『エネルギー危機の深層 ー ロシア・ウクライナ戦争と石油ガス資源の未来 』(原田大輔、ちくま新書、2023)という本を読んだ。ことし9月にでたばかりである。
「ウクライナ戦争」を石油と天然ガスという資源エネルギーという観点から考察し、広い意味での資源エネルギー情勢の変化の方向性について考えた本だ。
■2022年、ロシアはソ連以来の長年の「信頼」を失った
著者は、2022年という年を、「ロシアが長年にわたって築いてきた信頼」をみずから失った年であるとする。「信頼」とは国際エネルギー市場におけるものだ。「長年」というのはソ連時代を含めてのことだ。
つまり、ロシアによるウクライナ侵略に対して、西側先進国を中心とする制裁が実行されているが、それへの対抗策として、ロシアは資源エネルギーの世界における国際的商慣行と契約による合意を一方的に反故にしたのである。
冷戦下のソ連時代でさえ、あえて犯さなかったタブーをみずから踏み込んだのである。この意味はきわめて大きい。いったん失った信頼を回復するのはきわめてむずかしい。
しかも、天然ガスにかんしては、パイプラインでつながっていた欧州市場を失ってしまったのである。すでにロシア以外のプレイヤーによる代替化が進展しており、ウクライナ戦争が終結したあとに市場を完全に取り戻すことはおろか、部分的に取り戻すことも容易ではないだろう。
ロシアの経済と財政は、資源エネルギーに大きく依存している。その二本柱が原油と天然ガスである。埋蔵量からいっても、生産量からいっても、世界有数の供給国である。
ただし、おなじ資源とはいっても、原油と天然ガスには相違点がある。
供給余力のあるプレイヤー、すなわちサウジアラビアなどスイング・プロデューサーが存在する原油とは違って、天然ガスにかんしてはロシアが最大の供給者で、供給余力が現状ではほとんどない。カタールなどの生産が増強されるのは2025年以降のこととされる。
■「国際パイプライン」についての理解を深めることが日本人には重要
原油もそうだが、天然ガスもロシアからヨーロッパ諸国に供給されてきた。物流はもっぱら輸送インフラとしてのパイプラインによるものである。
このガスパイプラインについての理解を深めることが、資源エネルギーの観点からみた国際情勢理解のカギになる。
島国の日本では、国境をまたいで海外と結んだパイプラインは存在しない。
原油もガスも、日本ではタンカーなど特殊仕様の運搬船によって供給国から港湾に輸送している。国内では、港湾から空港までジェット燃料のパイプライン、天然ガスの生産地から消費地までのパイプラインなどが敷設されているが、国境をまたいだパイプラインはない。
電力網もつながっておらず国内完結型である。つながっているのは、海底ケーブルを利用した通信ネットワークだけだ。
つまり、日本は、国境をまたいだ国際河川も国際パイプラインもない、きわめて例外的な国の一つある。
ところが、日本のような島国以外の「大陸国」では、原油でもガスでも、国境をまたいだパイプラインによる輸送が当たり前なのである。まずは、このパイプラインについての理解を深めることが、日本人にとってはきわめて重要だろう。本書はそのための基本的情報を与えてくれる。
資源国のロシアからヨーロッパ各国につながるパイプラインには、何者かによって破壊工作が行われた「ノルドストリーム1」と「ノルドストリーム2」のほか、西側に向けて複数のパイプラインが敷設されている。おもに中国市場むけの東向けのパイプラインもある。
ロシアから欧州につながっているガスパイプラインの1つが、ウクライナ経由であることが問題を生み出したのである。
ソ連時代に構築されたパイプラインのネットワークだが、ソ連解体にあたってロシアとウクライナが別の主権国家になったことで問題が発生している。
ウクライナがガス代を払わない。ロシアがガスを止める。ウクライナがガスを取り出すと、ヨーロッパへの供給が減少する。そんな小競り合いが長年にわたってつづいてきた。本書によってあらためて整理しておくことが必要だ。
また、本書ではじめて知ったが、黒海における石油天然ガス開発もまた問題を生み出す原因になったようだ。黒海は水深1000メートル強だが、外界との導通がほとんどなく、石油ガス田が形成されており、2020年に石油ガス田があることが発見されている。
黒海の南半分はトルコが領有しているが、クリミア半島周辺の北半分の開発がウクライナによって行われるはずだった。国際入札が行われる前に、鉱区がロシア領に編入されてしまったのである。
ロシアにとってのクリミア問題は、セヴァストーポリにロシア海軍の基地と黒海艦隊司令部があるという軍事問題だけではないのだ。経済的利害がからまった問題でもある。
2022年2月から戦争状態にあるロシアとウクライナだが、現在でもウクライナ経由のパイプラインは量的には減少しているものの稼働中であり、ロシアから通過料(タリフ)がウクライナに払われている。これが資源エネルギーの世界の「現実」なのである。
海中パイプラインである「ノルドストリーム1」と「ノルドストリーム2」に対する破壊工作が行われたが、ロシアに敷設されたパイプラインのほとんどは地上施設であり、テロ攻撃に対しての脆弱性が大きい。
パイプライン物流にかんしては、そのようなこともあたまに入れておく必要がある。
■「脱炭素」といっても石油ガスの需要が消滅することはない
ウクライナ戦争」の終結後に、ロシアを中心とした資源エネルギー情勢がどう変化していくか考えることも必要であり、考えるヒントにはなる。
もちろん、すでに長期化している「ウクライナ戦争」が、どんなに早くても2024年春までは継続されることは確実だ。戦争継続は米国の支援次第であるが、たとえ「停戦交渉」が始まったとしても、さらに時間がかかることは間違いない。いかなる形による終結であっても、資源エネルギーの世界が原状回復することは考えにくい。
テーマの性格上、時間がたつにつれて内容が陳腐化していくのは仕方がないことだ。本書が出版されたのは2023年9月であり、原稿は7月までに書き上げているはずだ。出版後の10月になってからは「10・7」テロがイスラエルで勃発し、中東情勢も急速に変化している。
「想定外」の事態がつぎからつぎへと発生する VUCA(ブーカ)の時代である。VUCA とは、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字をあわせたものだ。
そんな時代状況のなかではあるが、「常識」に反しているが「確実」なことは、「脱炭素」や「カーボンニュートラル」といっても、石油ガスの需要が消滅してしまうことはない、ということだ。この指摘はきわめて重要である。けっしてポジショントークではない。
目指すべき方向は「脱炭素」や「カーボンニュートラル」であっても、先進国と途上国では置かれている状況が異なる。水素社会とはいっても、水素の製造を天然ガスに依存している。しかも生産コストの高い水素が普及するハードルは高い。途上国では、安価なエネルギー源としての石炭や石油をやめることは現実的ではない。
生産国の側でも、消費国の側でも、国家も企業もまた、当然のことながらみずからの利害にもとづいて対応策を考え抜き、したたかに行動しているのが資源エネルギーの世界である。
今後ますます「自国中心姿勢」が姿勢が強まっている現状において、資源争奪戦はさらに激化していく。資源エネルギーの安定的な調達のため、国内に資源をほとんどもたない日本が取り組むべき課題は多い。
本書は著者による単著だが、資源エネルギーの世界で実務家を含めた専門家たちが毎日のように議論している内容が反映したものになっている。
その世界に身を置いている読者にとっては「常識」であろうが、そうでない読者にとっては、知っておくべき「常識」とするべき内容に充ち満ちている。ディテールにもテイクノートすべき事項が多い。
資源エネルギーの世界の「最前線の議論」を知ることのできる一般書として、読んでおいたほうがいい。冷静な分析と高い熱量に満ちた1冊だ。
目 次はじめに序章 激変するエネルギー資源情勢第1章 エネルギー問題としてのロシア・ウクライナ戦争第2章 前例なき対露制裁―実態とその効果第3章 制裁の応酬と加速する脱ロシア第4章 エネルギー危機はいつまで続くか第5章 脱炭素とエネルギー資源の未来終章 日本の選択あとがき参考文献
著者プロフィール原田大輔(はらだ・だいすけ)1973年、東京都生まれ。東京外国語大学インド・パーキスターン語学科卒業。1994年から95年にかけてインド・ウッタルプラデーシュ州アラーハーバード大学留学。エネルギー・金属鉱物資源機構(JOGMEC)の前身である石油公団へ入団後、経済産業省資源エネルギー庁長官官房国際課への出向を経て、2006年からモスクワへ赴任、ロシアにおける石油開発プロジェクトの立ち上げに携わる。2012年、グープキン記念ロシア国立石油ガス大学経済経営学修士課程修了。ロシアおよび旧ソ連諸国における上流開発プロジェクトマネジメントならびに日露協力案件の醸成と情報分析に従事する。JOGMEC調査部調査課長。著書に、『北東アジアのエネルギー安全保障――東を目指すロシアと日本の将来』(共著、日本評論社)がある。(筑摩書房のサイトより)
<関連サイト>
原田大輔「日露エネルギー協力の再評価と見直し ― ウクライナ危機とカーボンニュートラルの試練」(YouTube 北大SRC公開講座 「どうなる? どうする? 日露関係」第7回、2023年11月10日)
(2023年12月18日 項目新設)
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