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2022年7月6日水曜日

書評『ガリツィアのユダヤ人ーポーランド人とウクライナ人のはざまで』(野村真理、人文書院、2008)-複雑な歴史をもつウクライナ西部をユダヤ人を軸に見る


 
『ガリツィアのユダヤ人ーポーランド人とウクライナ人のはざまで』(野村真理、人文書院、2008)読了。テーマへの関心から読むつもりで購入してから14年もたってしまった。  

2022年2月24日に始まったウクライナ戦争で、ウクライナ西部の都市「リヴィウ」の名前が日本でもよく言及されるようになった。

だが、ウクライナ語の「リヴィウ」は、かつてポーランド語で「ルヴフ」ソ連時代にはロシア語で「リヴォフ」と呼ばれていたのである。複雑な歴史を背負っているのである。 

そんなウクライナ西部の都市リヴィウを舞台にして、ウクライナ人の視点でも、ポーランド人の視点でもなく、いまはほぼ消滅してしまったユダヤ人を軸に歴史をみていくことで、ポーランド人とウクライナ人の一筋縄ではいかない複雑な関係を知ることができる。中東欧のユダヤ史をテーマに研究してきた著者ならではといえよう。


■「ウクライナ西部」はかつて「東ガリツィア」であった 

ウクライナという国は、大きくわけて西部と中央部と東部の3つにわけることができる。 

2014年以来、戦闘地域となっており、いままさに激戦状態がつづいているのがロシアと国境を接している東部である。そしてドニプロ川(=ドニエプル川)流域の中央部、そしてポーランドやベラルーシと国境を接しているのが西部である。 

18世紀以降に話を限定すれば、現在のウクライナ西部は、かつては「東ガリツィア」と呼ばれていた。この地域はハプスブルク帝国(=オーストリア帝国)のあらたな支配地域として組み入れられた土地であった。 

(ハプスブルク帝国時代。黄色で塗りつぶされた地域が東ガリツィア、斜線は西ガリツィア Wikipediaより)

この地域の住民は、大きくわけてマジョリティではあったが農民が大半のウクライナ人(・・当時はルテニア人と呼ばれていた)で、行政を担い都市部に集中してた少数のポーランド人、そして中世以来のミドルマンとして都市と農村との仲介者の役割をになっていたユダヤ人であった。異なる民族が混在して共存していた地域なのである。 

「民族問題」が激化したのは、ハプスブルク帝国が崩壊した1918年である。第1次世界大戦後に、中東欧は激変の渦に巻き込まれることになる。 

ウクライナ人は独立を実現したが、すぐにポーランドによって占領され独立は潰える。ロシア革命後の「ロシア内戦」のなか、ボルシェヴィキの赤軍に占領され、ロシア化が進むことになった。

独ソ戦においては、ウクライナの民族主義者はドイツ側について独立を回復しようとしたが、ドイツによって占領され、ドイツが敗退するとふたたびソ連の支配下に戻ることに。だが、ソ連の枠組みのなかでウクライナ共和国となる。

第2次世界大戦が終結した時点で、ポーランドとウクライナの国境線は変更され、ポーランド内のウクライナ人はウクライナへ、ウクライナ内のポーランド人は移動することになる。いわゆる「住民交換」である。

「住民交換」といえば、ギリシア独立後のギリシアとトルコ英国の植民地状態から分離独立した際のインドとパキスタンがなどが知られている。ウクライナとポーランドにかんしては、比較的スムーズに行われた前者のケースに類似しているとよさそうだ。


(第2次世界大戦後に線引きされたポーランド領。灰色部分がソ連に編入された現在のウクライナ西部 Wikipediaより)



その結果、ウクライナもポーランドも、それぞれが「単一民族国家」として固定化されることになった。

そして、ソ連崩壊によってウクライナは1991年にようやく独立を達成したわけである。現在、すでに独立から30年を過ぎている。


■そして「東ガリツィア」のユダヤ人社会は消滅した

こう書いていくだけで、じつに複雑なことがわかるだろう。だが、このプロセスのなかで消えていったのがユダヤ人であることに注目しなくてはならない。 

ポーランド人からも、ウクライナ人の双方から距離をとって、「中立」の立場を取らざるをえなかったユダヤ人だが、互いに対立しあっていたポーランド人とウクライナ人の双方から敵視され、さらには占領者となったナチスドイツによる「絶滅政策」によってその大半が殺戮され、この「東ガリツィア」すなわち現在のウクライナ西部からは消えていったのである(*)。

(*)2022年現在の大統領ゼレンスキー氏はユダヤ系だが、ウクライナ東部の出身で、もともとロシア語が母語の人である。
 
だからこそ、ウクライナ西部の歴史を記述する際には、この本の副題にある「ポーランド人とウクライナ人のはざま」で翻弄された地域であることに注目しなくてはならないのだ。 

ロシアによる軍事侵攻が始まってから、ウクライナからの難民がポーランドで受け入れられているが、そんな複雑な歴史をアタマのなかに入れておく必要がある。だが、本書のメインテーマである「ガリツィアのユダヤ人」は、この地域からは消えてしまった。その意味について考えなくてはならないのである。 

論文を再編集して単行本化されたものだが、歴史研究というものがアクチュアルなものとなりうることを示した好著である。逆にいえば、アクチュアルな状況を意識しない歴史研究に意味はない

もちろん、それは困難なタスクではあるのだが、ただしい歴史認識をもつための不断の努力はつづけていかなくてはならない。ニセ情報に惑わされないために。 





目 次
序 
第1部 ポ・リンーガリツィア・ユダヤ人社会の形成
 第1章 貴族の天国・ユダヤ人の楽園・農民の地獄
 第2章 オーストラリア領ガリツィアの誕生
 第3章 ヨーゼフ改革とガリツィアのユダヤ人
 第4章 ヨーゼフ没後のガリツィアのユダヤ人
第2部 両大戦間期東ガリツィアのポーランド人・ユダヤ人・ウクライナ人
 第1章 1918年ルヴフ
 第2章 ポーランド人とユダヤ人
 第3章 ウクライナ人とユダヤ人
第3部 失われた世界ーガリツィア・ユダヤ人社会の消滅
 第1章 独ソ戦前夜の OUN の戦略(*OUN=ウクライナ民族主義者組織)
 第2章 1941年ルヴフ
 第3章 ルヴフのユダヤ人社会の消滅


著者プロフィール
野村真理(のむら・まり)
1953年生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程退学。金沢大学名誉教授。一橋大学にて博士(社会学)取得。2003年日本学士院賞受賞。専攻は社会思想史、西洋史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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