2021年1月20日水曜日

『トゥキディデス 戦史』を読了(2021年1月)ー 2020年代のいま進行する事態と重ねあわせたくなる「アテネ民主制の崩壊」は、アテネとスパルタの覇権争いのなかで発生した

 

今年2021年の年始のことだが、トゥキディデスの『戦史』をようやく読了した。久保正彰訳の岩波文庫で全3巻。かなりのボリュームである。年末年始の課題の1つをクリアしことになる。  

古代ギリシアの「歴史の父」と称されるヘロドトスの『歴史』をおなじく岩波文庫の3巻本で読了したのが、いまから40数年も前の古代ギリシアにはまっていた中学生時代のことなので、ようやく肩の荷が下りたという気持ちだ。古典的名著であり、腰を据えてかからないと、日本語訳でもそう簡単に読めるというわけではない。なんと、積ん読歴40数年であった。 

『戦史』で扱っているのは、古代ギリシアの都市国家アテネ(・・正確にいえばアテーナイだが、通例のアテネとしておく)とスパルタの27年抗争「ペロポネソス戦争」の最初の20年である。両雄並び立たずというが、新興国アテネの台頭に不安を感じた軍事国家スパルタが、どちらも望まないのに戦争に巻き込まれていく姿を、同時代に生きた著者が、戦争当事者双方と利害関係国の情報を精力的に収集し、ファクトベースの記述を進めていく。 

(プーシュキン博物館所蔵の頭像 Wikipediaより)

圧巻は、岩波文庫版の下巻で描かれる、増長するアテネによる遠方のシケリア(現在のシチリア)遠征と、有力都市国家シラクサを相手にした壊滅的敗北と敗走である。

指導者層による希望的観測にたった見通しの甘さと、戦争を熱狂的に支持した市民たち。その真逆ともいうべき敗戦と敗走。行き詰まるような描写がつづく。 遠征の失敗によって国家的危機に瀕したアテネで民主制が崩壊していく様子が手に取るように描かれており、2020年現在の世界情勢を見ているかのような印象さえ受けるのだ。 

「歴史の父」といえば一般にヘロドトスを指しているが、戦争を事実関係に即して時系列で記述し、しかも戦争の構造的要因を考察した点において、トゥキディデスに軍配があがる。これは実際に読んでみた確認できたことだ。 

トゥキディデスは、戦争と政治の関係だけでなく、戦争と経済の関係についての考察も深い。軍資金と補給(ロジスティクス)の重要性都市国家内部の支配構造と利害対立が交戦国につけいるスキを生み出す脆弱性にかんする考察など、まさに古典的名著というにふさわしい。 


「トゥキディデスの罠」と覇権争い

「トゥキディデスの罠」(The Thucydides Trap)というフレーズがある。米国の政治学者グレアム・アリソン教授が提唱しているものだ。『米中戦争前夜-新旧両大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ-』(ダイヤモンド社、2017)で詳しく解説されている。 

「トゥキディデスの罠」とは、チャレンジャーとしての新興国(=古代ギリシアの場合はアテネ)が示す「野心」に対して、チャレンジを受ける側の覇権国(=スパルタ)が感じる「不安」がエスカレートするに従い、双方に生み出されるワナのことだ。 

このワナにはまった結果、覇権国交替が戦争によって決着されたケースが過去に多数発生している。端的にいって米中対立の構造を「トゥキディデスの罠」で解説してみせたのが、この議論のキモである。 

歴史を振り返れば、新興国アテネと覇権国スパルタの抗争は、新興国中国と覇権国米国の関係に対比されるだけでなく、その結末さえ予想させるものがある。長年にわたる抗争で、拮抗する両国はともに消耗し尽くし、共倒れになる可能性すら否定できないという結末だ。そして、第3の新興国が台頭する。

古代ギリシアにおいては、アテネもスパルタもともに疲弊し、この状況のなか「漁夫の利」を得たマケドニアが台頭という流れになる。その後、マケドニアからアレクサンドロス大王が誕生する。

米ソ冷戦時代には米国のパワーが勝っていたために、ソ連が自壊したことで冷戦は終わった。そして第3勢力としての中国が勃興することになっった。

そして、今回の覇権争いの結果、米中双方が疲弊して共倒れになったと仮定すると、漁夫の利を得るのは誰になるのだろうか? 

(地図を上下(=南北)逆さまにすると『戦史』の世界がよく見えてくる。真ん中がギリシア、右上がシチリア) 


■古代ギリシアと日本の共通点と相違点

トゥキディデスの『戦史』を現代に引きつけて読むと、覇権国の米国人アリソン教授のような読み方にもなろう。だが、政治学の立場を離れて、1つの作品として読んでいると、日本人読者として感じるものがある。 

どういうことかというと、古代ギリシアは日本とよく似ているという感想をあらためてもつことだ。基本的にセム的な一神教が支配する以前の古代ギリシア世界は、日本とおなじく多神教世界であり、感覚的によく似ているものを感じるのだ。古代ギリシアの精神世界は、神道世界のようなものだからだ。「神託」だけでなく、何度も言及される「清め」の重要性。

とはいえ、大きな違いがあるのは、本居宣長がいうように「言挙げせずを良し」とする日本と違って、古代ギリシアでは「弁論」が大きなチカラをもっていたという点だ。 

トゥキディデスは『戦史』において、戦争とその関連情報のファクトベースの時系列による詳細な記述だけでなく、戦争の構造を浮かび上がらせるために「演説」(スピーチ)を多数引用している。 

演説のもつロゴスとパトスで相手を説得し、共同体(=都市国家)としての政策コースが決定されていく。この姿勢は、古代ギリシアから古代ローマに受け継がれ、西欧世界の根幹をつくりあげているのである。民主主義の根幹に、このスピーチのもつコトバのチカラがあることは、何度も繰り返しておくべきであろう。コトバへの不信感が強い現在の日本においては、とくに強調すべき事項だ。


以上、こんな感想をつれづれと書き連ねてみたが、やはり古典というものは、そのものを読む意味があるなと強く感じた次第。たとえ翻訳であっても、著者の息吹をそのまま感じることができるからだ。 




トゥーキュディデース(紀元前460年頃~ 紀元前395年)。
ヘーロドトス(生没年不詳:前490年~前480年の間に生まれ、前430年から前420年の間に、60歳前後で死亡したとするのが一般的)


訳者プロフィール
久保 正彰 (くぼ まさあき)
1930年10月10日生まれ。西洋古典学者。広島県呉市出身。戦後、日本人として初めてハーバード大学を卒業し、日本における西洋古典学の地平を切り拓いた久保正彰教授。東京大に西洋古典学の研究室をつくり、世界的な拠点に育て上げた。
18歳で日本の成蹊高校を中退し、単身アメリカに渡り、フィリップス=アカデミーに編入。1953年、ハーバード大学卒業(古典語学・古代インド語学専攻)、1957年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。
1959年東京大学教養学部助手、1965年成蹊大学文学部助教授、1967年東京大学教養学部助教授、1975年に文学部教授、文学部長(1985~87年)、1991年退官し名誉教授、東北芸術工科大学初代学長(1992-98年)・名誉教授。
1992年12月に、日本学士院会員に選任、人文科学部門の第1部長・幹事を経て、2007年10月に第24代院長に就任(任期は3年で、2期を限度とする)。2013年任期満了し退任。2014年7月に松尾浩也の後任で学士会理事長に就いた(2016年6月に退任、後任は佐々木毅)。なお日本学士院第1部長在任中に「皇室典範に関する有識者会議」メンバーも務めた。
著訳書多数。(Wikipedia情報などをもとにした)。


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