2021年2月10日水曜日

書評『ロヒンギャ危機 ー「民族浄化」の真相』(中西嘉宏、中公新書、2021)ー 2021年2月1日に発生したクーデター直前のミャンマー国内の政治情勢を知るための好著

 
先日2月1日に勃発したクーデターによって混乱が続いているミャンマー。この問題は、メディアでの取り上げも比較的多いので、関心をもって見守っている人も少なくないだろう。 

もちろん、わたしもその一人だが、この機会につい最近でたばかりの『ロヒンギャ危機-「民族浄化」の真相』(中西嘉宏、中公新書、2021)を読んでみた。ミャンマーが国際的に非難が浴びせられた、2017年の少数民族ロヒンギャの虐殺と難民問題の解明を試みた内容だ。 

出版日は2021年1月25日、そのすぐあとの2月1日にクーデターが勃発したことになる。結果としてこの本は、「ロヒンギャ危機」をつうじてクーデター勃発前のミャンマーの政治状況を知ることができる好著となった。 

イスラーム教徒でかつ「無国籍」状態におかれてきたロヒンギャの問題は、ミャンマーの国内問題であり、かつ国際問題である。 

ビルマ人仏教徒が8割以上を占める多民族国家ミャンマーにおける「少数民族問題」である。ナショナリズムは国民統合にために必要であるが、ナショナリズムには正負の両面がある。 ナショナリズムの「負の側面」である「排除の論理」が働いていることが背景にある。

 国際問題となっているのは、隣国バングラデシュとの関係であり(・・だがミャンマーもバングラデシュもロヒンギャに国籍を与えるつもりはない)、かつ虐殺問題と難民問題が国際法廷に持ち出されたからでもある。人権問題であり、かつイスラーム世界の問題でもあるからだ。 

さかのぼれば英国植民地時代の「分断統治策」に、さらにはベンガル湾に面したラカイン州が独立王国でなくなった18世紀まで遡るべき問題であるが、英国からの独立の際に求心力となった「反英ナショナリズム」が、「民族・言語・仏教」という形でその核となり、これが「反イスラーム」という「排除の論理」につながっていく。

ロヒンギャ危機の詳細は、専門研究者としての立場からファクトベースの公平な記述がなされているので、本文に直接あたっていただきたいが、国軍主導の「民政移管」によって実現した「言論の自由」が、FBを中心にしたSNSをつうじて「反イスラーム」を主張する排他的な「仏教ナショナリズム」の言説を拡散することになった残念な現実に注目する必要がある。

これはフェイクニュースが横行する民主主義国家すべてに共通する問題だが、とくに民主化プロセスの途上にある発展途上国ではきわめて大きな問題だ。軍政時代の情報統制が解除された結果、押さえが効かなくなったという側面もあるからだ。

そんな状況のなかで発生した2017年の「ロヒンギャ危機」だ。それ以降のミャンマー情勢を見ていくと、言論の自由が経済活性化をもたらしながらも、一方では政治的に難しい舵取りを要求される微妙な状況をもたらすことになったことがよくわかるのである。 

著者はこの状況をさして、アウンサンスーチー氏による「受け身のリーダーシップ」と表現しているが、憲法の規定上、依然として権力を握っている国軍に配慮する一方、排他的な「仏教ナショナリズム」にも流されないという姿勢を貫いていたことに注意を払うべきだろう。日本の一部ジャーナストが安全地帯からあげつらうような、政治感覚を欠いた人物ではないことがわかる。 

ロヒンギャ問題にかんして国際的な非難の的となり、「墜ちた偶像」扱いされたにもかかわらず、なぜアウンサンスーチー氏が「民族浄化」を否定し続けたのか? 

その理由について知ることは、欧米社会のように白黒ハッキリさせることがかならずしも適切ではないこと、そして日本政府の立場の評価にもつながってくることだろう。

もちろん、虐殺は肯定されるものではないが、文脈をまったく無視して非難するだけでは、まったく問題解決にはつながらない。それは、今回のクーデターについても言えることだ。

外国からの介入を極度に嫌うミャンマー国軍のメンタリティを考えれば、民主派と国軍の双方にパイプをもっている日本の役割はきわめて大きいのである。 

本書は、2017年の「ロヒンギャ危機」を中心にして、「民政移管」以降のミャンマーの政治情勢を知るうえで、まととない好著である。報告書のような文体だが、読めばかならず得るものがあるはずだ。





目 次 
はしがき
序章 難民危機の発生 
第1章 国民の他者-ラカインのムスリムはなぜ無国籍になったのか 
第2章 国家による排除-軍事政権下の弾圧と難民流出 
第3章 民主化の罠-自由がもたらした宗教対立 
第4章 襲撃と掃討作戦-いったい何が起きたのか 
第5章 ジェノサイド疑惑の国際政治-ミャンマー包囲網の形成とその限界 
終章 危機の行方、日本の役割
あとがき
主要参考文献
関連年表


著者プロフィール
中西嘉宏(なかにし・よしひろ)
1977年、兵庫県生まれ。2001年、東北大学法学部卒業。2007年、京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科より博士(地域研究)取得。日本貿易振興機構・アジア経済研究所研究員などを経て、2013年より京都大学東南アジア研究所准教授、2017年、同大学東南アジア地域研究研究所(組織統合により改称)准教授。著書『軍政ビルマの権力構造―ネー・ウィン体制下の国家と軍隊 1962~1988』(京都大学学術出版会、2009年、第26回大平正芳記念賞)ほか。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<関連サイト>

・・ミャンマー人のメンタリティとともに、国軍のロジックを知ることが問題構造を理解するカギになる。「27年間にわたりミャンマーの取材を続けているフォトジャーナリストの宇田有三氏」の見たミャンマー

あのとき、現場で ロヒンギャ問題を追う(Asahi Shimbun GLOBE+)
・・写真がナマナマしい

・・「ミャンマーの行方を考えるとき、とりわけその動向が注目されるのがアラカン軍だ。アラカン軍は西部の少数民族ラカインを中心に自治を求め、近年ミャンマー政府・軍と最も激しく争ってきた武装組織で、2019年だけで国軍兵士3562人を殺害したといわれる。そのため、国軍はアラカン軍を「テロ組織」に指定し、2019年には大規模な掃討作戦を行なうなど、徹底した鎮圧で臨んできた。
ところが、国軍はクーデタ後の3月11日、アラカン軍を「テロ組織」リストから除外した。そこにはアラカン軍が抗議デモに協力することを防ぐ目的があるとみられる。そのためか、他の少数民族が相次いで抗議デモ支持を表明するなか、アラカン軍は沈黙を保っている。
ここで抗議デモを支持せず、それでも最終的に事実上の軍事政権が崩壊すれば、アラカン軍は新体制のもとで立場を失う。しかし、逆に抗議デモを支持して、それでも最終的に国軍が勝てば、アラカン軍がようやく手に入れた「合法的組織」の立場はフイになる。アラカン軍はこのタイミングで動くことのプラスとマイナスを天秤にかけ、情勢を見極めようとしているとみられる。
今後、仮にアラカン軍が抗議デモ支持に踏み切れば、国軍の旗色は怪しくなり、ミャンマー情勢が大きく動く公算が大きい。とはいえ、それは同時に、ミャンマー全土が内乱に陥ることをも意味し、難民の流出などの形でこれまで以上に周辺地域に影響が拡大することにもなる。いくつもの矛盾の果てに発生したミャンマー危機は、最大の山場に向かいつつあるといえるだろう。」

(2021年2月14日 項目新設)
(2021年4月2日 情報追加)


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