『自伝 わたくしの少年時代』(田中角栄、講談社、1973)という本を古書で入手。半世紀前に小中学生向けに書かれたものだが、読み出したらあまりにも面白いので、一気読みしてしまった。
首相経験者で、これほど「自伝」が読ませるものになっているのは、敗戦後の日本にはこの人以外にはいないだろう。首相になった55歳のときのこの「自伝」は、「苦闘の半生を描く感動の自伝」と帯にあるが、まさにそのとおりである。
タイトルには「少年時代」とあるが、敗戦後の日本で29歳で衆議院議員に当選するまでの「青年時代」まで描かれている。
「どもり」に苦しんだ子ども時代のこともさることながら、数学が得意なかれは上京して苦学して専門学校で学び、19歳で独立して建築事務所を立ち上げ、奮闘する。その青年時代が興味深いのだ。
読んでいて思ったのは、米国の建国の父フランクリンや大富豪アンドリュー・カーネギーの『自伝』である。田中角栄の場合は、けっして貧農出身ではないが「独学」の人であることは共通している。子ども時代からの苦労や、理研の大河内博士など、人との出会いが人生を切り開くカギになったことも共通している。
2人の妹を結核で亡くし、本人も軍隊時代に満州で罹患した結核で死線をさまよって九死に一生を得ている。苦労したのはカネだけではないのだ。そういった数々の苦労を経てきた人だからこそ、地元だけでなく、国民すべての福祉を考えた政策を実現した原動力となったのであろう。
田中角栄というと「金権政治」という連想が想起されるだろうが、選挙を根幹に据えた民主主義である以上、カネとは切っても切れない関係にある。だから、その件だけをもって断罪するのはナンセンスというべきだ。もちろん、「日本列島改造論」が国土の乱開発を引き起こした責任は重い。
もちろん、こういった話はこの「自伝」には書かれていない。「今太閤」ともてはやされた時代の出版物だからだ。
一. 人を信ぜよ一. 自信をもって行動せよ一. 責任は絶対に回避しない
この3つを信条として掲げている田中角栄の「自伝」は、「自己啓発書」そのものではないか!
首相経験者の逮捕という事態がなかったら、この「自伝」も現在に至るまで読み継がれたものになっていたかもしれない。このような面白い「自伝」が埋もれたままになっているのは、じつに惜しいことである。
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・・「新潟県の柏崎に工場を建設したことが、田中角栄との縁をつくることになる。田中角栄は理研の土建関係で財をなし、大河内正敏のことは一生感謝し続けたという。」
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