2018年5月16日水曜日

司馬遼太郎の『花神』と吉村昭の『ふぉん・しいほるとの娘』(新潮文庫、2007)を読み比べてみる-歴史小説と「歴史其儘」(そのまま)について


小説家・吉村昭の『ふぉん・しいほるとの娘』(新潮文庫、2007)の下巻をようやく読了。下巻だけで660ページ超だが興味深く読めた。初版は1978年なので、すでに40年前の作品になる。 

オランダ商館の医師として来日したドイツ人シーボルトと日本人妻・滝(たき)とのあいだにできたのが稲(いね)。この歴史小説の楠本イネである。幕末に産科医として活躍した女医である。 

楠本イネについては、司馬遼太郎の『花神』(1969年)にも登場して、村田蔵六(=大村益次郎)とのロマンスならざるロマンス(?)が描かれていたが、読んでいてなんだか作り物で眉唾めいたものを感じていたので、吉村昭の『ふぉん・しいほるとの娘』と読み比べてみようと思った次第。 

吉村昭のほうはディテールの描写が精密であり、事実を淡々と述べていく手法は好ましく感じられる。主人公は楠本イネであり、村田蔵六はエピソード的に登場するに過ぎない。村田蔵六が彼女の人生において占める割合はかなり小さい。 

もちろん、司馬遼太郎も吉村昭も、あくまでも歴史小説家であって歴史家ではないので、事実関係について書いた説明的な文章はさておき、会話にかんしては創作によるものが大半であろう。ある意味、会話こそ小説家の腕の見せ所だから。 

ということは、つまるところ、司馬遼太郎は論外にしても(・・司馬遼太郎は、はっきりいって作りすぎの創作!)、吉村昭の描く楠本イネでさえ、たとえ限りなく実像に近いとしても、小説である以上、あくまでも虚像であり、文字通りそのままとして受け取るわけにはいかないだろうということだ。 

とはいっても、森鴎外のいう「歴史其儘(そのまま)」がどこまで可能かどうかも、正直なところ難しいものがある。過去の人物にかんしては、資料的制約があることはいうまでもなく、使用可能な複数の資料をつきあわせて事実を取捨選択するプロセスで、無意識のうちに作者の解釈が入り込んでくるからだ。つまり作品は、あくまでも再構成なのである。 

シーボルトの娘であった楠本イネについては、まだまだその他の文献を見ていく必要がありそうだ。といっても、メインの探求テーマではないので、あくまでも気が向いたときにということで。





<関連サイト>

歴史其儘と歴史離れ(森鴎外、青空文庫)




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■吉村昭の歴史小説


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