「企画展 万年筆の生活誌」(国立歴史民俗博物館)に行ってきた(2016年5月1日)。舶来の万年筆が近代の日本人にとってもった意味を、モノをつうじてみた「生活誌」として捉えた企画展だ。
近代以前の日本人はいうまでもなく筆で墨書していたわけだが、明治時代になってから舶来の文房具として万年筆が導入されることになる。江戸時代には携行用の文房具として筆と墨壺を組み合わせた矢立(やたて)があったわけだが、万年筆にとってかわられたわけだ。
万年筆は英語では fountain pen であり、直訳すれば「泉筆」。だが、それを「万年筆」という印象的なネーミングで日本語化したからこそ、日本人に長く愛されてきたということもあるのだろう。
万年筆は輸入品が中心で、いまでもドイツのモンブランなどが中心だが、国産化も進展した。わたしにとって関心があるのは、国産万年筆の製造にかんする側面だ。この点にかんしては、おおいに得るものがあったので、以下、企画展で得た知識をご紹介しよう。
まずは、万年筆の製造にかんしては、日本古来からつづく木地師(きじし)の轆轤(ろくろ)をつかった製造技術が応用されたという点。轆轤は、回転させることによって陶器など造形する器械として現在でも使用されているが、もともとは山中でお椀や盆、こけし人形などの製作を行うために使用されてきたものだ。
木地師の祖として守り神として崇拝されてきたのが惟喬親王(これたかのみこ)。天皇の第一王子として生まれたが皇位を継げなかった惟喬親王は、実在の人物でありながらさまざまな伝説を帯びた存在である。『伊勢物語』には、主人公とおぼしき在原業平が、雪深い山の庵(いおり)に惟喬親王を訪れる話がある。
そのため轆轤をつかう職人の木地師がつくる「親王講」には、昭和時代まで万年筆つくりの職人も参加していたという。民俗学のテーマとして、ひじょうに興味深い話である。
そして、万年筆の装飾としては、日本を代表する伝統工芸の蒔絵が施されるようになる。蒔絵とは漆器に金粉を使って模様を描いたもので、高級工芸品といて江戸時代にはオランダ東インド会社をつうじてヨーロッパにも輸出されていた。マリー=アントワネットが蒔絵の一大コレクションをもっていたことも知られている。
蒔絵で装飾された「蒔絵万年筆」もまた、高級贈答品として世界で高く評価されてきた。今回の企画展でも蒔絵万年筆が展示されており、おおいに楽しませていただいた。
この企画展は、どちらかというと、日本人にとっての万年筆がもった意味を、もっぱら使う側に焦点をあてたものだが、販売と流通、製造と輸出、そして贈り物などさまざまな側面から取り上げている。
日常生活で万年筆をつかうことはほとんどないが、近代日本と万年筆というテーマは歴史として押さえておくべきものだと思った次第だ。
『伊勢物語』を21世紀に読む意味
「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-」(東洋文庫ミュージアム)にいってきた-カトリック殉教劇における細川ガラシャ ・・日本の蒔絵をこよなく愛していたマリー=アントワネット。この趣味は母親のハプスブルク帝国の女帝マリア・テレジアゆずりのものであった
『歴史のなかの鉄炮伝来-種子島から戊辰戦争まで-』(国立歴史民俗学博物館、2006)は、鉄砲伝来以降の歴史を知るうえでじつに貴重なレファレンス資料集である
国立歴史民俗博物館は常設展示が面白い!-城下町佐倉を歩き回る ①
・・国立歴史民俗博物館の魅力
(2012年7月3日発売の拙著です)
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