2025年2月10日月曜日

エマソンの愛読者であった徳富蘇峰を知ってますか? ー 近現代日本を1世紀近く生きた大ジャーナリストで歴史家にもっと関心をもつべきだ

  


世界的に有名な D.T. Suzuki こと鈴木大拙をはじめ、文学者としては北村透谷、徳冨蘆花、それ以外の著名人として、内村鑑三、徳富蘇峰、安岡正篤、池田大作などの名前をあげておいた。

文学者の徳冨蘆花の実兄であった徳富蘇峰について、この場でやや詳しく記.しておきたいと思う。 


■「自己啓発」の観点からエマソンの影響を受けた人びと

エマソンについて語るにあたって、従来はアメリカ文学研究者たちは、北村透谷や徳冨蘆花といった文学研究者に言及することが通例だった。

2009年にオバマ元大統領が就任演説で愛読書だと言及してから、日本でも「エマソン復活」が始まったが、言及されるのは判を押したように北村透谷などの文学者ばかりだ。自分で十分にリサーチすることなく、先行する書籍の内容をコピペしているからだろう。

たしかに、日本初の評伝『ヱマルソン』(1894年)を書いた北村透谷は、エマソンの重要な概念である「内部生命」を重視したこともあり、近代日本文学史における重要人物である。 

ところが、かれはこの本を書いたあとに自死している。だから、わたしは、エマソンを語るにあたって透谷を称揚する気持ちにはなれない。エマソン的でなさすぎるからだ。 

徳冨蘆花は、名文の模範として紹介されることの多い文学者である。東京都世田谷区の「芦花公園」にその名を残している。だが、はたして現在どれだけ読まれているのだろうか? 

それよりも、むしろ徳冨蘆花の実兄の徳富蘇峰のほうが、「自己啓発」という観点に立てば、エマソンを語るにあたってはるかに重要ではないか、そう思うように至ったのは、蘇峰という大ジャーナリストの存在に対して、つよく感じるものがあったからだ。蘆花も透谷もみな蘇峰の影響圏のなかにあった人たちだ。 




■徳富蘇峰こそエマソン愛読者の中心にいた


先日、讀賣新聞社の主筆として君臨してきた渡邉恒雄氏が98歳で亡くなったが、熊本に生まれた蘇峰はその号とした阿蘇山のような、裾野の広い巨大な火山のような存在で、ナベツネ氏よりもはるかに大きな軌跡を残した人であることは間違いない。 

ジャーナリストで政治にも関与し、新聞社を起業した創業経営者であり、しかも300冊もの本を書いている。そのなかには『近世日本国民史』(全100巻)のような巨大な著作もある(・・さすがに、わたしはチラと見ただけで、読むことなど断念している)。 

じつをいうと、わたしは以前は徳富蘇峰を敬遠していた。どうしても、戦時中の言論をリードしたネガティブなイメージがつきまとっており、とくに疑問を感じることなく過ごしててきたからだ。世間一般の蘇峰に対する評価は、いまだ改善されているとは言い難い。 

ところが、蘇峰にかんする関連著作を読み、その人生について知れば知るほど関心が増していくのを覚えていった。

「親米」から「嫌米」、さらには「反米」に至り、大東亜戦争の敗戦後にはふたたび「親米」に戻っていくという人生百年の軌跡。まさに近代を生きた日本人に、そのまま重なるようではないか。 

若き日に新島襄の同志社で英語を学んだ蘇峰は、エマソンの熱烈な愛読者になり、親米から嫌米に変化していった時代にも、エマソン愛が変わらなかったのである。

なんどもくじけながらも、ジャーナリストになるという志を捨てなかったのは、エマソンの『自己信頼』の存在があったのである。 

敗戦後に占領軍から戦犯容疑をかけられて失意のどん底にいた時期に、エマソンの『自己信頼』を何度も繰り返し読み、自分を元気づけようとしたことは、拙著でも紹介したとおりだ。 

世界的に有名な D.T. Suzuki こと鈴木大拙はさておき、いまでも政財界で根強い人気のある安岡正篤のような人物とくらべても、徳富蘇峰の名前は聞いたことはあっても、どんな人だったのか知らないままに済ませている人も少なくないことだろう。 

拙著『エマソン 自分を信じる言葉』を読んで、徳富蘇峰にすこしでも関心をもった人がいたら、ぜひさらにその関心を深掘りしてみたらどうだろうか。






■徳富蘇峰を知るためにお薦めの本

以下、わたし自身が目を通した文献を簡単に紹介しておこう。

まず読むべきは、『徳富蘇峰 日本ナショナリズムの軌跡』(米原謙、中公新書、2003)であろう。蘇峰がいかなる人であったか、その95歳の全生涯をザックリ知ることができる。  

その後にぜひ読むことを薦めたいのは、『稀代のジャーナリスト 徳富蘇峰 1863~1957』(杉原啓司/富岡幸一郎編、藤原書店、2013)。さまざまな人たちが、さまざまな角度からみた蘇峰の像が立体的に浮かび上がってくる「まるごと1冊蘇峰」といった感じの本。写真も多数あり、著作目録なども収録されている。  




『評伝 徳富蘇峰 ー 近代日本の光と影』(ビン・シン、杉原啓司訳、岩波書店、1994)は、植民地支配下のベトナムに生まれたカナダの近代日本思想史研究者による、主体的な関心から生まれた研究。



基本的にポジティブなとらえ方の蘇峰だが、ベトナム人ならではの視点が重要だ。ベトナム人の対米観、対中観がその背景にある。残念ながら文庫化されていない。  


『弟 徳冨蘆花』(徳富蘇峰、中公文庫、2001)は、天才肌の文学者であった弟に対する、家長である長兄としての蘇峰の複雑な感情がかいまみられ、蘇峰の人物像に人間味をあたえてくれる。 『弟』に描かれた、作家で政治家の石原慎太郎と国民的俳優であった石原裕次郎の兄弟関係に比することもできようか。




「兄弟間の不和」にかんする真相を知れば、蘇峰嫌いも少しは減るのではないだろうか。近代日本文学史に関心のある人は読むといいだろう。徳冨蘆花の「徳冨」は、本来の「徳富」とは漢字が変えられていることに気づいている人は、意外と少ないかもしれない。 

日本初の松陰の評伝である『吉田松陰』(1893年)の冒頭にはエマソンのフレーズが英語原文のまま引用されているが。『自己信頼』(Self Reliance)に登場する Trust thyself: every heart vibrates to that iron string. という詩的なフレーズである。「千万といえど我ひとりゆかん」の松陰にふさわしい。


(岩波文庫の『吉田松陰』の冒頭)



蘇峰の影響でエマソンを愛読した蘆花もまた、教養小説である『小説 思出の記』(1900年)の冒頭にエマソンのやや長い文章が英語原文のまま引用されている。これはエマソンの『代表的人物』に収録された「ゲーテ 文学に生きる人」の一節である。


(岩波文庫の『小説 思出の記』の冒頭)


そのほか、蘇峰自身による著作もある。たとえば『蘇峰自伝』『読書九十年』など読むと面白いのだが、現在ではほとんど入手不可能なものが大多数であるので、ここでは『読書九十年』だけ取り上げておこう。エマソンがいかに蘇峰の長い人生に大きな影響をもった存在であったかがわかるからだ。

 (マイコレクションより『読書九十年』の初版本)


『読書九十年』(1952年)は、90歳の時点でみずからの読書歴をつづり、関連の文章を集めたエッセイ集である。エマソンにかんする文章の一部は拙著『エマソン 自分を信じる言葉』にも「特別付録」として引用してある。

「タバコも吸わず、酒も飲まず、趣味は古本の蒐集だけ」といった趣旨のことを蘇峰自身が書いている。この点でも、わたしは大いに親近感を抱くのである。


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