2015年のフランスの「シャルリ・エブド事件」をきっかけに、ヨーロッパ社会における「イスラム問題」が、もはや解決不能の域まで達していることが誰の目にも明らかになった。それから、すでに5年以上たっている。
積ん読のままだった『イスラム化するヨーロッパ』(三井美奈、新潮新書、2015)を読んでみた。2015年の「シャルリ・エブド事件」の衝撃を受けて出版されたものだ。
事件が起こった時点で読売新聞のパリ支局長だった著者による現地レポートである。ナマの声を拾い上げることで、できるだけ問題を公平に見ようとする姿勢が好ましい。
■ヨーロッパ社会におけるムスリム移民をフィールドワークしてきた研究者の結論
前座につづけて『イスラームからヨーロッパをみる-社会の深層で何が起きているのか』(内藤正典、岩波新書、2020)を読んだ。昨年7月に出版されたものだ。こちらが今回のメインである。
内藤正典氏は、過去40年にわたって、ヨーロッパにおけるムスリム移民を、ドイツを中心とした西欧各国のトルコ人社会を中心にフィールドワークによって研究してきた研究者である。
内藤氏の視点が興味深いのは、イスラム教徒の生活世界から、現代ヨーロッパ社会を逆照射するものだからだ。ヨーロッパ社会をみる独自な「視点」の1つとして、じつに得がたいものである。
本書は、2020年という現時点における総括ともいうべき内容だ。「共生」は破綻したというのがその結論である。
「おわりに 共生破綻への半世紀」という最終章のタイトルから、著者のため息が聞こえてくるような気もするが、これが「現実」なのだ。その意味では、研究者としての態度は公平だし、良心的である。
■「イスラム問題」にかんしては、米国社会よりも西欧社会のほうがはるかに深刻
「移民問題」への異議申し立てもその理由の1つとなって、2016年には英国は国民の意思で「ブレクジット」(EU離脱)を決定、おなじ年に選出されたトランプ元大統領が、物議を醸すヘイトスピーチを連発したことでヘイトクライムが誘発され、BLM(Black Lives Matter) などの運動が米国内で激化したことは記憶に新しい。
最近ではアジア人に対するヘイトクライムも急増しており、ALM(Asian Lives Matter)も叫ばれるようになっている。不景気が続くと不満のはけ口は少数派に集中するようになる。多文化の「共生」は、そう簡単なことではない。
だが、「イスラム問題」にかんしては、米国社会よりも西欧社会のほうがはるかに深刻なのだ。 米国の黒人差別もアジア人差別も、宗教に由来するものではないのに対して、西欧社会のイスラム教徒問題は宗教に由来するものだからだ。
聖俗分離が原則の近代以降のキリスト教と、聖俗一致が原則のイスラム教との根本的違いに起因する問題だ。世俗化されている西欧では、この違いが先鋭化するが、宗教国家としての性格の強い米国では、かならずしもそうではないという違いでもある。
2020年以降は「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のため、ヨーロッパ社会における「イスラム問題」が見えにくくなっているが、けっして問題が解決したわけではない。
そもそもイスラーム世界の混乱をつくりだしたのは19世紀以降の西欧であり、第2次世界大戦後の労働不足から積極的に導入したのがイスラム世界からの移民であったが、そのツケを払ったというにしては、あまりにも大きすぎる代償というべきではないだろうか。
「共生」というのは美しい響きのことばだが、現実世界ではキレイ事ではすまされない。今後の日本社会のあり方を考えるにあたって、先行事例となっている西欧社会の状況は、「他山の石」としてつぶさに見つめるべきである。
そのためにも、『イスラームからヨーロッパをみる』は、好著というべきであろう。
目 次
はじめに
序章 ヨーロッパのムスリム世界
1章 女性の被り物論争1 ムスリム女性の被り物をめぐって2 政教分離と被り物3 ヨーロッパ各国での状況2章 シリア戦争と難民1 難民危機2 難民問題の原点3 国際社会と難民3章 トルコという存在1 難民を受け入れた国、トルコ2 トルコのEU加盟交渉は、なぜ途絶したのか3 トルコの政治状況から読み解く4章 イスラーム世界の混迷1 「イスラーム国」とは何だったのか?2 アメリカによる戦争3 ヨーロッパと「イスラーム国」5章 なぜ共生できないのか1 ヨーロッパ諸国の政治的な変動2 ドイツ さまざまな立場からのイスラームへの対応3 イスラームとヨーロッパおわりに 共生破綻への半世紀あとがき
著者プロフィール内藤正典(ないとう・まさのり)1956年生まれ。79年東京大学教養学部教養学科(科学史・科学哲学分科)卒業。1982年同大学院理学系研究科地理学専門課程中退、博士(社会学・一橋大学)。一橋大学大学院社会学研究科教授を経て、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授、一橋大学名誉教授。専門分野は現代イスラーム地域研究。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
■内藤正典氏の著作で「共生」破綻への道のりを知る
いずれも、その時点でのフィールドワークにもとづいた研究成果であり、私も大いに学ばせていただいてきた。
第2章 ヨーロッパ・共存と差別のダブルスタンダード1. イスラームとヨーロッパ宗教から民族へヨーロッパにいかに対抗するかイスラームと西欧システムの相克植民地支配の反省がないヨーロッパヨーロッパに渡ったムスリム国によって移民政策が異なるヨーロッパ2. イギリス-多文化主義のもとでの差別民族文化に「寛容」な連合王国失業と階級差別ムスリム移民への「分割統治」「寛容な精神」の影3. オランダ-相互不干渉が生んだ「耐えられない隣人」コミュニティごとの権利を認める「柱状化」社会に定着しているリベラリズム定着外国人権利相互理解が進まない「柱状化」敵意をもつようになった市民映画監督の死EU加盟反対にまで発展4. フランス-コミュニティ形成を認めない社会「博愛」の意味ごろつきバンリュウ「嫌なところ」原則と実態の乖離フランス化できなかった移民公的領域における非宗教性スカーフの着用禁止世俗化は近代化かスカーフが「これみよがし」なのかアファーマティブ・アクションができない国家原則とイスラーム法の対立ごろつきから信仰の道へ
「目次」をみればわかるように、同じヨーロッパといってもドイツ型、オランダ型、フランス型の対応はそれぞれ異なる。「同化」を求めるドイツ(・・政教分離を徹底するフランスもまた個人レベルでの「同化」を求める)、多文化主義の立場に立つオランダと英国。
序章 ヨーロッパ移民社会と文明の相克1章 内と外を隔てる壁とはなにか-ドイツ1. リトル・イスタンブルの人びと2. 移民たちにとってのヨーロッパ3. 隣人としてのムスリムへのまなざし2章 多文化主義の光と影―オランダ1. 世界都市に生きるムスリム2. 寛容とはなにか3. ムスリムはヨーロッパに何を見たか3章 隣人から見た「自由・平等・博愛」―フランス1. なぜ「郊外」は嫌われるのか2. 啓蒙と同化のあいだ-踏絵としての世俗主義3. 「ヨーロッパ」とはいったい何であったか4章 ヨーロッパとイスラームの共生―文明の「力」を自覚することはできるか1. イスラーム世界の現状認識とジハード2. ヨーロッパは何を誤認したのかあとがき
Ⅱ 何がイスラムの覚醒をもたらしたのか第3章 「民族」が共存を阻むドイツ1. 統合か、帰国か-外国人政策の基底2. 血統主義が阻む「統合」3. 閉塞的なエスニシティの状況4. 差別に対抗する力としてのイスラム第4章 フランスのムスリムか、フランス的ムスリムか1. 郊外からイスラムへ2. 何が排斥されるのか3. ライシテとの衝突4. もはや「個人の統合」は成り立たない第5章 多文化共生とみえざる差別・オランダ1. 文化の列柱2. 外国人労働者からエスニック・マイノリティへ3. エスニック・マイノリティから移民へ4. オランダは移民のユートピアか5. 病理への批判としてのイスラム復興
<関連サイト>
西欧に対する「イスラムの怒り」とは?内藤正典・同志社大学教授に聞く(前編) (東洋経済オンライン、2015年1月26日)
・・「日本には「ライシテ」に合う訳語がないので、とりあえず「世俗主義」と訳しているが、単なる「政教分離」ではない。「政教分離」は「政治と宗教を切り離しなさい」程度の意味だ。しかし、「ライシテ」は個人が公の場で宗教を持ち出すことも禁じている。」
仏紙襲撃事件は、強烈な普遍主義同士の衝突 鹿島茂氏が読み解く仏紙襲撃事件(前編) (東洋経済オンライン、2015年01月21日)
「反イスラム」が高まれば法規制の議論も鹿島茂氏が読み解く仏紙襲撃事件(後編) (東洋経済オンライン、2015年01月23日)
<ブログ内関連記事>
書評 『本音化するヨーロッパ-裏切られた統合の理想』(三好範英、幻冬舎新書、2018)-いまヨーロッパで進行中の状況を理解するヒント
飯山陽氏の著書3冊を「逆回し」で一気読み-『イスラム教再考』(扶桑社新書、2021)・『イスラム2.0』(河出新書、2019)・『イスラム教の論理』(新潮新書、2018)
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