(『九條武子 歌集と無憂華』 のばら社版 より)
「聖夜」という「仏教讃歌」がある。もちろん「きよしこの夜」で始まるクリスマス・キャロルが念頭にあるのだろう。英語の「聖夜」(Silent Night)は、Silent Night, Holy Night ・・・で始まる曲である。
「仏教賛歌」の「聖夜」は、歌人で「大正三美人」の一人と呼ばれていた九條武子(1887~1928)の詩に、「シャボン玉」(作詞:野口雨情)などの童謡や「ゴンドラの唄」(作詞:吉井勇)のなどの歌謡曲で知られる中山晋平(1887~1952)が曲をつけたもの。
明治維新に際して吹き荒れた廃仏毀釈の嵐によって大きなダメージを受けた日本仏教は、再建を果たすなかで「近代化=西欧化」のなかでキリスト教の影響を大幅に取り入れている。とくに日本最大の宗派である浄土真宗は、日本仏教界を先導して「仏教近代化」を推進した。
(九條武子 『近代美人伝』(長谷川時雨)より)
九條武子は、浄土真宗の西本願寺の大谷家に生まれ、「大正三美人」のもう一人とされた同じく歌人の柳原白蓮とともに華族の出身者であった。日本の近代化は、エリート層による「上からの近代化」が主導しているが、仏教界においてもエリート主導の西欧化が行われたのである。
この「聖夜」も、布教(=伝道)にあたってキリスト教の影響を大胆に取り入れていたケースの一つとして考えるべきだろう。
浄土真宗は、早い時期から日本人の海外移民に向けての布教にも力を入れており、そういうった経験がフィードバックされてきたのかもしれない。築地本願寺には、1970年に設置されたという立派なパイプオルガンが本堂にあるが、そういった流れのなかにあるのだろう。
ちなみに、浄土宗から登場した近代の聖者・山崎弁栄(やまざき・べんねい 1859~1920)もまた、アコーディオンを引きながら布教に従事していたらしい。アコーディオンにせよオルガンにせよ、本来の仏教音楽ではなく、西洋音楽を演奏するためのものである。
音楽にかんしては、西欧近代化のなかで日本人の感覚そのものも不可逆的な変化を被ったことに触れておかねばならない。日本の唱歌の旋律の多くは、プロテスタントの讃美歌から生まれたものなのである。仏教もまた現代に生きる以上、音楽にかんするこの流れのなかから出ることはもはや不可能である。
「聖夜」(Holy Night)とは、いうまでもなく「きよしこの夜」ではじまるキリスト教クリスマス・キャロル Silent Night からきているのだろう。だが、九條武子の「聖夜」は、キリスト教の「聖夜」とは違って「聖母子」を歌ったものではない。クリスマスとも関係ない。
「聖夜」の歌詞を引用しておこう。
聖夜 (九條武子)
星の夜ぞらの うつくしさ
たれかは知るや 天(あめ)のなぞ
無数のひとみ かゞやけば
歓喜になごむ わがこゝろ
ガンジス河の まさごより
あまたおはする ほとけ達
夜(よる)ひる つねにまもらすと
きくに和(なご)める わがこゝろ
(*)2014年12月24日の時点ではそう書いていたが、まる9年後の本日(2023年12月24日)にネット検索したところ、「仏教讃歌「聖夜」作詞/九条武子 作曲/中山晋平 真宗大谷派合唱連盟制作 大西貴浩(釋琴声)の仏教讃歌と日本の歌」という動画が見つかった。参考のために掲載しておこう。すばらしい声、曲もすばらしい。(2023年12月24日 記す)
仏教聖歌の「聖夜」は、九條武子歌文集の『無憂華』に収録されている。九條武子が亡くなる一年前に出した歌文集である。
(『九條武子 歌集と無憂華』 のばら社版)
九條武子の兄であった大谷光瑞(おおたに・こうずい)はシルクロードの西域探検をプロモートした人物として有名だが、建築家の伊東忠太にエキゾチックなインド風建築で築地本願寺の設計を依頼している。
東京の築地本願寺の境内の片隅に九條武子の歌碑がある。文字がかすれて読みにくいのだが、幸いなことに歌詞を記した看板が立っているので内容がわかる。きわめて宗教的な内容の歌である。
九條武子は、文学史に名を残した歌人というよりも、「仏教歌人」として記憶されるべき存在かもしれない。
そんな九條武子が遺した「聖夜」という七五調の詩を味わってみたいものである。
PS 『無憂華』の原本と「聖夜」
東京の築地本願寺の境内の片隅に九條武子の歌碑がある。文字がかすれて読みにくいのだが、幸いなことに歌詞を記した看板が立っているので内容がわかる。きわめて宗教的な内容の歌である。
おほいなる
もののちからに
ひかれゆく
わがあしあとの
おぼつかなしや
(九條武子夫人歌碑の左隣にある案内板 築地本願寺境内)
九條武子は、文学史に名を残した歌人というよりも、「仏教歌人」として記憶されるべき存在かもしれない。
そんな九條武子が遺した「聖夜」という七五調の詩を味わってみたいものである。
PS 『無憂華』の原本と「聖夜」
その後、2022年になってから『無憂華』(むゆうげ)の原本を入手した。昭和2年7月5日初版。入手したのは、昭和3年7月5日の169版(!)である。たった1年で169刷である!
いかに当時のベストセラーであったかがわかる。おそらく、著者の九條武子が昭和3年(1928年)2月7日に41歳で亡くなったこともあるのだろう。まさに佳人薄命というべきか。
(本人自身が孔雀を好きだったことがわかる表紙絵)
昭和2年末までは35版だが、昭和3年、ことに著者の逝去直後の2月7日の46版から、7月5日まで169版という驚異的な増刷である。著名人の死がその著書の販売を促進することはよくあることだ。
発行所は實業之日本社。定價壱圓。著者検印に「九條」の朱印が押されているが、著者が死後のことなので、本人によるものではないだろう。
(著者自身による「無憂華の花」による装幀)
『無憂華』の原本は、345ページの箱入りの単行本で、装幀などすべて著者本人によるもの。著者自身による自画像、自作の歌を書いた色紙、無憂樹の花(上掲)のほか、写真が7葉おさめられている。
収録されているのは、短いエッセイを集め、もっともボリュームの多い「無憂華」(感想)を冒頭に、「幻の花」(和歌)、「帰命」(感想)、「ちぎれ雲」(感想)、「蔓草」(和歌)、「囁き」(和歌)、「洛北の秋」(戯曲)である。
(自作の「おほいなる・・」の自筆による色紙)
色紙には、先に引用した自作の「おほいなるもののちからにひかれゆくわがあしあとのおぼつかなしや」の歌が自筆で書かれている。九條武子は、国文学者で歌人の佐佐木信綱の門下であった。
「聖夜」はエッセイ集の「無憂華」に収録されている。ただし、いつ、いかなる目的でつくられたのかまではわからない。
(「聖夜」は110ページに収録されているが、説明はまったくない)
九條武子の歌としてよく知られている「百人(ももたり)のわれにそしりの火はふるもひとりの人の涙にぞ足る」は、三回忌を記念して出版された歌集『白孔雀』の冒頭におさめられている。
『白孔雀』は、歌人の吉井勇の編集によるもの。与謝野晶子が「「白孔雀」序歌」として5首寄せている。「光りつつ去りぬ真白き孔雀こそかの流星のたぐいなりけれ」など5首である。
(2023年12月24日 聖夜の日に記す)
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(2014年12月28日、2023年12月24日 情報追加)
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