で参与観察型のフィールドワークを行うことになったマンガ家によるノンフィクション
マンガ 『プロデューサーになりたい』(磯山晶、講談社、1995)-人気TVドラマを生み出してきた現役プロデューサーがみずから描いた仕事マンガ
(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)
end