「夜会」とは、「コンサートでも演劇でもない「言葉の実験場」というコンセプト」で、1989年から開催している舞台のこと、1998年以降は不定期の開催になっています。もちろん、曲もストーリーもアパフォーマンスもすべて中島みゆきのオリジナル作品。編曲はすべて瀬尾一三.
「コンサートでも演劇でもない「言葉の実験場」というコンセプト」ですが、たしかに中島みゆきによる歌詞と曲と歌唱が一体となって、日本語のもつチカラが徹底的に引き出された作品なのだと見終わって実感しますね。
すでに10数年近く中島みゆきの曲はTV主題歌以外はあまり聞いていなかったし、「夜会」はナマでもDVDでも見たことなかったのですが、今回の劇場版をみて、中島みゆきはすごいなと思いをあらためてしています。
中島みゆきは「夜会」もコンサートもチケット入手がたいへんなので一度も見たことがありません。その意味では、たいへんありがたい企画です。
ストーリーは、紹介文をそのまま引用すればこんな感じです。
これだけでは抽象的でわかりにくいでしょう。ひとつだけヒントを言っておくと、ジャスミンの花は日本語で茉莉花(まつりか)といいますが、これが「夜会 Vol. 17」で取り上げられた「2/2(にぶんのに)」のメインテーマです。ヒントはこれくらいにとどめておきましょう。
最後の曲を聴いていながら、なんだか魂が洗われるような、なんだか浄化されるような感でいっぱいになってきました。これはアリストテレスがギリシア悲劇について指摘した「カタルシス」というものでしょうが、ある意味ではセラピーのプロセスそのものかもしれません。
すぐれた芸術作品とはそういうものなのでしょう。生と死、男と女、そこで問題になるのは肉体もさることながら、魂の問題であるのですから。
初日は土曜日でしたが、観客の大半は中島みゆきと同世代の60歳以上(・・1952年生まれの中島みゆきもすでに還暦すぎているわけだ!)の方々が多いように見受けられました。
TV主題歌でしか中島みゆきを知らない人にとっては、あまりにも濃厚な中島みゆき世界にとまどうかもしれませんが・・。
中島みゆきのファンであるなしに限らず、男女や年齢にかかわらず見るべきだと思いますよ。2,500円はちょっと高いかもしれませんが(・・わたしは前売り券 2,000円を買ってありましたが)、その価値は十二分にあるといっていいでしょう。
<関連サイト>
『中島みゆき『夜会VOL.17 2/2』劇場版』 公式サイト
中島みゆき「夜会 vol.17 2/2」劇場版 トレーラー (YouTube)
■中島みゆきファンとして思うこと(付録)
いまではすっかり大衆化し、なんだか「国民歌手」とでもいうべき存在の大御所になってしまった中島みゆき。日本語を母語とする日本国民全体に元気を与えてくれる「歌姫」としては、それもまた役割の一つかもしれないのだが・・・。
だが、1980年代から1990年代までの濃いファンであったわたしのような人からすると、ちょっと違和感がなくもない。先日、NHKのBSプレミアムで中島みゆきの特集があったが、BSであっても取り上げられた曲は一般受けするものながかりで、ちょっとガッカリな気がしたのはわたしだけではないのではないかもしれない。
NHKの『プロジェクトX』の主題歌「ヘッドライト テールライト」はわたしも好きだが、あの曲が「応援歌歌手」として日本国民に認知される決定的転換点になったのかもしれない。歌詞の内容もストレートなはげましがつよすぎるような気がする。
『ファイト!』がいまでも人気の上位にあるのはうれしい。この曲も応援歌ではあるのだが、かならずしもストレートに励ますのではなく、人間の弱さを肯定したうえで、逆説的にはげます歌詞だから。基本的に日の当らないところで一所懸命に生きている人に光をあてたいという、『ヘッドライト テールライト』のテーマにも一貫している。
わかりやすいといえばそのとおりなのだが、「逆説的に元気をくれる」というタイプの歌詞が少ないのは、テレビという不特定多数向けのメディアである以上しかたないかもしれない。
人間の暗さや弱さをそのままじっくりと見つめ、凝視することが、逆説的に見えながらも、じつは自己治癒(=セルフ・ヒーリング)として元気を回復するための第一歩だということを、歌詞と曲とみずからの歌唱でもって示してきたのが中島みゆきだと思っているから。
これはある意味ではセラピーのプロセスそのものだ。「夜会」もその意味では、日本語によるセラピーなのだと思う。
人間は生きている以上、成長し続けるものだし、現役のアーチストであるならばなおさら日々進化をとげるのは当然だ。中島みゆきは、おそらく生涯現役を貫くのだろう。
「♪ 年をとるのはステキなことです そうじゃないですか~」(『傾斜』)という老婆を歌った有名な歌詞もあることだし。なんと、これはなんと彼女が29歳のときのものだ。
いまの日本で「歌姫」と自他ともに認められるのは中島みゆきと中森明菜だけだと思うが、中森明菜が情念に身を任せがちであるがゆえに自己破壊傾向が高いのに対し、中島みゆきは情念について歌っているのであって、情念そのものを歌っているわけではない。
それは評論家の呉智英が「中島みゆきは中山みきである」という文章のなかで、かなり以前に言っているように、中島みゆきが巫女(=シャマン)的な存在を体現しているからだろう。つまり、みずからの主張を全面に打ち出すのではなく、他者の存在をすべて引き受け、彼らにかわって歌うという姿勢。憑依するのではなく、憑依される存在。
初期の中島みゆきについては、それこそ作家や詩人や評論家、さらには熱心な一般人のファンまでが語りつくしており、わたしもそんな本に読みふけっては大いに学ばせていただいたので、ことさら付け加えるものはない。
たとえば、もう30年前のものだが、『中島みゆき ミラクルアイランド』(谷川俊太郎他、創樹社、1983)など現在は新潮文庫版(1986年)も絶版になっているが、関心のある人はぜひ古本をさがして読んでみてほしい。
参考のために、『中島みゆき ミラクルアイランド』の目次を掲載しておこう。
以下に掲載した『中島みゆき全歌集』は1989年の出版でいまでもマイコレクションの一つ。「詩集」ではなく「歌集」というのがポイント。いずれも日本語の「詩」としては一級品だと思う。すばらしい。
ちなみに、『中島みゆき全歌集Ⅱ 1987~1998』(中島みゆき、朝日新聞社、1998)も所有している。いずれも文庫化されていたが、現在は残念なことに品切れ状態だ。
East Asia(=東アジア)、とくに華人圏でもっともカバーされているのが中島みゆきの曲。ただし、それは日本語の歌詞の内容ではなく、情感性のつよいサウンドそのものに共感するものが多いからだろう。香港の歌手は広東語で、それ以外は普通話であらたに歌詞が書かれたものを女性歌手が歌っている。
日本語の歌詞と切り離しても、きわめて日本ローカルだと思っていた中島みゆき的世界は、じつは日本を越えて通用するわけだが、「夜会」のように歌詞カードを見ないで、耳だけで日本語を聴いて感じるのはなかなかむずかしいかもしれない。
日本語のもつ言霊(ことだま)は、曲と声(=歌唱)が一体となって日本語人の魂にバイブレーションするものだから。それは古代以来つづく日本語の特性なのである。
<関連サイト>
中島みゆきオフィシャルサイト
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これだけでは抽象的でわかりにくいでしょう。ひとつだけヒントを言っておくと、ジャスミンの花は日本語で茉莉花(まつりか)といいますが、これが「夜会 Vol. 17」で取り上げられた「2/2(にぶんのに)」のメインテーマです。ヒントはこれくらいにとどめておきましょう。
最後の曲を聴いていながら、なんだか魂が洗われるような、なんだか浄化されるような感でいっぱいになってきました。これはアリストテレスがギリシア悲劇について指摘した「カタルシス」というものでしょうが、ある意味ではセラピーのプロセスそのものかもしれません。
すぐれた芸術作品とはそういうものなのでしょう。生と死、男と女、そこで問題になるのは肉体もさることながら、魂の問題であるのですから。
初日は土曜日でしたが、観客の大半は中島みゆきと同世代の60歳以上(・・1952年生まれの中島みゆきもすでに還暦すぎているわけだ!)の方々が多いように見受けられました。
TV主題歌でしか中島みゆきを知らない人にとっては、あまりにも濃厚な中島みゆき世界にとまどうかもしれませんが・・。
中島みゆきのファンであるなしに限らず、男女や年齢にかかわらず見るべきだと思いますよ。2,500円はちょっと高いかもしれませんが(・・わたしは前売り券 2,000円を買ってありましたが)、その価値は十二分にあるといっていいでしょう。
<関連サイト>
『中島みゆき『夜会VOL.17 2/2』劇場版』 公式サイト
中島みゆき「夜会 vol.17 2/2」劇場版 トレーラー (YouTube)
■中島みゆきファンとして思うこと(付録)
いまではすっかり大衆化し、なんだか「国民歌手」とでもいうべき存在の大御所になってしまった中島みゆき。日本語を母語とする日本国民全体に元気を与えてくれる「歌姫」としては、それもまた役割の一つかもしれないのだが・・・。
だが、1980年代から1990年代までの濃いファンであったわたしのような人からすると、ちょっと違和感がなくもない。先日、NHKのBSプレミアムで中島みゆきの特集があったが、BSであっても取り上げられた曲は一般受けするものながかりで、ちょっとガッカリな気がしたのはわたしだけではないのではないかもしれない。
NHKの『プロジェクトX』の主題歌「ヘッドライト テールライト」はわたしも好きだが、あの曲が「応援歌歌手」として日本国民に認知される決定的転換点になったのかもしれない。歌詞の内容もストレートなはげましがつよすぎるような気がする。
『ファイト!』がいまでも人気の上位にあるのはうれしい。この曲も応援歌ではあるのだが、かならずしもストレートに励ますのではなく、人間の弱さを肯定したうえで、逆説的にはげます歌詞だから。基本的に日の当らないところで一所懸命に生きている人に光をあてたいという、『ヘッドライト テールライト』のテーマにも一貫している。
人間の暗さや弱さをそのままじっくりと見つめ、凝視することが、逆説的に見えながらも、じつは自己治癒(=セルフ・ヒーリング)として元気を回復するための第一歩だということを、歌詞と曲とみずからの歌唱でもって示してきたのが中島みゆきだと思っているから。
これはある意味ではセラピーのプロセスそのものだ。「夜会」もその意味では、日本語によるセラピーなのだと思う。
人間は生きている以上、成長し続けるものだし、現役のアーチストであるならばなおさら日々進化をとげるのは当然だ。中島みゆきは、おそらく生涯現役を貫くのだろう。
「♪ 年をとるのはステキなことです そうじゃないですか~」(『傾斜』)という老婆を歌った有名な歌詞もあることだし。なんと、これはなんと彼女が29歳のときのものだ。
いまの日本で「歌姫」と自他ともに認められるのは中島みゆきと中森明菜だけだと思うが、中森明菜が情念に身を任せがちであるがゆえに自己破壊傾向が高いのに対し、中島みゆきは情念について歌っているのであって、情念そのものを歌っているわけではない。
それは評論家の呉智英が「中島みゆきは中山みきである」という文章のなかで、かなり以前に言っているように、中島みゆきが巫女(=シャマン)的な存在を体現しているからだろう。つまり、みずからの主張を全面に打ち出すのではなく、他者の存在をすべて引き受け、彼らにかわって歌うという姿勢。憑依するのではなく、憑依される存在。
初期の中島みゆきについては、それこそ作家や詩人や評論家、さらには熱心な一般人のファンまでが語りつくしており、わたしもそんな本に読みふけっては大いに学ばせていただいたので、ことさら付け加えるものはない。
たとえば、もう30年前のものだが、『中島みゆき ミラクルアイランド』(谷川俊太郎他、創樹社、1983)など現在は新潮文庫版(1986年)も絶版になっているが、関心のある人はぜひ古本をさがして読んでみてほしい。
参考のために、『中島みゆき ミラクルアイランド』の目次を掲載しておこう。
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ちなみに、『中島みゆき全歌集Ⅱ 1987~1998』(中島みゆき、朝日新聞社、1998)も所有している。いずれも文庫化されていたが、現在は残念なことに品切れ状態だ。
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日本語の歌詞と切り離しても、きわめて日本ローカルだと思っていた中島みゆき的世界は、じつは日本を越えて通用するわけだが、「夜会」のように歌詞カードを見ないで、耳だけで日本語を聴いて感じるのはなかなかむずかしいかもしれない。
日本語のもつ言霊(ことだま)は、曲と声(=歌唱)が一体となって日本語人の魂にバイブレーションするものだから。それは古代以来つづく日本語の特性なのである。
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