2023年10月5日木曜日

中学生時代の愛読書だった『人間の歴史 上下』(イリーン/セガール、袋一平訳、太田大八=絵、岩波書店、1971)は、プラトンよりも デモクリトスを重視する「唯物論」に貫かれたソ連時代に書かれた異色の「人類史」



「人類史」といえば、近年ではベストセラーになったイスラエルの歴史家で思想家のユヴァル・ハラリによる『サピエンス全史 上下 ー 文明の構造と人類の幸福』(河出書房新社、2016)という本が想起されることだろう。

だが、自分の場合ば、なによりもまず中学生時代に愛読していた『人間の歴史 上下』(岩波書店、初版1971年)という本である。 

箱入りのハードカバーの単行本で2冊組。「愛蔵版」である。その後、岩波少年文庫にも収録されたようだが、そちらは見ていない。

著者は、ソ連の科学読み物の作家であるイリーンとセガール、ソ連で出版された子ども向けの「人類史」の本である。

岩波書店による書籍紹介には次のようにある。

人間の祖先は力弱い生きものであったが、手を働かせることを発見し、道具を使い、協力して働くことを覚えて以来、今日のような「巨人」にまで発展してきた。人間の歴史の一大ドラマを若い読者に語る。

もともとのタイトルは「人間はいかにして巨人になったか」。ロシア語の原題は、Как человек стал великаном, 1946 (совм. с Е. Сегал; история развития человечества со времен палеолита до Возрождения)。著者は作家のゴーリキーから激励されたという。

歴史家特有のバイアスがある表現だが、「先史時代」から始まって、さまざまな紆余曲折を経ながらも、人類は偉大な存在に進化したという内容だ。

ボリュームが増えすぎたためか、1600年のジョルダーノ・ブルーノの刑死で終わる。ドメニコ会修道士で、思想に殉じたルネサンス期のイタリア人哲学者である。この名前は、わたしのなかに深く刻み込まれた。

基本的に進化と進歩が基調にあり、しかも「唯物論」で貫かれた内容のユニークな本だ。現代から振り返れば、「異色の人類史」ということになるだろう。

ソ連時代の出版物で、子ども向けに書かれたロシア語による出版物なので、当然のことながらロシア史にかんする記述が多い

私はこの本で、現在では比較的知られるようになった「タタールのくびき」や、日本の世界史の教科書にはでてこない「第三のローマ」「モノマフの冠」といった、ロシア史特有の概念を知った。

いまでこそポピュラー・サイエンスものといえば英語圏の翻訳が中心になっているが、かつてはソ連の科学読み物も多く日本で紹介されていた。講談社ブルーバックスや現代教養文庫にも、ソ連の科学者や作家による物理や化学にかんする解説本が収録されていたはずだ。わたしもかなり読んでいる。

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さて、『人間の歴史』についてだが、手垢で真っ黒になるほど読み込んでいたのは「先史時代」を扱った「上巻」のほうだが、「下巻」も繰り返し読んでいるうちに、プラトンよりもデモクリトスのほうに親しみを感じるようになっていた。

プラトンにかんしては、もっぱらエジプトで発達した幾何学に影響されたことが述べられていたと記憶しているが、重点はデモクリトスの原子論に置かれているのである。つまり、観念論(=イデア論)ではなく唯物論。自然科学思考の強い理科少年には、唯物論はすんなりと納得するものがある。

大学時代になってから知ったが、デモクリトスはもともと哲学専攻であったマルクスが博士論文で取り上げたテーマでもある。いわゆる「初期マルクス」の思想である。

開架式の図書館に並べられていた『マルクス・エンゲルス全集』に『 デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学との一般的な差異』というタイトルがあった。手に取って開いてみると、活字が二段組みでしかも分厚い本であり、さすがに読もうとは気は起きなかった。

デモクリトスは、唯物主義の世界観においては重要な存在なのである。

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著者のイリー
ン/セガールは夫婦。夫のイリーンはペンネーム。本名は、イリヤ・ヤコブレヴィチ・マルシャーク(1895~1953)である。

現在はウクライナのドネツク州バフムート生まれ。2022年に始まった「ウクライナ戦争」で、いまなお侵略者のロシア軍とウクライナ軍の攻防戦が行われている土地だ。最初はケミカル・エンジニアとしてキャリアを開始している。

(M. イリーン Wikipediaより)


『時計の歴史』や『書物の歴史』など、子ども向けの啓蒙書を多数執筆しており、日本語にも翻訳されたものもある。スターリン時代を生き抜いた人である。

共著者の妻はエレーナ・アレクサンドロヴナ・セガール(1905~1980)。セガールという名字でわかるようにユダヤ系。セガールは英語圏ではシーガル(Segal)として流通している。

サンクトペテルブルクで裕福な家庭に生まれたが、そのためにロシア革命後の内戦時代、両親は娘のエレーナを親戚に預けてラトビアのリガに避難した。だが、両親はその地でナチスによで死亡しているという。再婚相手のイリーンとはレニングラード(=サンクトペテルブルク)で出会ったようだ。

こういった事実は、『人間の歴史』の日本語版には書かれていない。インターネットの発達によって、はじめて知ることができた。


(エレーナ・セガール Wikipediaより)


夫のイリーンの兄は『森は生きている』で有名なマルシャークである。サムイル・ヤコブレヴィチ・マルシャーク。イリーンの本名もマルシャークであり、ユダヤ系である。

『サピエンス全史』のユヴァル・ハラリはユダヤ系のイスラエル人である。

「人類史」を書きたがるのは、ユダヤ人の特性なのだろうか? ただ単に知識階層だからという理由だけではないような気がする。





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・・「人類史」を書きたがるユダヤ人。『人間の歴史』のイリーン/セガールもユダヤ系

書評 『1417年、その一冊がすべてを変えた』(スティーヴン・グリーンブラット、河野純治訳、柏書房、2012)-きわめて大きな変化は、きわめて小さな偶然の出来事が出発点にある
・・唯物論が「再発見」されたのは、埋もれていたルクレティウスの写本がルネサンス時代に見つかって以降のこと。19世紀以降に唱えられた原子論でデモクリトスも復活

映画「百合子、ダスヴィダーニヤ」(ユーロスペース)をみてきた-ロシア文学者・湯浅芳子という生き方
・・湯浅芳子によるマルシャークの『森は生きている』の日本語訳は、いまでも読み継がれている


・・ウクライナにはかって大規模なユダヤ人コミュニティが存在した


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