2014年12月23日火曜日

書評『大倉喜八郎の豪快なる生涯 』(砂川幸雄、草思社文庫、2012)ー 渋沢栄一の盟友であった明治時代の大実業家を悪しき左翼史観から解放する


「死の商人」のレッテルを貼られて汚名を着せられてきた明治時代の富豪・大倉喜八郎(おおくら・きはちうろう 1837~1928)の名誉回復の書である。大倉喜八郎は、ホテルオークラやゼネコンの大成建設など、現在につながる数々の企業を設立した大実業家で大富豪であった。

「死の商人」のレッテルが貼られたのは、現在よりもはるかにひどい「格差社会」だった明治時代、社会主義者たちが金持ちを攻撃するために、たしかな裏付けもなしにウワサ話をもとに誹謗中傷したことに端を発している。

わたし自身、高校時代に父親の書棚にあった岡倉古志郎氏の『死の商人』(岩波新書、1951 現在は新日本新書 2001)を読んで、英国のザハロフやドイツのクルップとならんで日本の大倉喜八郎の名前を知った。このように、「死の商人」というレッテルで記憶している人は少なくないのではないだろうか。ちなみに岡倉古志郎氏は、岡倉天心の孫である。

大倉喜八郎が「死の商人」とされたのは、幕末の戊辰戦争において薩長側にも幕府側にも鉄砲を売ったからである。このほか、日清・日露戦争で石ころの入った缶詰や、不良品の軍靴を戦地に送ったとかいうウワサで誹謗中傷され続けたのであった。

だが、幕府は鉄砲を買っても代金を支払わなかったのに対し、薩長側はきちんと代金を払っていたのである。どちらかを選ぶといえば、商売人としては当然の行為ではないか! また、石の入った缶詰は別の業者の話であり、しかも故意によるものではなかったらしい。まさに濡れ衣である。

じっさいの大倉喜八郎は「死の商人」でもなんでもなく、機を見るに敏で、進取の気性に富んだリスクテーカーであり、次から次へと新たな分野で事業を興したシリアル・アントレプルナーであり、みずからの力量によって大富豪となった人物であっただけでなく、稼いだカネは一代限り(!)として、惜しみなく国家と社会のために費やした豪快な人物であったのだ。

もし大倉喜八郎を誹謗しつづけるのであれば、それは生涯にわたっての「盟友」であった渋沢栄一も否定することになる。それは論理的帰結というものだ。

大倉喜八郎は渋沢栄一とは3歳違いの年上という同世代人で、しかも90歳を越える長寿をまっとうしている。身分制度に対する激しい怒りから18歳で故郷の新発田を出奔したこと、本格的な学問を修めたわけではないが豊かな素養の持ち主であったことなど、大倉喜八郎と渋沢栄一には共通点も多い。ともに裕福な家に生まれ、大倉喜八郎は「商」の出身で男爵になり、渋沢栄一は「農」の出身で子爵になった。

渋沢栄一はいうまでもなく「日本資本主義の父」である。ビジネスをつうじて日本の近代化を推進したプロモーターであり、「官尊民卑」打破のスローガンと「民」主導の社会構築を、「義利一致」の哲学のもとに財界リーダーとして指導しつづけた人である。大倉喜八郎は、そんな渋沢栄一の盟友だったのである。

(大倉喜八郎 wikipediaより)

大倉喜八郎は、渋沢栄一とともに帝国ホテルや帝国劇場など設立しているだけでなく、実業家の地位をあげるために渋沢栄一が東京高商(・・のちの東京商大=一橋大学)の支援者であったのと同様、東京経済大学の前身である大倉商業学校の創設者にもなっている。

たしかに大倉喜八郎は、根っからの商売人であり事業家であった点が渋沢栄一とはやや異なるのは個性の違いというべきだろう。第一銀行を司令塔とした金融中心の事業モデルを実行した渋沢栄一や、親しい友人で銀行を中核とした安田善次郎とは異なり、みずから銀行をもとうとはしなかった大倉喜八郎旺盛な事業欲と大胆な取り組みを行いながらも、「営利第一」「投機せず」「銀行もたず」の用心深さは生涯一貫していた。

また、「腹心の部下」をもたずにさまざまな人材を集めた渋沢栄一とは異なり、学卒者がアタマでっかりなことを批判しながらも、優秀な帝大卒の「ナンバー2」をもった大倉喜八郎は、事業哲学とマネジメントスタイルには違いがあった。

こんな大倉喜八郎という「大人物」は、まさに戦後左翼史観の「犠牲者」であったとしかいいようがない。創立者であるのにかかわらず、東京経済大学でもかつては顕彰されていなかったというからひどい話ではないか。

大倉喜八郎は、いまこそ名誉回復が必要な実業家というべきだ。近代ビジネスを推進した実業家として「民」の立場を貫いた大倉喜八郎は、特定の政治家や軍人と結びついた政商ではなく、御用商人でもなかった。あくまで独立独歩の精神で、行動する際もお供を一人だけ連れて飛び回っていたという。当時の冷え込んだ日中関係のなかにおいて中国と満洲に多大な投資を行い、中国の要人たちから絶大な信頼を受けていた実業家であった。

「豪快なる生涯」とタイトルにはあるが、著者の文体そのものは冷静に事実関係を記述することに徹しており、けっして豪快なものではない。だが、大倉喜八郎自身が14歳から死の直前の90歳まで詠みつづけてきたという狂歌をふんだんに交えた記述は、大倉喜八郎の「人物」を浮かぶ上がらせる格好の素材になっている。

こんな豪快な「人物」がかつて日本にはいたのだということを、もっともっと多くの日本人は知るべきなのだ。





目 次

まえがき
1. 大倉尾根をはじめ、各地に残る大倉の名-赤石の山のうてなに万歳を
2. 戊辰戦争での命がけの冒険談-命にかけてあやふかりけり
3. 丁稚から独立、乾物屋、そして鉄砲商へ-やがてなりたき男一匹
4. 朝鮮に救援米を運んだ帰りのとんだ遭難-なみなみならぬ玄海の灘
5. 電気、ガス、緑茶からビールまで。四十代の大活躍-四十五十は鼻垂れ小僧
6. マンモス・ゼネコン日本土木会社の設立-世と共に進めや進め
7. 日清・日露の戦争と台湾・朝鮮への一番乗り-大陸の汽車尽くる処此のさとは
8. 石炭、電力から製靴、製油までの事業と北海道の開拓-まめかすとともに絞らむ智恵ぶくろ
9. 向島での大宴会と石ころ缶詰事件に見る喜八郎の人となり-いたづらに幾春秋をむかふしま
10. 福祉事業、学校設立など、巨万の富を社会に還元-松のあるじはけふかはるとも
11. 面目躍如の帝劇経営とライトにまかせた帝国ホテル-光悦の筆は能ある鷹の峯
12. 率先して満洲に興した最初の事業・本渓湖製鉄所-本渓湖燃ゆる石ありくろがねもあり
13. 山陽製鉄所で純銑鉄を あくまで貫いた実業家精神-宮じまの海に鳥居のタチツテト
14. 仕事は良心と一致しなければ役に立たぬ-余生は国へまいら千載
15. 中国の要人との親しい関係はいかに築かれたか-親しみはかくあらまし唐大和
文庫版あとがき
参考文献・引用資料

著者プロフィール
砂川幸雄(すながわ・ゆきお)
1936年、北海道釧路生まれ。東京教育大学文学部卒。コピーライターとして広告代理店に勤務後、建築雑誌を編集し、三十代半ばで独立。フリーの編集者として出版の企画、編集、単行本の執筆などに携わる。2013年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)。



<関連サイト>

創立者、大倉喜八郎の生涯 (大成建設140周年記念サイト)
・・豊富な情報がビジュアルを駆使してプレゼンされている。このサイトはぜひ見るべき

東京経済大学 ルーツ 大倉喜八郎 (東京経済大学 公式サイト)



<ブログ内関連記事>

渋沢栄一関連

書評 『渋沢栄一 上下』(鹿島茂、文春文庫、2013 初版単行本 2010)-19世紀フランスというキーワードで "日本資本主義の父" 渋沢栄一を読み解いた評伝

書評 『渋沢栄一-日本を創った実業人-』 (東京商工会議所=編、講談社+α文庫、2008)-日本の「近代化」をビジネス面で支えた財界リーダーとしての渋沢栄一と東京商工会議所について知る

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『論語と算盤』(渋沢栄一、角川ソフィア文庫、2008 初版単行本 1916)は、タイトルに引きずられずに虚心坦懐に読んでみよう!


中国に深くコミットした日本人実業家

特別展「孫文と日本の友人たち-革命を支援した梅屋庄吉たち-」にいってきた-日活の創業者の一人でもあった実業家・梅屋庄吉の「陰徳」を知るべし
・・大倉喜八郎は孫文が大総統に就任した中華民国臨時政府に個人で安田銀行から300万円借金して資金を貸し付けたことは案外と知られていない。『大倉喜八郎の豪快な生涯』(P.272~273)

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財閥形成者と実業家たち

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書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論

(2014年12月31日、2015年1月4日、2016年8月6日 情報追加)




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