2009年9月6日日曜日

20年ぶりのオペラ『アイーダ』




 1989年12月、代々木国立競技場で上演されたのをみて以来20年、2009年9月、東京で久しぶりにぶりにヴェルディの『アイーダ』(AIDA)をみた。
 前回は、ヴェローナ野外劇場をそのまま東京にもってきたステージ、今回はミラノ・スカラ座の公演を代々木のNHKホールでの上演である。
 人生で一番はじめにみたオペラ初体験が『アイーダ』であったので実に感慨深い。

 今回のミラノ・スカラ座は、指揮はダニエル・バレンボイム、演出はフランコ・ゼッフィレッリ、豪華絢爛な舞台を日本で再現するというのはカネがかかるが、円高ユーロ安傾向にあるので主催者のNBCも少しはラクになったのではないだろか?
 
 20年前見た AIDA は私にとってはオペラ初体験だったが、「バブル期」ならではの大規模で豪華な演出だった。そのときのパンフレット、というには豪華なカタログがをもっているが、まさにあの時代の雰囲気をそのままに伝えている。
 そもそも、1871年の初演自体、エジプトのカイロで行われた、というのが、このオペラの本質を表している。古代エジプトを舞台にしたこのオペラは、1869年のスエズ運河開通を記念したものである。

 ところで、AIDA といえば、プレス機を想起してしまうのは、機械部品産業にいたためだろうか、欧州人はこの工作機械メーカーを展示会でみてそう思うのではないか。アイダエンジニアリング株式会社のことである。
 もちろんこの AIDA のプレス機は、50トン(!)クラスもあり、同名のオペラと違わず規模は大きく圧倒的だ。プレス機が稼働している場面を見れば、その力強さに圧倒されるはずである。

 私にとっては AIDA といえばオペラのことなのだが、ある人と話していたら話がなんかズレていた。
 彼はずっとミュージカルの AIDA のことをしゃべっていたのだ。AIDA がミュージカルなんて私には想定外であったので、話が通じているようでまったく通じていなかったのだ。
 オペラ⇒オペレッタ⇒ミュージカルという音楽史、というかエンターテインメント史の流れからいえば、決して・・・ではないのだが、それにしても・・・・

 本日の指揮をふるダニエル・バレンボイムは、よく知られているとおり、アルゼンチン出身のピアニストでユダヤ系である。その彼にとって、ユダヤ人に縁の深いエジプトやエチオピア関連のオペラの指揮をするのも、なんらかの感慨もあるだろう。主人公アイーダはエチオピア王の娘でエジプトでは奴隷として処遇されている。
 もちろん、ワーグナーを指揮するときのような関心はよばないだろうが。小柄だが精力的なバレンボイムは、小さな巨人、いや巨匠(マエストロ)と呼ぶのがふさわしい。
 
 あらすじについては、有名な作品であるので、あらためてここに書くことはしないが、本日の舞台は、20年前にみた野外劇場版とくらべるとスケールは小さいものの、フランコ・ゼッフィレッリによる豪華絢爛な演出と舞台装置には十二分に堪能させられた。
 ゼッフィレッリについては、このブログでもすでに『ブラザーサン・シスタームーン』で触れているが、私の大好きな映画監督であり、オペラ演出家である。彼が監督したオペラ映画『ラ・トラヴィアータ』と『オテロ』は、映画館でもDVDでも何度もみているが、プラシード・ドミンゴの声とともに、映像として実にすばらしい。


 本日は、新居に引っ越してから初めての上京であった。

 少し早めにいったら代々木公園では「ブラジル・フェスティバル」をやっていた。
 オペラの幕間が二回あったが、その都度ブラジル・フェスティバルも楽しんだ。同じラテンといっても、イタリア・オペラとブラジル音楽ではノリがまったく違う。とはいえ、ブラジルはジャマイカとは違って、なんといってもやはりラテンである。今年5月のジャマイカ・フェスティバルとは相性がよくなかったが、ブラジルとは相性がいいような感じがしたのは不思議な感じだ。


 引っ越してからまだ1週間たっていない現在の状態は、まだまだ復旧途上の被災地並みである。最短でも1ヶ月、完全復旧まで3ヶ月といったところだろうか。
 ミニノートから無線でアップするのは制約条件が多すぎて不満も大きい。高速通信が再開するには工事が必要なので、NTTの工事待ちのためまだ時間がかかる。
 というわけで、ブログはぼちぼち再開していく予定である。

 ではまた。See ya.