2023年12月23日土曜日

書評『人類の起源 ー 古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」』(篠田謙一、中公新書、2022)ー 「古代ゲノム解析」によって「ホモ・サピエンスの拡散と集団の成立」を明らかにした最新成果の「中間報告」

 


「古代ゲノム解析」による「進化人類学」によって明らかにされた「ホモ・サピエンスの拡散と集団の成立」。本書の内容は、一言で要約すればこれがこうなる。可能としたのは「次世代シークエンサ」という技術である。

2022年2月に出版されたこの本は、そのおなじ年に進化遺伝学者のスヴァンテ・ペーボ博士がノーベル生理学・医学賞を受賞したことで、さらにはずみがついたといえよう。

わたしが購入した2022年12月25日付けの第9版には、「進化人類学の最新成果」と記された帯がつけられている。受賞が発表されたのは10月になってからだから、とくにことわりはなく、「はじめに」も加筆修正されているようだ。

ペーボ博士の受賞理由は「絶滅したヒト科動物のゲノムと人類の進化に関する発見」である。この研究こそ、「人類の起源」の研究を大きく前進させることになった。

「人類の起源」の解明は、20世紀までは、もっぱら人骨の収集とその分析が中心の「形質人類学」主流だった。ヒトゲノムの解明が完了し、古代人骨のゲノム解析技術も進化したの21世紀の現在は、データ分析による「進化人類学」が中心になっている。

本書は、その最前線のレポートである。といっても、執筆された2021年時点での最新成果をもとにしたものであり、著者はあくまでも「中間報告」のようなものだと断っている。科学者として誠実な態度である。

「進化人類学」という学問は、それこそ日々進化をつづけている。あらたな発見によって、その時点での「定説」がひっくり返される可能性も秘めた「最先端の科学」なのだ。



■「人類の起源」にかんする最新の「定説」を活字で読む

著者の篠田氏は、国立科学博物館の館長。予算の削減で維持が困難になっている状況を訴えて、クラウドファンディングによって資金調達に成功したことは、大きくニュースにとりあげられている。

そのためもあるのだろう、積極的にYouTubeを含めたメディアに登場して、進化人類学の立場からみた人類の起源や、日本人の起源について語っている。最先端の学問の最新成果を国民向けに啓蒙していただく姿勢がすばらしい。その成果が、クラウドファンディングの成功につながったといえる。

篠田氏が語る「人類の起源」や「日本人の起源」にかんする内容は、視聴していて驚くことが多いだけでなく、縄文人や弥生人の二重構造説など、「常識」となっている固定観念にゆさぶりをかけ、日本人の認識を変える必要さえ迫ってくるものがある。




もちろん、本書もまた同様である。動画を視聴して知った事実を、体系的に整理して理解することができることが大きい。

自然科学の研究成果が論文という形で発表される以上、大量の研究論文を踏まえて執筆された一般書である本書を読めば、結論だけでなく推論のプロセスや、なにがミッシングリンクになっているのかなど、知ることができるのは活字の強みである。

ただし、読んでいるとやたらカタカナが多いので、ちょっと目がくらくらするような気がしなくもない。似たような学術用語や固有名詞がたくさんでてくるので、読んでいても間違わないようにしないといけない。慣れてくると問題はないのだが。



■ホモ・サピエンスの拡散と集団の成立

「人類の起源」について語った本書は、正確にいえば「ホモ・サピエンスの拡散と集団の成立」ということになる。

アフリカで生まれた「人類」が、淘汰の結果としてホモ・サピエンスだけが生き残りアフリカをでて中東に至り、西はヨーロッパへ、東はユーラシア大陸に拡散していく「グレートジャーニー」という大いなる旅路。

旅路はユーラシア大陸で終わらずに、アメリカ大陸の南端に到達するまでつづいていく。それがグレートジャーニーの本線だ。

ただし、ユーラシア大陸内では中東からインドを経由して東南アジアから東アジアに北上する幹線と、シベリアを東に進む幹線の2本の大きなルートが並行していた。ユーラシア大陸の東端で両者はつながり、アラスカを経てアメリカ大陸へとつづいていく。



日本人読者が知りたいのは、なんといっても「第6章 日本列島集団の起源 ー 本土・琉球列島・北海道」であろう。

だが、すぐに読みたいというはやる心を抑えて、第1章からシークエンシャルに読んだほうがいい。というのは、「人類史」全体のなかの「日本人」の位置づけを知るためには、「本線」であるグレートジャーニー全体の流れのなかで見たほうがいいからだ。

グレートジャーニー全体のなかでは、日本列島はあくまでも「途中下車」のポイントであり、しかも「支線の終着駅」でもあったからだ。「支線の終着駅」というにかんしては西ヨーロッパと似ている。ともに吹きだまりなのだ。

つぎからつぎへとやってくるヒトはいても、そこから出ていくヒトはいない孤島としての日本列島。その日本列島でさえ、本州と九州・四国をあわせた中心部と、北海道と沖縄は異なるものとして考えなくてはならない。日本列島でさえゲノムの点からすれば多様性に満ちた地域なのだ。

定住することでゲノム的には純度が増していた「縄文人」(・・といっても、地域による多様性がある)、その後、半島や大陸からやってきたヒトと交雑してできあがった「弥生人」さらなる交雑がすすんだ古墳時代以降は、現代の日本人と近いゲノム構成を示している。

日本列島にかんする記述は、全体のなかの1章に過ぎないので物足りないものを感じるが、グレートジャーニー全体のなかに位置づけると見えてくるものもある。そのことが重要だ。

「人種」や「民族」などというカテゴリーは、「人類」のゲノムが 99.9% 共通(!)しているという事実を前にするとかすんでしまう。たとえ見た目は違っても、異なることばをしゃべっていても、その違いはゲノムの 0.01% の反映でしかないのだ。

そう考えれば、20世紀前半に猛威を振るった「人種」なる概念が、もはや自然科学で取り上げられなくなっているのは当然だろう。「人種」は、すでに疑似科学でしかないのだ。

「民族」もまた概念としてはあやういものをもっているが、「固有の言語と文化いう共通性をもった集団」であると定義するならば、すくなくとも「少数民族」についてはあてはまる概念ではある。ただし、言語分布とゲノム分布がかならずしも一致しないこともまた事実である。

「日本人」というカテゴリーもまた再考を迫られている。日本国民が地域性を反映した多様性に満ちた存在であることは、現在では当たり前の事実だが、文化面だけではなくゲノム面でもその違いが明らかにされつつある。

だが、それだけではない。政治的な理由による難民の発生や、経済的な機会を求めての、地球規模でのヒトの移動にともない、「交雑」の機会は数量的に増大する傾向にある。

これは世界全体で進行している現象だ。日本もまた例外ではない。100年後の「人類」は、現在とは異なるものに「進化」している可能性も高い。

「日本人の起源」を知るためには「人類の起源」を知ることが必要となるだけでなく、「人類の起源」を知ることは、「日本人の起源」について知ることにダイレクトにつながってくる。

だからこそ、つねに「人類」という視野のもとに、ものを考えることが必要なのである。

『人類の起源 ー 古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」』は、そんなことを考えさせてくれる好著である。

 



目 次
はじめに
第1章 人類の登場 ー ホモ・サピエンス前史
 1 人類の起源をどう考えるか
 2 人類の進化史
 <コラム1 脳容積の変化と社会構造> 
第2章 私たちの「隠れた祖先」ー ネアンデルタール人とデニソワ人 
 1 ゲノムが明らかにした人類の「親戚関係」
 2 ネアンデルタール人のDNA
 3 謎多きデニソワ人の正体
 4 ホモ・サピエンス誕生のシナリオ
 <コラム2 DNA・遺伝子・ゲノム>
第3章 「人類揺籃の地」アフリカ ー 初期サピエンス集団の形成と拡散
 1 「最初のホモ・サピエンス」から出アフリカまで
 2 アフリカ内部での人類移動
 3 農耕民と牧畜民の起源
第4章 ヨーロッパへの進出 ー 「ユーラシア基層集団」の東西分岐 
 1 出アフリカ後の展開
 2 ユーラシア大陸へ
 3 ヨーロッパ集団の出現
 4 農耕・牧畜はいかに広がったか
 5 現代に続くヨーロッパ人の遺伝子変異
 <コラム3 最古のイギリス人の肖像>
第5章 アジア集団の成立 ー 極東への「グレート・ジャーニー」 
 1 「アジア集団」とは何か
 2 南・東南アジア集団の多様性
 3 南太平洋・オセアニアへ
 4 東アジア集団の成立
第6章 日本列島集団の起源 ー 本土・琉球列島・北海道
 1 日本人のルーツ
 2 琉球列島集団
 3 北海道集団
 <コラム4 倭国大乱を示す人骨の証拠>
 第7章 「新大陸」アメリカへ ー 人類最後の旅
 1 「最初のアメリカ人」論争
 2 アメリカ先住民の祖先集団
 <コラム5 ヴァンパイアのDNA>
終章 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか ー 古代ゲノム研究の意義 
おわりに
参考文献

著者プロフィール
篠田謙一(しのだ・けんいち)
1955年生まれ。京都大学理学部卒業。博士(医学)。佐賀医科大学助教授を経て、現在、国立科学博物館館長。専門は分子人類学。著書に『日本人になった祖先たちーDNAから解明する多元的構造』(NHK出版、2007、新版2019)、『DNAで語る日本人起源論』(岩波書店、2015)、『江戸の骨は語るー甦った宣教師シドッチのDNA』(岩波書店、2018)。その他編著多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<関連サイト>

・・縄文人の化石からのゲノム解析から見えてきたもの、弥生人と古墳時代人のDNA構成の違い。知的に刺激されること間違いなし 



(2023年12月26日 情報追加)


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