『広東語の世界 ー 香港、華南が育んだグローバル中国語』(飯田真紀、中公新書、2024)という本を読んだ。先月出版されたばかりの新刊書である。
「広東語」は「カントンご」と読む。香港を中心に広東省(カントンしょう)でつかわれてきた言語だ。そして、いまなお旺盛に使用されている。
しかも広東語は、香港を中心とした広東省だけでなく、「華僑」という形で、海外移民とともに東南アジアや北米大陸にも拡がっている。世界全体で8,000万人の話者がいうという大言語でもある。
日本では一般的に「中国語の方言」という扱いを受けてきた広東語だが、「もう一つの標準中国語」と考えた方が実態に近い。それが、中国語学を専門とする著者の最終的な認識である。
漢字音の読みが「普通話」(プートンホワ)と呼ばれる「北京語」(マンダリン)とはまったく異なることから、それはわかる。広東語は耳で聴いただけでは、どういう漢字に該当するのか見当がつかないからだ。
1997年に香港が「返還」されてから、すでに四半世紀がたっている。にもかかわらず、依然として広東語が普通話にとって代わられることがないという。
なぜいまだに広東語は、香港でしぶとく生き続けているのか? その秘密が中国語学の立場から、さらに社会言語学的なアプローチで明らかにされる。そのカギは、広東語の「言文不一致」と、いまなお公用語である英語の存在にある。くわしくは本文を見ていただきたい。
巨大な中国は、けっして単一の存在ではない。「南船北馬」という漢字熟語があるように、長江を境にして南北の違いがきわめて大きいことは、かつてから指摘されてきた。だが、言語という側面にそくして考えてみると、さらに複雑な様相が見えてくる。
それはまた、コミュニケーションツールとしての「漢字」について考えることにもつながっていくのである。漢字は表音文字であるとともに表意文字である。書き言葉としての漢字文章は、広く中国語圏で共有されている。 ざっとした意味をとるだけなら、日本語人にも可能だ。
(香港POPSとして広東語でカバーされた日本の楽曲集のCD ブログ筆者コレクション)
「返還」後の現在の香港に関心のある人、1970年代から90年代にかけての黄金時代の「香港映画」や「香港POPS」にはまったことのある人(・・かく言うわたしも、お気に入りの香港POPSを YouTube で流しながら読んでいた)。
そのほか、複数の中国語が移民社会ととともに存在する東南アジアで暮らしたことのある人、そしてニューヨークやサンフランシスコなど、米国の有名なチャイナタウンを知っている人なら、じつに興味深く読めると思う。
とはいえ、いまから本格的に広東語を勉強しようとは、さすがに思わないな。かつてチャレンジしたことがあったが断念したまま現在に至るのは、声調が6つもあるのでハードルが高すぎるからだ。声調が4つの普通話よりも多いのだ。
広東語やベトナム語のように声調の多い言語は、若いときから耳を慣らしておかないと習得はむずかしい。
(画像をクリック!)
目 次まえがき序章 広東語はどこで話されているか第1章 広東語はどのような言葉か第2章 話し言葉―香港の標準語第3章 書き言葉―言文不一致な中国語第4章 英語、北京語との共存、競争第5章 その他の中国語方言終章 広東語から問い直す「中国語」「方言」あとがき主要参考文献
著者プロフィール飯田真紀(いいだ・まき)1998年東京外国語大学大学院地域文化研究科修士課程修了、2005年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。香港中文大学中国文化研究所客員研究助手、北海道大学メディア・コミュニケーション研究院准教授を経て、東京都立大学人文社会学部教授。専門は中国語学・広東語文法。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
<関連サイト>
⇒ 広東語の短いフレーズの発音つき
<ブログ内関連記事>
・・中島みゆきの楽曲の多くが、『最愛』など香港POPSとして広東語でカバーされていることは、知る人ぞ知る事実。
・・香港人はまさに「アングロ・チャイニーズ」を体現したような存在
・・中国南部からの大反乱。首謀者の洪秀全は広東出身だが広東語ではなく、客家語を母語としていた
(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)
end